「猫天地伝」
作/こたつむり


〈6章〉40p

  猫天地は目をパチクリとさせながらも、だんだん鷲のかじとりに慣れてきた。おのが両足を行きたい方へブンブン振り出してその振動を鷲に伝え、散鬼(さんき)のいる所へいかせることに成功したのだ。
  散鬼は大勢の人たちの先頭にいて、馬にのっている。見ると人々は何も東南族ばかりではなく、町にいた住民がこぞって列をなしている。
「この列の一番うしろに、魔神の、いや、美青蘭の人形をかかえた東南族がいるんだ」
  と散鬼は説明した。なにやら嬉しそうである。
「なんなんだ、一体」
  猫天地はあいかわらず目を白黒させて、とりあえず降りた地上であらためて大鷲に乗りなおすと、列の後方に行ってみた。
「おおー魔神よ。おおー魔神よ」
  と、昔ながらの東南族の祈りの声が聞こえ、やがて人々の姿が見える。
  その中から顔なじみの東南族を一人見付けて声をかけたが、彼も今、祈祷に必死なのであり、猫天地など目にも入らぬようであった。
  首をかしげて元にもどり、再び散鬼に聞くと、散鬼はあいかわらず喜色満面である。
「一番悪いのは妖怪だってことが、ついにわかってくれたみたいなんだ」
  と言う。猫天地(ねこてんち)は、
「でも魔神を呼び寄せるお祈りをしてるぞ」
「いいじゃないか。この際、魔神だってなんだって、妖怪をぶっ倒してくれるんだから」
「妖怪を? でも魔神はもういない」
「いなくたって、あの連中は呪術の使い手なんだから、その気になりゃ魔神ナシでも妖怪をぶったおせるって、俺はもう、町のみんなに言っちまったんだ」
「散鬼。酒でも飲んでいるのか」
「バカ。酒ぐらい飲まずにやってらんねえよ」
  どうやら散鬼は、いつまでたっても仲の悪い人と人の間にたって、苦労しすぎたようである。さすがに彼も、居ないはずの魔神が妖怪を倒してくれるとも、東南族に妖怪を倒す力があるとも思ってなさそうだ。とにかく彼は、町の住民と東南族達がともに行列している事だけで、酔えるほどに嬉しいらしい。
  猫天地にも散鬼の気持ちはわからなくもない。いま何が起きているのかはさっぱりわからなかったが、それでも人々といる内に、やはり酒を飲みたくなってしまい、それで飲んだ。
「この酒は張蒙師がくれたんだ」
「張蒙師が?」
「そうさ。これから戦になるんだろ? もうどうにでもなれって思ったんじゃないのか? 仙人でも投げやりになることがあるんだなあ」
  ふーん、と言って飲んでる内に、猫天地もだんだんどうでもよくなってきてしまった。
  なるほど、東南族はともかく、都に住む人々にしてみれば、敵国から軍馬が攻めに来るなんて事を知らされれば、どれほどの混乱を生じるか知れたものではない。酒でも飲ませて妖怪退治に目を向けさせておく方がまだまし、と張蒙師は考えたのかもしれない。早くも酔いの廻って来た頭で何となくそう納得すると、東南族の人たちの列に混ぜてもらい、一緒になって、
「おー魔神よ。おー魔神よ」
  と言ってる間に、気分が良くなった。
  突然である。
  空に四方から黒い雲が集まりはじめた。雲は層をまして厚くなってゆき、あたり一面どんどんと暗くなる。
「魔神さまだ!」
  誰かがさけんだ。
「本当だ。ついにやった。魔神が来てくれたよ」
  と、かつて魔神を退治した猫天地まで、一緒になって喜ぶ。
  雲が集まれば、あとは雷である。
  とどろく稲妻に風、そして風をうけて宙にひだを織り成しつつ豪雨がふった。
  どこかに雷がおちる。ものすごい轟音である。ほとんどの人々はみな木の下に避難し、あばれまわるロバを必死につなぎとめているが、ただ東南族の人たちのみが、路上を棒立ちになって中空の一点を見つめていた。
「妖気だ」
  大鷲の暴れ方で、猫天地にもそれがわかった。
  何が起こっているのかわからなかったが、みな、真剣な気分になってきた。これは戦いなのだ、という気持ちが人々を包みはじめたからだ。
  静かな戦いだった。
  東南族たちは、まるで人形のように固くなってひたすらに空を凝視している。
  やがて雨は小降りになり、あたりはうっすらと明るくなりはじめた。雷鳴は遠のいてゆき、ついに雲間から太陽が顔を見せはじめるや、ピタリと雨が止んだ。そのとたんである。
  バシャリと路上に大きな音がおこり、人々がどよめいた。
「どうしたんだ」
  猫天地が近付こうとすると、又してもドサリと何かが倒れるような音が聞こえた。
  人だかりをわけて見てみると、棒立ちしていた東南族が二人たおれている。猫天地が駆け寄ろうとすると、バタリバタリとつづけて東南族が倒れてゆく。まるで斧を入れられた巨木のような鈍くて重い倒れ方だった。
  助けおこしたかったが、猫天地には体術ゆえにむやみに人に触ることが許されない。と、手をこまねいていると、
「しっかりしろ」
  散鬼の子分の一人が走りよって、東南族の一人を抱きかかえて呼びかけた。
「そうだ。妖怪はどうなったんだ。妖怪を倒してくれよ」
  と、以前、盗賊をやっていた髭づらの大男も介抱にのりだした。
  この一声に、都の人々はどっとざわめいた。あるいは彼らは西国が攻めて来る事態を察しているのかもしれないし、そうではなく、単に散鬼に聞かされた妖怪の存在に脅え、めくるめく天候異常にただ恐怖しているだけかもしれない。が、やがて、
「おおっ、魔神よ」
  誰かが唐突に叫び声をあげ、地にひざをついた。東南族の誰かが蘇生したのか……と、みんな振り返ったが、そうではなかった。町で饅頭を売っている老女だった。なんと驚いたことに、東南族の祈祷を真似しているのだ。すると散鬼の子分は、それをさらに真似して、
「おおっ、魔神よ!」
  と、おのが腕のなかでグッタリと気を失っている東南族の耳元に呼びかけた。
  いきなり魔神を信じる気になったわけではない。倒れた東南族が蘇生する方法が他に思いつかなかったのだろう。
「おおー魔神よ。おおー魔神よ」
  町の人たちは皆、必死になってこれに声をあわせ、冥府に行きかけている東南族たちを呼びもどそうと喚きたてた。
「虹だ! もう虹がでているぞ」
  いきなり誰かが祈祷(の真似)の声をやぶった。
  見上げるとたしかに遠くの山に虹が、くっきりと姿をあらしている。そのあまりに鮮明な色には、怪しささえ漂って、居並ぶ人々をますます不安におとしいれた。まるで東南族たちの命を吸い取り、遠くへもち去ってゆくためにもうけられた、あの世への橋のように見えたからだ。
  猫天地は虹を見ようとして、ふと、東南族たちが持ち出してきた大きな人形に目をとめた。その頭はすでに陽光を浴びて怪しく湯気をたて、東南族たちとともに空に消え行くようにさえ見えた。
「美青蘭!」
  猫天地は人形にとりすがって叫んだ。
「この人たちを助けておくれ。この人たちは一体、誰にこんな目にあわされているんだ。教えておくれよ」
  すると、雲の上から、
「猫天地!」
  という声が降ってきたような錯覚が猫天地を襲った。


39p

戻る

41p

進む