「猫天地伝」
作/こたつむり


〈5章〉33p

  やがて其成帝は曹鴨を討ち果たしたがその後の園扁との戦いで亡くなり、いよいよ皇帝の後継が危ぶまれた時、孫楢(そんなら)と雲双(うんそう)は、皇太子たる煕皇子が園扁にいる事を問題にあげて、飯聞(いいもん)帝の擁立に難色を示し、めいめい別の皇帝を立てる事で確執が生まれ、その後、飯聞帝が即位した後も内紛へもつれこんで戦乱が長引いた。
  今この国は「朝日の昇らぬ国」(後継者が他国に留め置かれている国)と陰口を言われる有様で、また側近の娘が飯聞帝の元に侍って、新たに皇子が生まれて以来、どうやらその側近が外戚として急激に力を奮っているようで、後宮は皇后にさえ介入できず、むしろ皇后においては、明日にも我が身が危険に晒されるのでは、と日々脅えながら暮らす有様で、ますます国は乱れる一方である。
  自分は元は笛唐国の宰相の地位にあり、多くの百官が園扁に連れ去られた時も難を逃れたから、飯聞帝の即位が決まるや、ことあるごとに煕皇子奪回を論じて来たが、やがて閑職に追いやられ東北に飛ばされた。
  おかげで東北の地で人材を登用する職務につき、二柳毛(にりゅうもう)とは知己となるなどの幸いもあったが、その後も、煕王子奪回を諸国のあちらこちらの勢力に働きかける内、西の岱泰が園扁の国境を越えて攻め入り、煕皇子の身柄は園扁から岱泰へと移った。
  が、岱泰における煕皇子への扱いは丁重で、外部との接触に好意的な配慮すらあり、また笛唐との関係も険悪でなくなって以来、皇子の要請に応じて李幹が岱泰に招かれるにまで及んでいたが、ここに来て急転直下、皇子が幽閉されたとの報告以来、連絡が途絶えたままとなり、皇子の身の上が案じられてならない。
  滔々理路整然と展開される、しかしめくるめく異常な話に、猫天地は、目を白黒させるのもついに限界に達し、
「なんのことだよ、毛。これは一体、なんのことなんだ!」
  錯乱して喚きたてた。二柳毛は、まあまあ、となだめる。
「よく聞いてくれ、猫天地。紅賈王(煕(き)皇子)を擁立することは、東南族にとっても不利にはならない」
  いま東南族は朝廷にとって不具戴天の敵であるから、これをただでさえ我々にとって近寄りがたい皇帝とその百官を相手に主張したくても、即座にその周囲に一蹴されてお話しにもならない。下手をすれば反逆罪にとわれかねない。
  しかし今話にあげている煕皇子ならば話は別だ。自分を助けてくれるとあらば、その者の主張を融通する可能性もまったく無いとはかぎらない。
「紅賈王(煕皇子)の復帰をのぞむのは我々ばかりではない。亡くなった皇后(煕皇子の生母)の一族をはじめ、現皇后ならびに諸侯や臣下にも、折あらばと機を待つ人は、ずいぶんといるらしい」
  なぜなら、皇帝に新しく生まれた皇子は未だ幼い上、外戚となった側近の言うなりに、皇帝は不老長生ばかりにうつつを抜かし、このことが国を荒廃させる元凶になっている。二柳毛はそうつづけて、こんにちに至る政情不安を解説した。
  ところが、猫天地にはあいかわらず訳がわからず、しかもどうしても話に納得できない部分があった。首をかしげながら、
「だけどさ。東南族とかがダメだってのは、お父さんの皇帝が言ってるんだろう? それに息子の皇子が帰ってきて反対したら、親子げんかになっちゃうじゃないか」
「猫天地。親子げんかにとっくになっているのだ。政策への考えの違いは前からあったようだが、それも所詮は表向きのことにすぎない。皇帝は紅賈王の亡くなったご生母の一族を疎んでいる。そもそも皇后になるべきだったこのご生母は、皇帝をそそのかす者がいるのか、皇帝の命令かはわからぬが、皇帝の息のかかった者に毒殺されたという噂すらある。その血をひいている紅賈王がいかに優れた人でも、皇帝には紅賈王に跡をつがせる気はないのだ。だからこそご自身の長男でありながら、また国を継ぐべき皇太子の立場でありながら、皇帝はこれまでも紅賈王の奪還に積極的ではなかったのだ。今はただ紅賈王が人柄に秀で、それを惜しむ人があまりに多いので、皇帝も政策の違いをあげてみたり、他国との交渉の困難にかこつけて遠ざけているにすぎない。いずれ手の者をまわして暗殺するかもしれない。今はすでに、その決意をする段階に入っていると言っていい」
「殺すってこと? 親が子供を?」
  そんなことはありえないと猫天地は言った。しかしすぐに、もしそれが本当なら、と前置きして息を吸い、
「煕皇子って人はかわいそうだ!」
  そう叫ぶと、猫天地はその場につっぷしてオイオイと泣きだした。
  自分も継母にはずいぶんと疎まれた。そのために厄介払いをされて海辺の漁師に嫁がされたのである。しかし血のつながった父だけは死ぬ寸前まで自分をかわいがってくれた。ぶったり蹴ったりもされず、ましてや殺されたことなんか一度もない。
  かわいそうだ、かわいそうだ、を連発したあげく猫天地はやっと顔をあげ、
「わかった。助けてあげよう!」
  目を真っ赤にしてしゃくりあげながら同意した。

