「猫天地伝」
作/こたつむり


〈5章〉32p

  二柳毛の心は熱くなった。かつて仙山でただ寄る辺のない日々を送っていた猫天地が、今は多くの人のために悩むのを見ると、もしもこれで人生を無為にしてしまったと世の人にいわれようとも構わない。そういう気持ちになってきた。
  しかし猫天地は、
「わかったよ、毛」
  と、アッサリ立ち上がった。
「やっぱり詩を歌うのと、政治がどうとかいうのは違うんだね。それがわかっただけでも来てみて良かった」
  早くもひきあげようと踵をかえす。
「待ってくれ、猫天地」
  二柳毛はあわてて後を追い、
「政治がどうとかいうのは、実のところ私も興味がないのだ。だから今の意見はさておいて、それとは別に何かおまえの役に立つことはできると思うのだ」
「どんなこと?」
「それはこれから考える。政治論はともかく、私もおまえのように、とにかく今自分が正しいと思ったことのためについていきたい」
「え! ついてきてくれるのか」
「そうだ」
「都まで来てくれるのか」
「都にかぎらず、どこまでもついてゆこう」
  そう言って、二柳毛は弾かれないように用心深く猫天地の袖をたたいた。瞬時、夜空に突風が舞い上がり、猫天地の袖をいっきにふくらませて、二柳毛の手のひらにパッパッと心地よい感触が伝わった。

  二柳毛は東北の地に、ふたたび妻の園慕一人をおいて都に旅立った。
  道中、猫天地は何度も聞く。
「なんで奥さんを連れてってやらないのさ」
  すると二柳毛は、
「まずあの家を守ってもらわなくてはならない。仙山にとどめおかれ、また自らも仙人の道を好んでいた長い間も、妻が家を守っていてくれたからこそ、こんにちの自分がある」
「なるほど」
「それに彼女は、私がおまえを導いてやる立場だと思って、快く送り出してくれたわけだが、実際にはそうではない」
「本当はどうなの?」
「それは都に行けばわかる。何しろ女というものは、自分の夫が何か社会貢献でもして立派な男になってくれることを望むものだが、世の中はそんなに甘くはない」
  不思議なことばかりを言う二柳毛だったが、都につくと、二柳毛の考えのひとつが確かに形をあらわした。
  着いたとたんである。
「殿はまずお先に中へ」
  と、いきなり猫天地の家の真ん前でひざまづく。
「なんのことだよ、毛。『殿』ってのは誰だい」
  仰天して立ち止まる猫天地を、せっつくように目配せして家の中へ入れてしまうと、二柳毛はあとに従って自分も中へ入り、窓をおしひらいて出迎えにつめかけた武芸者たちや東南族たちに、
「さあ。おまえたちはそこを離れるんだ。ここは殿の許可なくして近寄ってはならぬ」
  大声をだして威圧する。
「何言ってんだよ。どこに誰がいようと勝手じゃないか」
  猫天地が詰め寄ると、二柳毛はニコリと笑い、ふたたび窓の外にむかって、
「殿がこのように仰せである。ありがたく礼をせよ」
  と声をかけなおした。
  詰め掛けた人々は、なんとなく威に気圧されて、ヒョコっと頭をさげたものである。
  二柳毛は満足げにうなずき、小声で猫天地に、
「あれでよいのだ。おまえは今までどおりに皆と仲良くしてればいい」
  と、耳打ちする。
  ところがそこへ、挨拶に出てきた美青蘭を見付けるや、二柳毛はたちまち地に平伏し、難解な言葉を羅列しながら大仰に挨拶をかえすのだ。
  この日から、二柳毛の猫天地と美青蘭にたいする態度は始終この様子であったから、猫天地たちをとりかこむ人々は、口々に、
「あの人は一体なんなのだ」
  という質問を猫天地にくりかえした。
  こまった猫天地は、その都度、
「毛は私の頼みで来てくれたんだけど、私は貧乏でロクなもてなしも出来ないから、タダで来てくれた先生みたいなもんさ。先生ってのには謝礼を払うもんだろ? 私はそれすら払えない。でも困ったときになんでも教えてくれるんだ。だからみんなも仲良くしておくれ」
  と説明し懇願した。
  はじめはみんな、この「先生みたいなもん」と言うのに困惑したが、
「猫天地が『先生』というのだから、少なくとも恩人ぐらいには当たるのだろう」
  と想像し何となく納得した。
  以来、二柳毛は猫天地の客人として認知され、猫天地だけでなく、その周囲の人々にも知恵をかしてやったので、人々も二柳毛をまねて、猫天地と美青蘭の言うことを少しは重んじようと努める姿勢を見せはじめた。
「やっぱり毛に来てもらって良かったよ」と猫天地。
  散鬼も大いにうなずき、
「最初はどうなることかと思ったけど、今じゃ俺が自衛団長、猫天地(ねこてんち)がこの町の大将ってわけだ。美青蘭だって、東南族の新しい教祖様みたいなもんだからな。ただ人を集めてくるだけじゃなくて、それぞれみんなのまとめ役になったから、三人が仲良くしてればみんなが仲良くできるって作戦だったんだな」
  二柳毛の力量に感心をしめしている。
  猫天地はすっかり気を良くして、二柳毛に、
「このままここに居ておくれよ。奥さんも呼んでさ」
  と感謝したが、二柳毛は、
「いや、こんなことだけで保っていられるものではない。元の根は結局『政治がどうとか』というところに原因があるのだからな」
  そう言うと、やがて旅支度をととのえはじめ、行く先も告げずに都を離れたのである。

  旅からもどってきた二柳毛は、一人の男をつれてきた。
  この国の元宰相で名を李幹(りかん)という。『元』というのは、その後は罷免されて閑職にあまんじた果てに、今は新たに伸張してきた西方の岱泰(だいたい)国で働く身の上だからである。
  二柳毛に紹介をうけるや、この李幹はおもむろに、
「岱泰に幽閉されている皇帝の長男、煕(き)皇子の救出に力を貸してほしい」
  と猫天地に嘆願し、まるで皇帝にでも接するように床にぬかずいた。あっけにとられている猫天地を前に、李幹は内訳を話し出す。
  煕皇子は形の上では紅賈(こうか)王と名乗っているものの、現在は岱泰国にいる。それは、曹鴨(そうかも)が亡命した煽りで、笛唐(てきとう)が園扁(そのへん)に攻め込まれた時、其成(それなり)帝とともに園扁に捉えられたことに端を発する。
  その後、其成帝は笛唐に返されたが、煕皇子は園扁に留め置かれていた。


31p

戻る

33p

進む