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「猫天地伝」
作/こたつむり
〈4章〉23p
猫天地が二柳毛の居室にかくまわれていることは、他の弟子には知られていなかった。二柳毛は、あいかわらず他の修行者たちとは一線を画し、許されたおのが草庵も、他からはひときわ離れた場所に設けられていた。
二柳毛にひきあわされた二人の豪傑は、大声で、
「楽阜!」
「猫天地ではないか」
と呼びあい、互いに疲労にまみれた体で抱擁しあって再会を祝した。
猫天地はさっそく、
「楽阜。美青蘭は東南族だが、私は彼女が好きなんだ。ゆっくり話している暇はなかったけれど、楽阜がかたきと思う東南族でも、美青蘭の仲間とあれば、私には討ち取ることができないんだ」
と素直にうちあけた。
「そうだったのか」
楽阜はしばらく口を開いたまま、それでも何度かうなずき、やがて唸り声をあげた。そして猫天地の望んだとおり、
「わかったぞ。猫天地」
ついに理解をしめしてくれたのである。
「だがな。これは、ここに来るまえ張蒙師に意見をあおいで、ようやくわかったことなのだが、俺の真のかたきは東南族ではなく魔神だったのだ。一体いつのころから東南族が魔神の手下となってしまったのかわからないが、彼らを支配している魔神を撃たなければ、東南族の人々とて自由にはなれないのだ。俺だって罪のない人たちを、かたきなどとは思わぬ」
と、筋の通ったことを言った。
そこへ遠くから、ドラが鳴り響いてきた。
「出発だ。楽阜」
二柳毛はそう言って立ち上がる。
楽阜はうなずいて部屋を出ていこうとした。そこへ猫天地が、
「待ってくれ、楽阜」
と、声をかけ、まだ立ち直らぬ体でよろよろと追い掛けた。
「美青蘭がどうしているか、何か知っていたら教えておくれ」
すると楽阜はやや愁眉をつくって、煮え切らぬように、うん、と言い、
「どういうわけかあのあと皇城にやってきて、そのまま留まっているようなのだ」
「戦争をやめてくれるように皇帝の手下どもを説得したいと言ってたよ」
猫天地は、皇城内で美青蘭にあったことを告げた。
「うむ。そうかもしれない。張蒙師は、俺と別れたあと皇城に出向いて、美青蘭(みしゅらん)に会っただろう」
「張蒙師が? なんのために?」
「それがな……」
楽阜は言いにくそうに視線をそらし、
「東南族を倒すためには、一つは仙山の天戒師(てんかいし)に協力をあおぐこと。そして二つめには、東南族出身の美青蘭自身の力でそれを成すこと。張蒙師はそのように言われたのだ。そしてそれが適わぬのなら、美青蘭は……」
「かなわぬとき、美青蘭は?」
「仙女たる資格がないと師は言われる」
「どういうことだ?」
「よくわからんが、とにかく美青蘭が弥勒の再来などと言われることこそ、人心を惑わすもとだというようなことを師は言うのだ。そういう者は……」
そこまで言ってから、楽阜は思いきったように視線を猫天地にあてて、
「自分が命を奪ってやる……という」
「ええっ!」
猫天地は真っ赤になり、ついで青ざめて、
「美青蘭を張蒙師(ちょうもうし)が殺すってこと?」
「そうだ」
頷いてから楽阜は、猫天地をふりきるように二柳毛の部屋を出ていった。やがて庵の外で、あたりの木々が大風に激しくざわめき、バサバサと羽ばたく音と、耳をつんざくような奇声があがり、しかもあっと言う間に遠のいていった。
楽阜の乗ってきた大鷲が、ふたたび楽阜を乗せて飛び立ったのだ。
「猫天地。まだ寝ていろ」
室内では、やにわに起き上がりかけた猫天地を見て、二柳毛があわてて押えにかかったが、猫天地は、
「お願いだよ、毛。張蒙師に会いにいきたいんだ。連れていっておくれ」
と言ってきかない。二柳毛は机におかれているちまきを指さして、
「そんなことより、早くそれを食べろ。食さねば体力が元にもどらないのだぞ」
と、くどくどと言ってから、自分で言った言葉に気付いたように目を見張り、すぐに溜息をついて、
「わかった。連れていってやる。だから食べろ」
と、つけ加えた。
二柳毛は、悪夢のような繰り返しに思いをいたしたのだ。
かつて意気消沈した猫天地が、食事も修行も放りだして自分をてこずらせた日々があった。
しかし二柳毛には、悪夢のようであったあの日々が、なぜかときおり懐かしく思い出されることも多かった。
皇城の天空に仙人の気はうかがえなかった。張蒙師はここにはいないだろう、と二柳毛が言うと、猫天地(ねこてんち)は、
「じゃ、抱虎山だ。じぶんちに帰ってるにちがいない」
と、まったく図々しい使いだてをやめる気配もなく二柳毛をせっつく。
やれやれと、二柳毛は行く先を変更し、言われるままに抱虎山をめざした。
着くや猫天地は、師の洞窟めがけて薮から棒につっこんでゆき、
「美青蘭、助けにきてやったよ。張蒙師、美青蘭を殺さないでおくれ」
と、広い洞窟中をがなりたてる。
「来たな、不肖の弟子よ」
張蒙師などは笑ってしまって猫天地を寄せつけもしない。
「あっ。行けない。どうしてなんだ」
今さらに猫天地は、自分が走りまわっているわりに、いっこうに洞窟の奥へ入りこめていないと気付いた。二柳毛は笑いをこらえる顔をして、一人のうのうと奥へ入ってしまった。
「不肖のあわて者など、まともに相手をするものか」
張蒙師は高らかに笑い、二柳毛にだけ座をあたえて労をねぎらったりする。そして、
「よいか猫天地。わしはおまえが先輩を小突きまわしてここまでやってきた大慌てぶりを、ぜんぶ見届けているのだぞ」
と説教し、ついで長い杖で猫天地をひっぱたこうとした。
それを横から、二柳毛(にりゅうもう)が止めだてるように杖を握りしめ、
「虎の尾を履む。人を喰らわず。亨る」
と、不思議な言葉を吐いた。張蒙師は、
「ふむ。天沢履か」
と応じ、フンと鼻をならして杖をひっこめる。
天沢履とは、易経の答えのひとつで、虎の尾をうっかり踏んでしまった人が、なぜか虎に噛まれないという意味がある。つまり、無礼をはたらいても咎められない無邪気な人のことを指している。