  煕皇子を助けてあげようとは思ったものの、猫天地は、遠い西国へ旅するのが憂鬱であった。
  美青蘭と別れて暮らさなくてはならないと思ったからである。
  ところが美青蘭は、猫天地から話を聞くや、目を輝かせ、
「私も行きます」
  と言った。猫天地は首をふり、
「ダメだよ。東南族の人たちには美青蘭が必要なんだ。以前、毛が言ってたもの。あの人たちだけ勝手に仲良くしてるって具合に見られるのは、みんなをまとめていくにはウマくないんだってさ」
「いいえ。この件は例外です。今回のことには、私も柳先生(二柳毛)同様に、東南族の今後がかかっているのだと思っています。皆には私から説明します。結局は国政を立て直さなくては根本の解決にならないと、誰もがわかっているはずですから」
「え、そうなの?」
  わかってないのは自分だけのようだ、と猫天地は目を丸くした。
  そこで居住まいを正して、美青蘭は話し出した。
「紅賈王(煕皇子)の事は、私もしばしば噂に聞いていました。岱泰にはもともと異民族が多く、その排除よりも優遇する政策を取っていると聞きます。そして、こうした考えには、紅賈王の意見が取り入れられているとも聞きます。西国の異民族を優遇するという考えは、そのままこの国に持ちかえれば、現在都に入り込んでいる東南族も優遇するべきだとお考え頂けるように思えるのです」
  なるほど、と猫天地は感心して目を輝かせたが、
「わかったよ、では皇子に会えたら、美青蘭の考えと同じかどうか聞いてみる。でも来るのはダメだよ。やっぱり危ないもの。美青蘭にはウチにいて安全にしていてもらわないと私が心配なんだ」
  めずらしく、顔をやや蒼白にして首をふった。
「何が危ないのです?」
  美青蘭が聞くと、猫天地は、うん、と深刻そうに言って、
「妖怪だよ。何でも術を使うのだとか聞いたけど、煕皇子にとりついて閉じ込めた所から出さないそうさ。そんな事が出来るなんて、魔神よりおっかない。化け物みたいなもんだ。だから私はこれから張蒙師のところに行って、いっしょに来てくれってお願いするつもりでいるんだよ」
  すると美青蘭も、ふと深刻そうな顔になり、
「実は、紅賈王が岱泰に幽閉されているという噂は、私も耳にしたのですが、それはかなり最近の事で、前は岱泰王に客人としてもてなされ篤く遇されていたとも聞きました。それが急転したのが政治の判断ならば、私達にはどうしようもありませんが、気になるのは、紅賈王が幽閉されている場は、軍馬を乗り入れても取り戻せないような場所である、という噂です」
「李幹て奴もそんな事を言ってた。どういう事だろう?」
  煕(き)皇子を救出するにあたっての最大の問題といえば、皇子の幽閉されている塔にただよう妖気であった。自然を巧みに操るがゆえに、塔には何人も近寄ることは出来ないという。かつて魔神退治にすら自信たっぷりだった二柳毛が深刻に話すのを聞いて来たばかりの猫天地は、拳をふりあげながら、
「前から変な奴だとは思ってたけど、皇帝ってホントに根性のひんまがった奴だね。いぜん張蒙師や美青蘭と仲良くしたがってたけど、あれは魔法の使える人を悪いことに利用するためだったんだ。そういう人の中には皇帝の言うとおりにする奴もいるんだって。煕皇子はそういう奴に虜にされてて、せっかく助けようとする人がいても塔から出てこられないんだろう」


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