「猫天地伝」
作/こたつむり


【第2部】


〈5章〉29p

  無数の篝火が、あたりの宵闇をはねかえしている。大勢からなる歌声は、さらに活況を呈する。

  山は咆え、海は荒れ狂う。
  火は燃えさかり、鳥たちは逃げまどう。
  天は怒り、地の騒乱は終わりを見ない。
  せめて歌えや踊れ、今を酔わずして生あるか。

  ただでさえホロ酔いのところを、琵琶や笛の音に囃されたものだから、猫天地は、パッと立ち上がると美青蘭の止めるのも聞かずに踊りだす。
  すると周囲から、ワアッと歓声があがる。
「あれは男踊りか、女舞いか」
  みな首を傾げるのだが、猫天地の踊りは、彼が女であったころから少しも変わらずに、まわりを魅了せずにはすませぬ不思議な艶に満ちていた。
  しかしそれにも増して不思議なのは、この宴会を囲む人々とそのさらなる空間だった。
  都のど真ん中である。中央に大きな壇上が組み立てられ、猫天地は今、その上で踊り興じ、人々はその下で焚火をたき、めいめい獲物を焼いては食らっている。それをさらに囲む町は、昼間なら、じつに風変わりな出来ぐあいを露出する。
  無数の雑居風景である。窓から雑草が顔をだす廃屋。路上には天幕(テント)と掘立て小屋。いや、屋根のある暮らしはまだよい方で、屋根の上にむしろを敷きつめて寝泊りする人もいるし、地下をわざわざ掘りおこして生活する者までいた。
  いぜん死体の寝そべっていた橋などは、その下が細かく仕切りが設けられたあげく、集合住宅所に化けてしまい、一見すると橋なのか建物なのか区別できない代物になってしまった。
  この町なみは、ひとつの倉庫を中心に展開している。楽阜と散鬼が活動の拠点としていた、例の倉庫であった。
  もともと倉庫は大富豪となった商人のものであった。その家の主人が隠居をして都をはなれてのち、あとつぎが絶えたため、都の中央を占めていたこの氏の所有地だった店や倉庫のたぐいは放置されたまま、この戦乱期を迎えている。
  はじめここに、職を求めて都にやってきた人たちや、失業し路頭に迷った人などが雑居していた。いわゆる貧民窟である。これを役人がとりしまるのであるが、その役人自体がよく交替を繰り返すので全うされず、そういう荒んだ状況に目をつけたイカサマ賭博士や占い師がたむろし出してからは、ガンとなって都じゅうに転移の根をのばし、やがて都にたかりに来る盗賊たちには恰好の溜まり場と化した。
  楽阜と散鬼が、これら『悪い奴ら』を一掃したのは良かったが、ここに散鬼(さんき)が、貧民や元盗賊、大道芸人たちを、美青蘭と猫天地が故郷に帰れぬ東南族をつれこんだ結果、しじゅう大混雑と喧噪だらけのものすごい町になってしまったのだ。
  そこへさらに、『一世一代の英雄、猫天地』の名を慕って、各地から武芸者や自称『豪傑』たちがゾロゾロと群れ集うので、今や自衛団も満員であったのだ。
  楽阜が仲間をさがしに旅に出て、すでに五年の歳月がすぎた。未だ帰らぬ『兄貴』にかわって、今では散鬼が団長をつとめていた。
  この散鬼も妻を得て、二児の父親である。今夜も子供一人をひざに寝かせ、一人を頭の上によじのぼらせて遊ばせつつ、又してもお腹の大きくなっている妻と一緒になって、
「こんどは美青蘭の番だ。美青蘭、美青蘭」
  と、囃したてている。
  美青蘭はこたえるようにほほ笑み、しかし壇上にはのぼらずに、その場で歌いはじめた。
  あたりは打って変わって、夜雲の流れる音まで聞こえるほどに鳴りやみ、仙女の声に耳をすます。

  貧しく病みつかれ、人はうたかたの夢に酔う。
  ある者は戦いに出て力尽き、ある者は一人仙人になろうとしてかえって道を踏み迷う。
  この世の良きことがらが人を救えないのはどうしてなのか。
  なんのために学びなんのために戦うのか。
  なんのために迷いなんのために悩むのか。

  美青蘭(みしゅらん)が歌いおわると、猫天地は身をのりだして、
「今のをもう一度うたっておくれ」
  と、頼み、ポロリと涙をこぼした。
美青蘭がうなずき、ふたたび歌うのを、猫天地は壇上で独りひざをかかえながら聴き入った。
  猫天地は美青蘭の歌に泣き、人々は猫天地のそうした姿に、しょんぼりと肩をおとした。
  歌が再び鳴りやんでも、猫天地(ねこてんち)はそのまま動かなかった。人々は一人去り二人去り、宴は自然とお開きとなっていった。
  美青蘭と猫天地だけが居残った。
  歌い終わり正座をしたひざの上に両手をくみ、じっと見詰めてくる美青蘭に、猫天地はようやく口を開く。
「さっきのは美青蘭が作った歌?」
  美青蘭はこたえて、
「いいえ。東北の山あいに暮らす、柳先生といわれる人の詩で、その姓は二柳、名は毛と聞きました」
「二柳毛だ!」
  猫天地は立ち上がり、そのまま呆然となった。
  かつて裏切られて憤り、袂を分かったままのあの男が……。そう思うと猫天地ははじめ、涙を流して感動してしまった自分に腹が立ったのだ。今までも、その名を耳にするだけで髪をさかだてて怒りちらしてきたからだ。
「毛は、私と美青蘭が結婚するのに反対したんだ」
  ふりかえって猫天地は、まずこれを言った。
「美青蘭は、なんであいつの歌なんか歌うんだよ」
  すると美青蘭は、
「どこの誰のものであっても、同じ歌をうたいたくなれば歌うことがあってもいいではありませんか」
  と、答えた。
  猫天地はこれを聞いて、しばらく黙った。かつて猫天地が仙山で二柳毛に言った言葉だった。それを今彼は、美青蘭に言われていた。二人を見下ろす星空に雁の群れが飛翔してゆく。
  やがて猫天地は、うん、と小さくうなずき、後をおいかけるように、うんうん、うんうん、と何度もくりかえし、壇上に立ち尽くしたまま、また涙を流した。

  猫天地は『英雄』という奴をやってみて、つくづく肩が凝った。
  なぜなら『英雄』猫天地と『仙女』美青蘭、そして『自衛団長』散鬼をとりかこむ人々は、それぞれ、ものすごく仲が悪かったからだ。
  今夜のように浮かれ騒ぐ場になると、みんな大いに飲んで楽しむのだが、これが一夜を明け、さあみんなで仲良く暮らそう、という段になると、町はとたんに修羅場と化すのだ。
  美青蘭を妻とした猫天地は、東南族と行動をともにしてみて、魔神をやっつければ総てが解決するわけではないと、さんざんに思い知らされた。
  今もって世情は、あいかわらず各民族が割拠し、争乱はたえない。前より一層争いが増えたと言う方が当たっているかもしれない。


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