「猫天地伝」
作/こたつむり


〈5章〉30p

  この五年の間、世の中は又しても大きく揺れ動いた。
  北国からきた武将の曹鴨(そうかも)によって、又はこれを倒す騒乱によって都が荒廃し、前の皇帝、其成(それなり)帝の本拠南嘉(なんか)に北方の園扁(そのへん)が攻め込み、其成帝が殺された事は、前に述べた通りである。
  多くの官吏がこの南嘉に身を寄せていたが、この百官たちはもとより、都に並んで栄えていたこの南嘉の庶民にいたるまでが、北方軍に追い立てられて園扁に連れ去られ、拉致されたり酷使されたり売り飛ばされる憂き目にあっていた。
  其成帝の部下、雲双(うんそう)と孫楢(そんなら)の同盟もその後は崩れ、都で魔神騒動が持ち上がった直後、ついに孫楢が雲双を討ち果し、世情はようやく安定を見るかに思えた。
  が、そこへ南北の騒乱と内紛につけいって、西方から起こった岱泰(だいたい)という国が伸張して来たのである。北の園扁(そのへん)は既にこの時、やはり内紛によって東西に分裂しつつあったが、その西側は瞬く間に岱泰に国土を割譲され、南の笛唐(てきとう)も国境を何度も侵され、都も脅威にさらされた。
  しかし騒乱に明け暮れた後の孫楢には広い国土を守りきる力は無く、孫楢は脅威から守ると称して、飯聞(いいもん)帝と、遷都かと思うほどの夥しい人をおのが本拠である東南の地に連れて行こうとした。が、飯聞帝の側近が軍閥どもを動かして、その動きを牽制するなどの騒動を繰り返していた。
  岱泰は和睦を受け入れ勢力を引いたものの、国土の一部は未だ帰らず、いま笛唐には小さな軍閥が割拠し、都(もう「都」と言えるかわからないが)では、孫楢と争っていた雲双が連れ込んだ東南族が、連れ込まれた時そのままに残留されている。
  魔神が去ったとはいえ、東南族の少数民族ゆえの貧しさ苦しさは変わらなかった。かつて荒れ果てた漁村に嫁いだことのある猫天地には、そうした人々の苦労が身にしみるのだった。ある者は身を売り、ある者は美青蘭のごとく仙人にあこがれ、ある者は、再び魔神信仰に走る。そのようにしてしか自分たちの身の処し方がみつからないのである。
  ところが、都でそうした東南族に同情を寄せているのは、猫天地一人と言ってよい。
  散鬼の手下となった元盗賊どもからは無頼漢ぶりがなかなか抜けず、もともと貧しく立場の弱い人にたいして傍若無人なふるまいが多かった。中でも女性にたいしてはすこぶる不埓で、少女も人妻もみさかいなく手をつけて孕ませたり、言うことをきかない女などを、すぐさま強姦の憂き目にあわせて散鬼を悩ませていた。その上彼らの中にはろくに言葉も通じない者が多く居て、ただでさえ口先の上手くない猫天地や散鬼が、この連中を教え諭すのがまた一苦労であったのだ。
  そこへ東南族である。
  都とその周辺には、異民族に襲撃されて住む処を失った者が多かったから、東南族たちが美青蘭につれられ、散鬼の顔ききであばら家に入居するや、そのうちの五人が近所の住人にとりまかれ袋だたきにされたあげく、一人が死亡してしまった。
  東南族のほうにも、迫害をうけるや、呪術をこらして折あらば人の運気を損ない、得意の毒薬を煎じて一服もってやろうと狙いすましているのだった。
  猫天地の名をきいて集まってきた者たちの中で、血気にはやる武芸者やら無頼漢たちにも手を焼いたが、どちらかというと問題なのは兵士たちである。
  あるとき、猫天地のもとに、またもや王宮から使者がきた。今度は皇帝からではなく軍人からだった。この軍人というのも、始終合体したり分裂する軍閥に属しているらしく、人集めに奔走しているようで、要は士官の薦めである。
  前例で嫌気がさしている猫天地は、使いをさしむけた将軍を訪ねてゆき、じかに断った。すると将軍は数人の兵士を猫天地に紹介したのだ。
  この連中が、『英雄、猫天地の信奉者』と聞いて、猫天地はすっかり気を良くした。妻、美青蘭との新婚所帯に彼ら兵士が顔を出すようになったのは、この時からである。
