「猫天地伝」
作/こたつむり


〈6章〉35p

  西国にはすぐに入れた猫天地たちだったが、その後天空から近付くにせよ、あるいは地上から近付くにせよ、西塔一帯の妖気は凄まじいものだと知れた。
  恐るべき風圧である。空を飛べる張蒙師や美青蘭はともかく、大鷲に乗らねば彼らに遅れをとる猫天地(ねこてんち)は、妖気に敏感な大鷲に幾度となく抗われて難儀したのだ。
  ましてや空をいけぬ馬上の二柳毛や李幹は、まったく塔に近寄れなかった。近寄るどころか、まだ塔すら目にできぬ地点において、二人は馬もろとも、弾き飛ばされんばかりに後戻りを強いられた。
  塔に近寄るすべての道には、
「この先は嵐」
  とだけ書かれた看板が、通行人に注意を呼びかけるよう立てられている。
「我々にも味方をする道士はいる」
  李幹(りかん)は風音にさからって、叫びながら説明した。
「彼らによると、塔には兵士がいて、紅賈王(煕皇子)の身辺を見張っているらしい。が、その数は多くないと聞く」
  しかし、と首をふる。
「道士たちには、紅賈(こうか)王のご生存が確認できただけで、紅賈王ご自身は決して塔から出られない。そのように呪術をかけられているからだ。これを解ける道士は西国にはおらぬ」
  大声で話しあいながらも二人は風圧に押されるだけの状態に辟易して、渋々と一度、道をあと戻りした。
  一方、張蒙師、美青蘭、猫天地の三名は、ようやく塔の頂上に姿をあらわした。大鷲はそのまま空へ飛び立ち、姿を消してしまった。
「問題は脱出のときだ」
  張蒙師もやはりこれを言い、大鷲を長くつなぎとめておくことは不可能だと追加して言った。
「入るのは易いが、難しいのはむしろ塔から出る時なのだ。この塔にこめられた妖気のすべてが紅賈王の体を集中して襲うだろう。王は生身だ。力量のある者が、その妖気を替わって引き受けなくては、王の生命はとじるだろう」
「私が引き受けます」
  すかさず美青蘭が進み出、つづけて、
「猫天地。あなたは中に入って、紅賈王に東南族のことをたのんでください」
「わかった」
  美青蘭を心配しつつ、猫天地は悲壮な決意でうなずいた。
「よかろう」
  と、張蒙師もうなずき、
「その間、わしは地にもぐって妖怪の根をしらべる。全員が脱出を果したそのとき、その『根』をつついて奴らの気を散じてみよう」
「そのとき、結界を解いて皇子を脱出させましょう」
  美青蘭は応じてそう言った。
「わかったよ、二人とも。私は中に入って皇子を見張ってる奴らを、まずやっつける」
  猫天地がようやく力強く言うと、美青蘭は祈祷を始めた。彼女の頭上にほのかな光が浮き立ち、それが猫天地にむかって注がれていく。
  光に包まれた猫天地が、美青蘭の指し示す方向に身をゆだねようとした時だった。なんと大鷲が、二柳毛を背にのせて戻ってきてくれたのだ。
  二柳毛は大鷲とともにグルグル捲きの縄に縛られていた。彼を大鷲に縛り付けたのは李幹だろう。ゆえに李幹一人、塔入りは諦めざるを得なくなったが、もう時間が無いとばかり、三人は慌てて二柳毛の縄をほどき、
「よくやった」
  と、まず大鷲の頸をたたいて誉め、風にもまれて髪をボウボウにしている二柳毛をとりかこみ、今とりきめた作戦をあらためて授けた。

  塔の中央、最上階に、二柳毛と猫天地は侵入できた。二人をここに送り込んだのは美青蘭のかもしだした光の威力である。
  しかしここから先は、猫天地が露払いをせねばならない。入るやさっそく、
「何者だ」
  と、番兵が五人、ワラワラと取り囲んでくる。
「どけ」
  猫天地の動きは早かった。兵の一人が剣に手をかけたのを見るや、まずその兵士に突進してはねとばし、もう一人の兵が二柳毛に手をかけようとしているのを見るや、すぐにその兵士も弾きとばす。三人めの兵を相手にしかかったとき、のこり二人のうち一人は逃げだし、灯火を蹴倒して自分もたおれ、もう一人は大声で助勢をもとめながら廊下を奥に走っていった。
  猫天地はたおれた間抜けな兵士を二柳毛にまかせて、まずは走ってゆく兵士に追い付いて体当りをくらわせた。
  倒された灯火がだんだんと消え、ついにあたりは暗闇になった。
  壁を手探りしながら猫天地がもどってくると、すでに二柳毛は、たおれた兵士に剣を突き立てて口を割らせ、皇子の居所を聞き出していた。
「このまま、今、あいつが走っていった方だ」
  よし、と二人はうなずいて廊下の奥へ走りゆき、角を曲がると、やがて再びともされた灯火に行き会う。
「敵か味方か」
  格子戸から若々しい男の声が放たれた。郭公(かっこう)でも鳴くような、澄んで、しかも温もりも張りもある声だった。
  二人はこの声を聞いただけで、これが煕皇子である事がわかり、
「味方に決まっているじゃないか。助けてやるから、そこをちょっと離れておくれよ」
  猫天地はもどかしそうに声を返したが、二柳毛は、
「だめだ猫天地」
  と慎重に止め、背に負う荷から、一本の枝木をとりだすと、灯火に近寄って火をうつした。
  二柳毛がその明かりをもっておのが身を照らし出すことを充分承知しているかのように、煕皇子は格子戸ふきんで微動だにせず、じっと二柳毛を見返してきた。
  落ち着いている。
  二柳毛も猫天地も、まずそのことに驚いた。見た目にはきゃしゃな若者で、火に照らし出される顔はつくりが端正なうえ、女のように肌が美しかったが、瞬きひとつせずに、
「何を聞きたい」
  などと問う声には、胆のすわりきった重々しささえ蓄えられている。
「まずは」
  二柳毛は皇子の前に額づいて礼を取り、まず猫天地を紹介し、ついで自分は客として猫天地に迎え入れられた者と名乗ろうとしたが、猫天地はさっさと、
「私は猫天地。こっちは二柳毛っていうのさ」
  と片付けた。
「猫天地?」
  紅賈王(煕皇子)ははじめて端正な顔を笑みくずして、
「いつぞや李幹から聞いたことがある。都の魔神を倒した、あの猫天地か」
  そう聞いた上で、さらに落ち着いて再び問うた。
「何を聞きたい」
 
二柳毛は口火を切った。
「まず、御身をこのような所に閉じ込めるのは、何者の仕業がお明かし下さいませ」
  紅賈王は答えた。
「自分が生まれた頃から父帝のご身辺にまとわりつくようになった者だ」
「弟君の祖父にあたる側近の……?」
「蘇由殊(そゆこと)」
  皇帝の側近の一人として名を知られていた。


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