「猫天地伝」
作/こたつむり


〈4章〉26p

  天戒師は激しい口調で、
「このおろか者! おまえはいつでも人を騒がせ惑わせる。かつて師弟の関係にあったこのわしが、おまえを始末するしかない」
  と、怒鳴りつけるや、細長い金色の杖の先端を、ピシリと音をたてて床にたたきつけた。
  床に伝わった金杖の震動は、猫天地にとどくや、彼をかばおうと身をおどらせた美青蘭をあっけなく弾きとばし、猫天地を、
「きっきいーっ」
  と咆えるサルに変えた。
  二柳毛はこれを見て色を失い、傍らの楽阜に、
「よいか。隙をついて美青蘭(みしゅらん)を奪い、ここから逃走するのだ」
  と声をかけると、あっというまに美青蘭に近寄った。
  美青蘭はたおれ伏してもなお、猿に変身した猫天地に近寄ろうと身をよじって床を這っていたが、二柳毛にすばやく術をかけられた。
  すると美青蘭の姿は瞬く間に消えた。天戒師(てんかいし)の弟子たちは身構え、
「誰だ!」
  と警戒したが、天戒師だけは落ち着きをもどして、
「さわぐな。二柳毛(にりゅうもう)だ」
  と、弟子たちを制止させた。
「そのとおりだ。師よ」
  二柳毛はやにわに姿をあらわした。そして不敵にも天戒師をゆびで差し、
「ふがいない師よ。なぜ魔神がやってくるのばかりを待つのだ。自ら魔神に攻め入らぬのだ」
  じつは居並ぶ人たちが思いながらも、言い出せなかった問いを口にした。そして、
「結局は、張蒙師も天戒師も、魔神を追いおとせないために、美青蘭や猫天地に責任をなすりつけているにすぎないのだ」
  と、決め付けた。さらに、
「自分が、みごと魔神を打ちやぶってやろう。月の出ぬ夜、私は再びこの王宮にやってくる。それゆえ、その猿をさっさと元にもどすがいい」
  完全に命令口調でまくしたてた。
  驚いたことに、そうした二柳毛の無礼にたいして天戒師は、目配せひとつで猿を元にもどしてやり、
「それでは、楽しませてもらうとしよう」
  と、捨てゼリフを残すと、弟子をひきつれ、さっさと皇城から姿をくらましたのである。

  助けてもらった事がわかっているのか、いないのか、猫天地は二柳毛に、皇城の上空につれだされ、やがて郊外の荒れ果てた寺に到着するや、
「毛。美青蘭はなんで消えたんだ。パッといなくなっちゃったじゃないか。死んだのか。毛がどっかに隠したのか」
  さっそく二柳毛の胸ぐらをつかんで詰問した。二柳毛はへきえきとしながら、
「楽阜が、今ごろはどこかに避難させているにちがいない」
  そう答え、なだめる。
「楽阜は美青蘭を逃してくれるかな」
「大丈夫だ。そんなことより猫天地」
  二柳毛は、人がすっかり寄り付かなくなった寺に草をわけいって近付き、がらんどうな建物に入ると、床にたおれていた燭台をおこして火を灯した。
「いいか。魔神を退治しなくては、美青蘭は助からないのだ。魔神がいるかぎり天戒師も張蒙師(ちょうもうし)も、かならずふたたび美青蘭を囮につかって、魔神をおびき寄せようとするにちがいない。それでは、魔神は退治できても、その前に美青蘭は魔神のえじきにされ、殺されるだろう。それゆえ、こちらから仕掛けていくしかない」
  猫天地は、うん、と同意し、
「来るのを待ってる、なんてやり方だから、美青蘭が必要ってことになるんだ。こっちから行けば、美青蘭ナシでも魔神をやっつけられるんだね」
「そうだ。そこで、猫天地。おまえが皇城に入ってくるとき、おまえはどうやって魔神の包囲を突破してきたのかを知りたい」
  二柳毛は既にただ一点、この問いへの答えのみに全ての解決策があると踏んで問い掛けたのだが、
「そりゃあ、もう」
  猫天地は顔を真っ赤にさせて力み、
「美青蘭。美青蘭(みしゅらん)。美青蘭ーって、それだけだよ」
  二柳毛はポカンとしたのだ。何が『それだけ』なのか、さっぱりわからない。わからないながらも、ふと、
「それなら、同じ事情で『お日さま、お日さま、お日さまー』と、思うことはできるか」
「お日さま?」
  猫天地は首をひねり、それはどうかな、という顔をした。
  猫天地は美青蘭以外には興味が無いのだ。そこで二柳毛は一計を案じた。
「ここに来るとき、美青蘭は太陽光をまねきいれて魔神の侵入をふせいでいたが、それはきっと、魔神が太陽光に弱いからなのだろう」
  と、まずは間違いないだろう事実を述べ、
「じつは美青蘭は今、安全のために太陽にかくまわれているのだ。魔神をたおすその時、おまえは天のはるか遠くまします日輪にむかって、そこにいる美青蘭との再会を祈念するのだ」
  と、しまいには嘘を加えて指示にかえたのである。いかな仙女と言えども、太陽に身を隠すなど出来るわけがない。
  しかし猫天地は、そうか、とあっさり信じ、すぐに実行に移そうとむしろ二柳毛を促した。

  予告したとおり月の出ぬ夜。二柳毛と猫天地は行動をおこした。
  例の大鷲をつれている。この獣の勘をたよらねば、さしもの二柳毛ですら魔神の居所をつきとめられないからだった。
  大鷲は『魔』の気配に敏感だが、それを察するや獰猛さを露骨にあらわし、けたたましい奇声を発するので、二人は苦肉の策で、鷲のくちばしに縄をしばりつけ、羽根の一枚一枚に油をぬって音をはきちらさぬよう工夫をこらすことに丸一日を費やしたのである。
  東南族は、都の四大門をそれぞれ囲むように天幕を張りめぐらせ、怪しげな香草を焚いて、都の人々の妄想を肥大化させる幻術をこらしていた。彼らは肌に傷をつけて塗料をまぶし、それがわずかな焚火に照らされるたび、時折うねり輝いて、天空の二柳毛と猫天地の目には、闇夜の地上に大蛇がうごめいているように映って不気味であった。
  それを囲む外壁ごと打ち壊された西門は、修理されぬまま放置されていた。そのかたわらに古代からあるとされ、代々皇帝の保護をうけている楡の大木がそびえていた。そのちょうど真上を通りすがるとき、猫天地がまたがっていた大鷲がはげしく身を揺さぶり、あわや猫天地をふり落とさんばかりに猛りたったので、ひとまず鷲をなだめたあと、猫天地が、
「あの木は、あんなに大きかったかな。なんだか急に、でっかくなったんじゃないか」
  と、訝しがり、
「それに、門がメチャクチャに燃えたのに、あの木だけあんなに元気いっぱいなのは、なんだか変だよ」
  加えて指摘した。門がどうあろうが木が健康で不思議はないが、確かに上空から見ると妙に尊大で生々しく見え、枝々に多く繁らせた葉の影に、何か害虫が膜でも張って住んでいるような気配が感じられたのである。二柳毛はうなずき、
「妖気だ」
  と言ってから、猫天地を鷲とともに雲間に隠して、一人、探索に出ていった。
  もどってくると二柳毛は、
「まちがいない。あれが魔神の巣だ。猫天地。これよりおまえを天の遥か頂にのぼらせるから、おまえは陽光を……いや、太陽にいる美青蘭を呼びにいくのだ」


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