「猫天地伝」
作/こたつむり


〈4章〉24p

  張蒙師は結界を解いて、猫天地をそばちかく招きよせると、
「猫天地よ。わしがなぜ、おまえに術をさずけてやったかわかるか」
と言った。猫天地は、とたんに師に詰め寄り、
「そんなことより、美青蘭を、もう殺してしまったのか」
「よいか。仙人というものはな……」
と、張蒙師は落ち着きはらって、猫天地を制止し、
「みだりに人の俗世と交わるべきではない。古来から仙術を身につけ、その功徳を人にやたらと与える者があらわれたものだが、それらが自己満足にすぎなければ、天は力を与えない。美青蘭なる者が、世のため人のためと称して歩きまわった結果、その力を利用しようとたくらんで軟禁する者があらわれるのは、当然のなりゆきである」
「軟禁って、何だ?」
猫天地が目をぱちくりとすると、二柳毛が、
「閉じ込めることだ」
と、適当におしえてやり、張蒙師(ちょうもうし)にあらためて、
「皇帝がわに、仙人を軟禁するほどの力量をもつ人物がおるのでしょうか」
察しを利かせて質問する。
「おる。このわしだ」
  張蒙師は、おどけたように指でおのれをさした。
「じゃあ、美青蘭(みしゅらん)は皇城の中にいるのか」と猫天地。
  張蒙師はうなずき、
「言っておくが、わしは『皇帝がわ』などではないぞ。彼女を皇城内に置いておくのが一番よいと踏んだだけだ。なぜなら……」
  と、張蒙師は持論を展開させる。
  もともと東南族には独特の信仰があった。彼らの祖先には、この土地で何の問題もなく住んでいた者達も大勢いた。やがて北から異民族に押し出された人達がこの土地に移り住んだため、彼らもそれらに押し出されるように東に南に移り住んだ。元々そのような地域には、妖怪や化け物が多いと言われては来たが、魔神というのがどこから来たのかはわからない。恐らく彼らが行き来する内に入り込んだのだろう。迫害され散らばっていた東南族が、魔神信仰ゆえに一つにまとまったのも事実だ。
  ところがそこへ、異民族(東南族)といえども、あるいは女といえども仙を果しうる存在が登場した。
  誰あろう美青蘭である。しかも仙人のくせに人間と仲が良い。今や東南族には、魔神信仰を捨てて仙女信仰に移行する人が少なくなくなった。これで、ただでさえ凶暴な魔神が黙っていようはずがないではないか。おのが力を世に見せつけるべく、東南族の結束をおのが支配によって強めるべく、魔神がおのれの本性をむきだしにした結果、こんにちの事態となった。
「それゆえに問題の核心を解決しなくては、真に都の騒乱をふせぐことはできないのだ」
  と、張蒙師が方策をしめすと、二柳毛は、
「なるほど、直接対決というわけだ」
  と感心したが、猫天地は、
「冗談じゃないよ。美青蘭は魔神に殺されちゃうじゃないか」
  腹をたてて怒鳴りちらした。
「死ねば本望だろう」
  張蒙師はまったく動じない様子で、そう言い放ち、猫天地にむかって、
「なぜわしが、女だったおまえにその術を授けたか。それはおまえの、死んでもよいという一途な思いに動かされたからだ。人間であろうが仙人であろうが、奥にそのような渇望がなくては天の理にはかなわないものだ。小手先で人も物も動かせるようになったとき、その生命は天に試されるべきなのだ」
  と、しめくくった。
  猫天地は憤然と立ち上がり、
「私は死んでもよかったが、美青蘭は死んだらダメなんだ」
  叫ぶや走り出して洞窟を出た。二柳毛が、
「待て。猫天地」 と後をおいかけ、洞窟の外で追いつき、
「おまえの心は、恋に犯されているのだ。今度こそおまえは失敗する。天はおまえを見放すだろう。美青蘭のことは諦めるんだ」
「なんでさ!」
「それこそ、天の理にかなわないからだ。美青蘭を救いだすためと言いながら、その実、おまえは、妻にできる唯一の女性を惜しんでいるにすぎない」
  自分を見よ、と二柳毛は言う。
「愛しい妻を捨て、女であったおまえを手放した結果みごとに仙を果した。女は不要だ。女はしょせん、心を惑わし道をさまたげるだけの存在にすぎないのだ」
「そんなの、毛の勝手だよ。それに私は、どうせ仙人になんかなれないんだ」
「なれる。私がちゃんと指導する。これから一緒に仙山に行こう。おまえを私の一番弟子にしよう。今度は誰も文句を言うまい。いや、言わせない。今と前とでは、それほどに私の立場も変わったのだ。今度こそ誰にも邪魔はさせない」
「放っておいてくれ。手をはなせ」
「自分勝手な奴だな。誰にここまで連れてきてもらったんだ」
  言ってしまってから、二柳毛は、しまった、と思った。
  案のじょう猫天地は、猛烈に反抗して手をふりほどき、
「わかった。毛になんか頼まないよ。自分で行きゃあいいんだろ」
  カッカと怒り、ブンブンと走り去っていったのである。

  楽阜は、またもや数日がかりで皇城にもどってきた。
  しかし上空には暗雲がたれこめて、皇城の奥深く入りこむことは不可能であった。張蒙師の大鷲は羽ばたきながら奇声をあげ、空中にときおり差しこむほのかな明るみの中を旋回したが、いざ、急降下をねらうと、とたんに四方から、どす黒い雲がわきおこり、視界をさまたげられて果せないのだった。
「楽阜。それではだめだ。上へあがるんだ。上だ」
  という、まさに『上』から声が降ってきて、楽阜は、
「先輩!」
  すぐに二柳毛と気付き、言われたとおりに上昇させた。
  二柳毛は猫天地が怒って出て行ってから、すぐに空を飛んで皇城まで先回りし、雲の上で片ひざをかかえて座しながら楽阜がくるのを待っていた。楽阜が大鷲を操ってそばまで来ると、二柳毛は、
「師(天戒師)は、どうやら仙女をオトリに使うハラらしい」
  と言って、今や真下となった黒雲の中央をゆびでさした。
  楽阜(がくふ)も、そのあたりを見詰めて首をかしげ、
「あのあたりが微かに明るいのは、すでに天戒師が到着している証なのだろうか」
  と訝しがった。二柳毛はこたえて、
「師は、とうに到着していよう。しかしあの光は、師の術によるものではない」
「では、いったい?」
「美青蘭だろう。師なら、明かりがなくとも皇城内に難なく侵入できる。あの明かりは、美青蘭が魔神を追い払うべく祈祷によって、雲の上から陽光をまねいているのだ」
  高いところに上りつめると、明るみのさす低空から桧の香りがのぼってくる。
「目がさめるような、いい香りだ」
  と、旅の経験多い楽阜には、高原の奥地でむかえた朝がおもいだされて心地よい。
「あれは仙女の芳香だ。必死に祈念しているのだろうが、力およばず魔神のおりなす雲におおわれて、もうじき尽きるだろう」


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