「猫天地伝」
作/こたつむり


〈3章〉20p

「かたき……そうだったのか」
  猫天地は、衝撃のあまり足元がふらりとし、ついで、そばにあった屏風にぶつかった。
「どうしたんだ」
  ようやく楽阜は、猫天地の様子を気遣って歩みよったが、すぐに気をとりなおし、
「そうか。お前にとっては関係のないことだったのだ。わかったぞ、猫天地。気がすすまぬのも無理はない。当然みちづれにできるつもりでいた俺がまちがいだった」
  と、反省するかたわら、
「しかし俺は行くぞ。散鬼にも、そう伝えておいてくれ」
  どこか、まだ怒りを鎮めきらぬままに部屋をとびだして行った。
「楽阜。待っておくれ。東南族を……東南族を……」
  何もかもを奪われた楽阜に、今さら敵を殺さないでくれとは言えず、猫天地は楽阜の後をただオロオロとついてゆき、やがて内庭に達した。
  そこには武具武装のたぐいが投げ出され、下の武具が見えないほどに山積みされている。いざというとき、戦いに出る兵士のために皇城内に常備されている品物なのだろう。内庭には兵たちが充満し、みな大わらわで自分を護るためのものを身につけ、敵を倒すためのものを手にして次々と出てゆく。
  汗と熱気に蒸され、それに漢たちの血の気の多さが加わって、その場からすでに戦場と化していた。
  美青蘭、どうすればいいんだ。美青蘭はあのあと将軍たちに会えたのか。会えたけれども結局いうことを聞き入れて貰えなかったのか。この人たちはみな東南族を殺しにゆくのだ。今どこに居るんだ、美青蘭。
  猫天地はそう思った。楽阜の故郷の人たちがみな、さんざんな目にあったように、これから美青蘭の故郷の人たちが手ひどい鉄槌を食らうのだろう。
  悩んで立ちつくす猫天地の耳に、やがて、
「都の豪傑、楽阜に続け!」
  と叫ぶ兵士の声がとどいた。ハッとして探すと楽阜の姿は、もうそこには無く、楽阜についてゆくと思われる数人の兵士たちの背中が、今、内庭の奥にそびえる中門を越え、その先にわたる橋にさしかかるのが見えた。猫天地が楽阜の後を追って飛び出て行くと、すぐに兵士達は猫天地を取り巻き、
「猫天地に続け! 都の英雄は不滅だ」
  とつづけた。猫天地は仕方なく楽阜を追って、同じ橋をわたり外門に向かった。