  彼らは皇帝に仕えながら、心ひそかに王朝の腐敗と堕落を憂いている。昼日中から猫天地のもとを訪れたりできるのも、今は兵士の調練が禁止されているからで、噂では兵士の内部から暴動が起こる事を恐れてだという。兵士の多くは北の異民族の血を引いていたが、先年東南族を交えた部隊から例の魔神騒動に乗じた者が出たものだから、そのとばっちりで兵士達は疑われるべき存在となった。
  調練されない兵士に給金が支給されるわけもない。先年、異民族に都を急襲され、あわや占領のうきめにあいながら、いざというときに皇帝と都を守るべき兵士に無聊をかこわせているようでなんとする。兵士たちはよく激高して憂国論を叫び、国の未来なんてどうでもいい猫天地を、すぐにウンザリさせた。
  それでも猫天地は、この兵士たちを、
「エライ人たちだ」
  とは思っていた。なぜなら優れた忠臣は地方に飛ばされたまま戻らず、今は調練の禁止にかこつけて、裕福な兵士たち、あるいは特別に支給を得ている軍人の多くは、本当に堕落して人々の血税にあぐらをかき、仕事を怠けられることをむしろ喜んでいたからである。その一方で無禄の兵士達の方は自衛団の奉仕活動にも積極的だったし、何より礼儀正しかった。
  そこで猫天地は気をとりなおし、都のために『英雄』がなすべきことを問うてみたのだ。
  すると困ったことに、彼ら兵士たちは口をそろえて、
「都にはびこる東南族たちを、ただちに追い出すべし」
  と言うのだ。軍人達にとって東南族といえば、唯一組織を結束させるに都合のよい標的であったから、東南族はいま王朝転覆を狙う大凶の根源とばかりに入隊をこばまれている。そうした組織の下にいる兵士達に東南族の評判がいいはずがない。
  しかしそもそも東南族のいた地域には、今は孫楢が「やがて帝を迎えるため」と称して立て篭もったまま、しかも宿敵だった雲双の配下に何度も命を狙われたものだから、疑わしき東南族もその領土に近寄せない。
  つまりはたいそう矛盾した成り行きなのだが、袋だたきや婦女暴行と勝手がちがって、皇帝とか王朝とか国家とかいうものが絡んでしまうと、猫天地や散鬼もお手上げだった。
  そんな猫天地の耳の奥に、二柳毛の詩は染みとおって、しかも抜けていかなかった。東南族の試練に重なり、自分の悩みを言い当てられているようで忘れられなかったのだ。
  悩みつくして、まんじりともせず朝をむかえると、猫天地は寝台をおりて貯えてある水をガブ飲みした。窓辺でおなじく物思いに沈んでいる美青蘭を見付けて、彼は、
「毛に会ってくるよ」
  と言い出た。
「気を悪くしないでおくれ。私は楽阜とちがって、張蒙師の考えを上手に生かせる器じゃないんだよ。今、考えると楽阜は立派な奴だった。張蒙師は政治のことには関与するな、なんてよく言うけれど、楽阜はその通りにしてても、みんなを喧嘩させたりしないですませられた。私はどうもうまくいかない。だから誰か他の人に教えてもらうしかないんだ」
  そこまで言ってから、猫天地は美青蘭(みしゅらん)の言葉を待たずに、
「でも、今でも毛が、美青蘭と結婚するなって考えなら、私は何も聞かずに、やっぱりブン殴って帰ってくるよ」
  と、慌ててつけくわえた。
  美青蘭は目に涙をためながら、
「私たちが、あなたの足手まといになるのなら……」
  と言い出したのを、猫天地は首をふって、
「イヤだよ。私はぜったいに美青蘭とは別れたくない。美青蘭も東南族の人達を見捨てないですむよ」
  と、涙を美青蘭の倍はあふれさせ、鼻水を飛び散らして妻のひざにとりすがり泣き叫んだ。

  東北の故郷にもどってからの二柳毛は、勉学に精を出し、仙山で学んださまざまな知識を書物に書きとめたので、山をこえた遠い里にもその名は伝わり、知る人ぞ知る賢人という評価を得ていた。
  東北の地には、東南族とはまた違った異民族が入り交じり、かつてはそれがゆえに交易のさかんな活気ある土地ともてはやされていたのだが、今や中央の王朝が衰退をきたしてしまったために統制は混乱し、風紀秩序ともに異民族におされがちであった。
  しかしこの地をおさめる領主たちはみな賢明で、こんな時にこそ有能な人材を民間から登用するべきであるという改革案がもちいられたため、二柳毛のもとにも何度となく領主たちの使いがおとずれてはいた。


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