「猫天地伝」
作/こたつむり


〈6章〉36p

  蘇由殊は自分の娘を妾に差し出して、即位前から飯聞(いいもん)帝にまとわりついていたが、煕皇子に妖術を操る事を見抜かれたため、園扁(そのへん)との戦闘の折、煕皇子の参戦を飯聞帝(当時はまだ皇帝ではなかったが)にそそのかし、そのくせ援軍を出させずに其成(それなり)帝(これも当時は皇帝ではなかったが)とともに捉えさせた。
「その後、其成帝が園扁との戦いで亡くなり、孫楢や雲双が別流から皇帝の擁立を意図していたにも関わらず、父帝に帝位が転がり込んだ経緯も、全ては蘇由殊の働きであったと自分にはわかる」
  飯聞帝は帝位についたが、蘇由殊の娘が皇后の位を得るには多くの反対にあい、皇后は別系統から立てられはしたものの、皇太子である煕皇子が園扁に囚われている不安な要素をよいことに、蘇由殊の娘が皇帝の皇子(煕皇子の弟にあたる)を生んでいたため、蘇由殊は外戚として急激に力を奮うようになった。
「では、その者さえ除けば、陛下は国位をお継ぎになれるのでしょうか」
  二柳毛は遠慮容赦なく言及した。閉じ込められ、周囲にそば耳立てられてなければ、二柳毛などは口にしがたい突っ込んだ内容であった。が、紅賈王は、
「困難である」
  と、これまた少しも躊躇なく、ハッキリと答え、
「皇帝陛下ご自身が、私を次期皇帝に迎えることに積極的ではないからだ」
  と言い切った。
「それでも陛下は、未だ国位を継ぐおつもりがおありでしょうか」
「ある」と、紅賈王。
「現皇帝を追い落としてまで、それを成すご決意をおもちでしょうか」
  すると紅賈王は少し沈黙したが、やがて戸惑った様子もなくうなずき、
「父に背くは天に逆らうと同じである。しかし天が父帝をこのまま国位におくことを望まぬのなら、父への罪はやがて我身に罰を受ければよいことで、民に類を及ぼす事態になるとは思えない」
  二柳毛はつづけて問うた。
「皇帝が代替わりしても、変わらぬ現状があるのではないでしょうか」
「変えるつもりである」と、紅賈王。
  君側の奸を除くと称して、この西国(岱泰)に旗揚げを果たして力を誇示し、蘇由殊を除くか父に退位をせまって帰国を果たしたあかつきには、まず新しい組織をつくり、思い切って南下し、国土を半分にするつもりである。
  二柳毛は深くうなずいた。そのぐらいの変革でなくては悪循環を断ち切れないだろうと思っていたからだ。つづけて聞く。
「異民族の政策について伺いたく存じます」
  紅賈王はこたえる。
「いぜんより父帝に、皇帝一族として相応しくない消極策となじられた点ではあるが、そもそも建国当時から、異民族の力を借りてつくられた国土であるから、彼らに次々と反乱されてはもちこたえられない。残念ながら今の王朝には、東西南北に散らばった諸国を束ね、後から入り込んだ異民族を含め、すべての人民と領土を統括する力はない」
  さらに、この岱泰に協力をあおぐからには、岱泰に領土を譲らなくては自分のように力のない者は、やがて離反される恐れも高い。むしろ領土の一部を岱泰にゆずり、北と西の異民族に関しては、岱泰王にその処断をまかせ、自分は南がわの異民族たちと手を結び、新しい国造りを目指すのが良策といえる。
  二柳毛ですらたじろぐ、不遜といって良いほど斬新な事をこの若い王は言ってるわけだが、
「南がわっていうのは」
  猫天地は早くも身をのりだして、
「東南族とも仲良くしてくれるんだね」
  そう言ったときには、もう格子戸を両手でグングン揺さぶり、発勁を討ってぶち壊してしまった。
「そなたたちは東南族に血縁の者達なのか?」
  牢を出ると、紅賈王(煕皇子)はたいして警戒した様子もなく言い、
「魔神さえ居なくなれば東南族のすべてが敵というわけではない。いま問題なのは政治が滞っていることで、人々の不安を解消できれば、東南族とも共存しうると信じている」
  猫天地はこれを聞いて、嬉しさのあまり、あやうく紅賈王に抱きつきそうになった。が、それを思いとどまり、まず自分の体術について注意をうながした。つづけて二柳毛が、これからの脱出策を説明して、
「急ぎましょう。異変に気付いて、また兵士がやってくるでしょうから」
  と紅賈王の手をひいた。すると、
「待て」
  王は二人を呼びとめ、
「私には今、本当の味方といえる者がいない。しかし、命を張って救出に来てくれたそなたたちなら心から信用できるのだ。今ここで兄弟のちぎりをかわしたい」
「え! 兄弟? 皇帝の息子と?」
  猫天地はすっとんきょうな声をあげたが、二柳毛はおごそかにひざまづき、腰にたずさえた守り刀をとりだすと、皇子も同じように懐刀を取り出した。びっくりしている猫天地に二柳毛がおのが刀を渡すのを見て、紅賈王は、
「猫天地が年上か」
  と問う。二柳毛は、
「私の方が年嵩ですが、私はゆくゆく猫天地殿の部下として働きたいと思っておりますので」
  と辞退した。王はうむと頷き、わが手のひらにギリッと傷をつける。
  猫天地 も見よう見まねで手に傷をおってみた。
  二柳毛の見守る前で、紅賈王と猫天地はその場で傷口を触れ合い、これより自分たちは同じ目的をもった義兄弟である、とあわただしく誓いをたてあい、すぐさま脱出にのりだした。