  異民族の侵入に防禦の手立てが無いわけではない。皇城とそれを取り巻く都には城壁があり、事あらば東西南北の門を閉じて敵の侵入を防ぐ機能だけは備えていた。ましてや東南族の数は多くはないとの事前情報でもあったから、兵士達は意気揚揚と皇城を出たのである。猫天地は皇城を出る前に楽阜に追い付いたが、話す間もなく後ろの軍に急きたてられるように皇城を出た。そこへすぐに都の西門より駆け付けた使者の情報がもたらされ、楽阜も猫天地も居並ぶ兵士達とともに驚くべき事態を知らされた。
  西門が打ち破られたという。
  兵士達には、瞬く間に凄まじい動揺が広がった。使者からの情報によると、先発隊に多くの東南族で構成された部隊があり、彼らは門に近付くや皇城の軍を相手にとつじょ反旗を翻し、決死の殺到によって自ら門を開かせたというのである。
  ここに到って、兵士達に、国への積もりに積もった不信感が一気に広がった。仏教を擁護する各代の皇帝によって寺院は造られつづけ、税はおびただしい布施に払われたが、おかげで財政は逼迫し、その抑圧が兵士たちに被さりつづけてきた。
  そこへ先帝の其成(それなり)帝の時、北の園扁朝に攻め込まれて、豊かな南嘉(なんか)の地を失って以来、財政困難はさらに極まっていた。この国は今、歴代の王朝のどの時代に比べても貧乏と言わざるをえない。
  都はすさみきったまま放置され、皇帝一族の陵墓を荒らす盗賊どもに手を焼き、今もこうして都の防備にも手をくばらぬ皇帝周辺の勢力への不信感も蓄積された。
  その上さらに、にわかに担ぎ出されたとは言え、こんにちの皇帝は、おのが長生にのみうつつをぬかし、仙女を招きよせる宴など催していた、とこう思いを致すまでに時間はかからなかったのである。それらの疑念は、今まで彼らを繋ぎとめて来た皇帝への忠誠心と、都やそこに住まうおのが家族を守ろうとする気概を危うくさせつつあった。
  その統率下にある皇軍から裏切り者が出た。それも今となっては頷けるとさえ思った者もいれば、ならば、その伝える所の敵の数すら誤ったか、何か意図があって偽りが伝えられているのではないかと疑う者もいた。
  そこへ皇城からの伝令が慌しく駆け込んで来た。西門突破の報が皇城にも届いたのだろう。
  皇城からは、都の一隅に敵をおびきよせ住民もろとも殺戮せよ、との命令が下ったという。
「言語道断の沙汰である」
  将軍は驚愕し憤慨した。しかし、こうした命令が下されるからには、既に東南族は都への侵入を開始したのだろう。兵士達の動揺はますます収まる術も無くなった。となれば、今や暴徒は目前であろう。将軍は慌ててすぐに言葉を変え、
「やるなら、人家が少ない場所を選ぼう。犠牲者が少なくてすむ」
  と言い直したが、
「少ないといっても、住む人はいる」
  楽阜は目をひんむいて声を放った。居並ぶ兵士達は殆どが皆、楽阜と同じ感想を持った。
  将軍はこの空気をすぐに察し、これほど急転直下の事態であれば軍議が行われるはず、一度皇城へ撤退せよ、と命じた。しかし今や通りには、既に人々がそれぞれの人家を出て溢れかえり始め、この周囲は大混雑となりつつあった。前にも後ろにも進むのには難儀な有様で、これが皇国鎮護の軍かと思わせる風紀を露呈しつつ、彼らは路上に棒立ちするのみであった。その時、
「楽阜! 張蒙師だ!」
  と、猫天地がさけんだ。
ひしめく人々の群れを抜けて、のっそりとあらわれた人影はまさに、
「本当だ。師が我らの味方に来てくださった」
  楽阜もそうと認めて勇気百倍となり、後ろに引こうとする将軍の馬にむりやり近付いていくと、多くの兵士は楽阜の体術によって弾き飛ばされ、楽阜の張蒙師の来訪を告げる大声が将軍にまで届いたのである。
「何! かの仙人が我らに合力してくださると?」
  さすがに偉い将軍も軍馬を下り、列のはるか端に自ら歩みよって膝をつくと、重々しく張蒙師を出迎えた。
  将軍と張蒙師と楽阜(がくふ)と猫天地が、路上、四角形に対面したところで、張蒙師は、
「兵を退くしかあるまい」
  と、意外な進言をする。つづけて、
「東南族は汝らの敵ではない。あれらは人間のようで人間ではない」
「妖術を操る徒とうかがっております」と、将軍。
  師はうなずき、
「賊徒を操っているのは魔神だ。見よ」
  そう言って、わが背をふりかえるはるか先に西門がそびえていた。その上空に砂塵を竜巻状に吸い込みながら、黒々と渦巻く雲が凝り固まっているのが見える。師はその雲を杖さしながら、
「東南族が数多く見えるのは、あの雲がおりなす妖術なのだ。数多く見えれば人は慌て騒ぎ、我先にと逃げ惑う。しかしじっさいの東南族はほんの少数にすぎない。だからこそ軍に組み込まれいたのだし、長く定着していた住民にさえ、これまた東南族が多かったとは言いがたい。今の事態は全て、一人一人が術をさずけられ、あの黒煙の魔力に力を与えられているからであって、人馬がのりこんでいっても片は付くまい」
  こう言われて改めて納得できるのは、いくら突破された西門までは距離があるとは言え、逃げ惑う人々ばかり見えて、東南族らしき人影をまだ誰一人見ていなかったからである。
「じゃ、外に追い出せないかな」と猫天地。
  東南族がいかな猛攻とは言っても、都の他の三門は封鎖されたままだろうし、外部との連絡も遮断の憂き目をみているだろう。これはやはり追い出すしか手が無い。猫天地としては美青蘭との約束があるから、出来るだけ手荒なマネをしたくなかったし、あたら罪もない人民を暴徒もろとも焼き殺すような非情の方法がまず嫌であった。
「がんばれば、はねのけられるかもしれないぞ」
  と、ようやく楽阜が口をきく気をおこしてそう言った、ちょうどその時だった。
  ドンと激しく地響きがおきて、あっというまに西門が火の粉をふいて燃えさかり、ひび割れ、四方にくだけ散ったのである。


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