「猫天地伝」
作/こたつむり


〈6章〉39p

「ちょっと待ってくれ、張蒙師」と、猫天地。
「なんだと?」
「私はいっぺん煕皇子のところに行ってみるよ。大鷲を貸しておくれ」
  言うや猫天地は、まかしてくれ皇帝の奥さん、と皇后の肩を無遠慮にたたいてから、さっさと大鷲のもとへ行く。
  張蒙師は病んだ体をあわてて起こし、杖をたよってあとを追うと、もう大鷲の背に乗ってしまっている弟子にむかって、
「この、おろか者。無駄なことだ」
  と怒鳴ったが、猫天地は首をふり、おなじく大声で、
「無駄かどうか、やってみないとわからないじゃないか」
  と怒鳴りかえし、
「皇帝の位をタダでくれるって言うんだから、いいじゃないか。そうすりゃ煕皇子が皇帝になって、東南族の人たちは、もう苦労しなくてすむんだ」
  叫ぶや、すでに大鷲とともに天に舞い上がっていた。
「あの馬鹿者が」
  張蒙師は頭から湯気がたつくらい怒り、地団太をふんだが、しばらくたつと、
「こうしてはおられぬ」
  と、病んだ体で念を練り、気をあつめて力をふりしぼり、洞窟の中にもどると、居並ぶ皇后やその従者たちがアッケにとられるのも構わずに、ありとあらゆる刀剣をかき集めはじめた。

  都から岱泰国までには関所が四ヶ所あった。
  岱泰に一番ちかい関所の守将は、かねてより李幹を介して、岱泰(だいたい)王が紅賈王を擁立して軍をおこした折には、関所をあけて軍を通すという密約をかわしていた。
  そのときが訪れた。
  将軍や武将たちを先頭に、西国の精鋭部隊が列をなしてこの関所を前にしたのだ。関所の守将は、その列の中ほどに車にのった煕皇子がいるのを確認すると、密約どおり門をあけ一団を通過させた。
  二番めの関所は、見せかけだけの抵抗をしめした。が、弓矢を射かけられただけでさっさと降参の旗を城門にかかげ、同じく門をひらいた。
  三番めは風聞に翻弄された。紅賈王は人質とされ、抵抗すれば命を奪われると言われて、あっけなく門を開いた。
  四番め。ここを通過するといよいよ都という関所なだけに、皇帝がどんな人物であろうと、誰を人質に取られようと、この場を死守してみせるという頑固者の一族が護っており、これを突破するために西国の将兵たちは、いよいよ、そして初めて戦闘態勢に入った。
  軍につき従っていた二柳毛は、夜営の中にいた。
  戦争を目の前で観るのは生まれてはじめてだった。いささか緊張ぎみで眠れない。天幕を出て篝火のそばにしゃがみ、軍医であった義父、園珪が戦火を潜り抜けて旅をした話を思い出すうちに、朝もやにつつまれた。
  その空を、バサバサと大鷲の飛んでくる羽音が近付いてくる。
「猫天地だ」
  二柳毛はそう思い、立ち上がった。
  果して猫天地は大鷲とともにやってきた。だがまだ地に着く前に、空から、
「毛。皇帝は降参するって言ってるよ。煕皇子に合わせておくれ」
  と、さけんだのには二柳毛も驚いた。
「なんだって?」
  二柳毛は眉をひそめたが、猫天地の声はあまりに大きかったので、幕舎に控える兵たちにも声が届き、そのなかから紅賈王(煕皇子)へ伝えに走る者が出た。
  やがて紅賈王がやってきた。猫天地から皇后の話を聞いても、ことさら動揺する様子はなかったが、
「ここを無血のうちに開かせることができるかもしれぬ」
  と冷静に言った。牢獄で聞いた張りのある声だった。猫天地はこれを聞いて大いに喜びいさんで、うん、と言ったが、二柳毛は首をふる。
「罠かもしれません。これから命がけで働こうとしている者たちの出鼻をくじくのに、これほど都合のよい作り話はないように思います」
  二柳毛のこの言葉に、猫天地は憤慨した。
「なんでそんなこと言うのさ。誰も死なないでコトがすめば一番いいに決まってるじゃないか」
  二柳毛は、いや、とやっぱり首をふり、一段声を落として、
「大勢の前だという事に気を使ってくれ、猫天地。増してやこれらは皆、岱泰の兵士たちなのだ。またよその国の兵とは言え、皆ここまで苦労して行軍してきた。だれも今、これから命を落とすほどの覚悟を固めてここにいるのだ。それを目の前ですべて取りやめになると言われたら、どんな気になる」
「それは、その通りだ」
  紅賈王の方はさすがに少しも声を落とさず、しかし素早く二柳毛の意をとりあげ、
「二柳毛、よく言ってくれた。さすがはわが義弟、猫天地の部下だ。まず兵を動揺させないよう、それぞれの将軍に、事実を確認するまで戦闘体制を緩めぬよう指示しよう」
  と何となく上手くまとめてくれ、猫天地をふりかえり、しかし、と声をかけた。
「猫天地。よく知らせに来てくれた。あの仙女はいかがいたした」
  猫天地はうつむいた。二柳毛は、迂闊だった、とばかりに、
「そうだ、猫天地。美青蘭(みしゅらん)は……」
  と、言い始めたが、猫天地は、
「いいよ、もう」
  と泣き出しそうな顔で、傷に触れられる事でも拒むように二柳毛を睨み、きびすを返して大鷲のもとへ走った。二柳毛はあわてて後を追い、
「猫天地。もうすこし皇城の様子を知りたい。皇后の話だけでは信用がならぬ。相手は妖怪なのだ。皇帝にまこと退位の決意があったとしても、妖怪どもがそうそう簡単に……」
  猫天地はもう大鷲ごと空にあがりはじめ、
「そんなことわかってるよ。でも……」
  と、空中から言い返し、ぶすっと、
「毛は戦争をしたがってるみたいだ」
  捨てぜりふを残して飛び去った。

  朝焼けの大気を横切りながら、猫天地は、こんなとき美青蘭だったら何と言うのかを知りたくなった。
  しかし彼女はもういない。この広い天地に自分一人をおいて永遠に去ったのだ。
  かつて彼女を救うために魔神と対峙したときの気迫は、今の猫天地にはなかった。自分でもそれがわかった。それで、事をあらためもせずに、さっさと片付けたくなるのだ、と猫天地は思った。
  関所の上空をゆき、都に入りかけたときだった。大鷲がギイッと奇声をあげて身震いしはじめた。
「どうしたんだい」
  びっくりして猫天地は、とりあえず近くの山頂に大鷲を降りさせた。すると、雲にこだまして地上の音がモヤモヤと何やら聞こえてくる。
「人だ。大勢の人がどっかに集まっている」
  大鷲をよく宥めておちつけると、耳をすまして、その物々しい騒ぎを聞きとった。
「あれは、魔神への祈りの声……東南族だ!」
  猫天地の心臓はドキンと高鳴った。 一体彼ら、東南族が何をおっぱじめてしまったのかと、心が騒ぎ、つい大鷲にひじ鉄をくらわした。
「ギイッ」
  と大鷲は驚いて飛びはじめ、猫天地はあわてて鷲にしがみつく。それで鷲の両足につかまりぶらさがるような恰好のまま、猫天地は山頂から宙におどりだした。
  この変な恰好を地上ではじめに発見したのは、この妙な一団と行動をともにしていた散鬼だった。彼は口に両手をあてがって、
「おおーい、猫天地。こっちへ来いよー」
  と、大声で呼ばわった。


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