「猫天地伝」
作/こたつむり


〈4章〉25p

「尽きる……とは、美青蘭は死ぬのですか」
「死ぬかもしれない。しかしあれは元々、東南族なのだぞ、楽阜」
「しかし死んでは、猫天地が悲しむだろう」
  すると、二柳毛はニタリと笑い、
「そうだ。結婚できる唯一の女性だからな」
  と言った。
「結婚?」
  楽阜はキョトンとしてから、首をふって笑い、
「いかに相手が仙女でも結婚はできないでしょう。俺と猫天地は、女と睦みあえぬ体なのだから」
  と、否定した。
  そこで二柳毛は、楽阜の肩に手をおいて、
「仙を果した者には、そなたたちのその術は通用しないのだ。ほら、このように、私ならそなたに弾きとばされはせぬ。……と、いうことは……」
「仙女である美青蘭となら、この体でも結婚できる」
「そういうことだ。楽阜。美青蘭となら結婚できるのだ」
  楽阜は、肩を二柳毛の長いゆびでにぎられて、まだ見たこともない仙女に、ふと思いを馳せたが、
「さあ、行くぞ。今だ」
  と、声をかけられて、ハッと我をとりもどし、
「なんということだ。この緊急の時に」
  頭をブルブルッと振り、大鷲の頸を軽くたたいて、先をおりる二柳毛の背を追った。

  皇城内は、広い敷地のいづこも、しんと静まりかえって取り囲む魔神の黒雲になすすべもないように人々の覇気は失われている。
  皇帝の住まう陶離宮には、皇后や皇子たちまで姿をあらわして、美青蘭(みしゅらん)のあげる祈祷を見守り、また、ときおりたてる占いに見入って時をすごすだけであった。
  今や政庁に文武百官が集まってまつりごとを行う光景はなく、西の果てから連れて来られた、凶事を祓うとされている幾つも首のある豹やら尾の多い鳥などの珍獣が、皇帝を守るためと称されて檻に入れられ、周囲に置かれている様子などは、もともとこの国の皇帝など飾り物にすぎなかったことを証明している光景にも見えた。
  天戒師は、入廷したばかりのとき、
「皇帝の威信は地に墜ちた」
  はっきりと、そう指摘したのである。つづけて、
「仙女と魔神などという、異民族同士のいさかいに諸侯も百官も役に立たず、皇帝の住まいと政治の場を使われているのが、その何よりもの証拠である。これ以上、国と人民の命をさらさせるは言語道断」
  手厳しく、また遠慮もなく糾弾したあげく、
「美青蘭を生け贄に魔神をさそいだし、この八卦陣の中に封じこめるのが、ばかばかしい被害を最小限におさえる上等の策である」
  と、弟子たちにととのえさせた八卦陣にみずから入り、杖をたてて座し、瞑目しながら魔神の到来を待っているのだ。
  楽阜と二柳毛は、大きな大鷲を皇城の某所に隠すと、天戒師の待つ室と境をへだてた美青蘭の祈祷所に入り込んだ。
「我々が祈祷のさまたげにはならないだろうか」と、楽阜。
「大丈夫だ。我々の姿は誰にも見えない」
  二柳毛は自信たっぷりに答える。
「あれが、美青蘭か」
  楽阜からは、祈祷する彼女の背しか見えなかったが、その姿は清楚で美しく、魔神などという巨大な悪とたちむかうには、あまりにも力弱い存在に映った。
  そのとき、ふと、美青蘭は左後方をふりかえり、
「西南の方角より吉兆が芽生えています」
  と言ったのだ。
  その場に居並ぶ人々は、その占いに、期待と不安の混じったどよめきの声をあげ、楽阜は振り返った美青蘭をはじめて見て、その美しさに感嘆のためいきをもらした。
  しかし、やがて楽阜も他の人々も、占いの示唆したことに仰天するのである。
  西南、と美青蘭が指し示したその方向に、なんと、猫天地がいたのだ。しかも、楽阜が乗ってきたあの大鷲が翼をひろげて、今、猫天地を乗せてそこにいる。
「先輩! 猫天地だ!」
  と、楽阜は自分たちよりさらに後方をふりかえって叫んだ。
「あの大鷲が、なぜ」
  と、続けて楽阜はあっけにとられた。
  大鷲は、二柳毛とともに宮中奥深く侵入したおり、たしかに陶離宮の屋根うらにつなぎとめて隠したはずだったからである。
  猫天地は、しばらく呆然と立ち尽くしていた。未だ、どうして自分がここにいるのかわからぬように、しばらくキョロキョロとあたりを見回している内に、
「あっ。美青蘭」
  と気付いて、祈祷のために設けられた柵や献花、焚火をドカドカと踏み飛ばし、美青蘭めがけてまっしぐらに突っ込んでいった。そのあとを例の大鷲が、奇声をあげて羽ばたき歩いたものだから、あたりは大混乱を呈し、皇帝のそば近く置かれた檻の中の珍獣どもは鳴き騒ぎ、深窓の皇后や幼い皇子はもとより脅え、設けられた玉座の皇帝ですら慌て騒いで近臣のひざに飛び付き頭をかかえてしまった。
  二柳毛はただ苦々しい顔をして、
「あのバカが……本当に来やがった」
  めずらしく乱暴な口をきき、めずらしく下品に唾をはいた。
「ああいうのを、バカの一念というのだ」
  二柳毛は、まともに考える気も失って、それだけしか言わなかったが、彼にも推測のつく部分と、それを越えてわけがわからなくなっている部分がある。
  楽阜と同じく張蒙師の弟子である猫天地には、おのずと大鷲の居場所もわかるし、下手でもこれを扱ってここまで舞いおりるのは可能だろう。
  よくわからないのは、猫天地が大鷲に出会うまでのことである。どうやってあの魔神の包囲を突破して来られたのか。
  そこへ、
「またお前か。猫天地!」
  地面を揺さぶるほどに激しい一喝が、今まさに美青蘭を抱きあげ、その場から退散しかかっている猫天地(ねこてんち)めがけて貫かれた。
  天戒師である。八卦陣をととのえた隣室から、音もなくこの祈祷所にあらわれたのだ。
  楽阜も二柳毛も、未だかつて、天戒師の怒りのさまを目にしたことがないが、その天戒師がいま、凄まじく怒っているのが両者にはわかった。
  わかっていないのは猫天地だけであった。あいかわらず美青蘭をおのが背に隠すようにかばって、天戒師をむしろ睨みつけている。


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