  塔を出るや否や、いっせいに風が砂塵をまいあげた。風は塔をかこむ木々を横殴りしつつ、その枝を折り、葉をさらってあっという間に一巡し、三人の顔めがけて巻き上げた木っ端や砂利をぶつけてきた。
  明らかに人為的な仕業だと三人ともわかった。
「妖怪の野郎!」
  姿をあらわさぬその正体に、猫天地は地団太をふんで憤る。そこへ、
「猫天地!」
  意外や頭上はるか遠くから美青蘭の声が降ってきた。見上げると、一本の背の高い桧が、不思議なことにこずえは風に吹かれているのに、天空に近寄るほど、ゆったりと静けさを保って枝葉をひろげるのが目に入った。その枝の数本が赤ん坊でも抱くように美青蘭の体を守り、かこっているではないか。美青蘭はさけんだ。
「この桧は私たちの味方です。ここから目のとどく範囲までなら、紅賈王を連れ出すことが可能です」
「張蒙師は?」
「師は地にもぐり、ちょうどこの桧の根に妖気をさそいこむ手筈です。猫天地。この風はあなたが撃つ発勁によって、一波づつ越えてゆくことが出来るはずです。さいごの風波をよけたそのとき、私はこの木から身を避けます」
  そこで美青蘭(みしゅらん)は慎重な顔つきになって、ただし、と言った。
「何を聞いても、決してふりかえってはいけません」
  うんと猫天地はうなずき、次々とおしよせてくる風の波にむかって発勁を放つと、そこにだけ無風状態がかもしだされた。
「よし、行こう」
  さけび、走り出す。風がまた襲う。発勁を撃つ。しばらく前進できる。また風を撃つ。この繰り返しをつづけるうちに、はるか前方から、
「おおーい。ここだ。ここまで来れば抜けられるぞー」
  と両手を必死にふって、目的地を知らせる李幹の姿が認められた。彼のいる風景は、たしかに木も草も全くなびいていない。
「脱け出せるぞ!」
  振り返らずに、あとについてきているのかどうか不安な後方の人々に叫ぶと、猫天地はさいごの風を、えいっと押しどけた。そのときである。
「きゃあ!」
  美青蘭の声が耳にとどいた。猫天地は思わずふりかえりそうになるのをなんとか堪え、
「美青蘭?」
  と大声をしぼりあげて呼んでみた。


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