「猫天地伝」
作/こたつむり


〈3章〉19p

  二柳毛が夜の雲間に消えたと同時に、月の光にのって、同じ大樹のもとにあらわれたのは、まぎれもなく、
「美青蘭!」
「猫天地。よくぞ生きていましたね」
  美青蘭は嬉しそうにそう言って、猫天地の手をとろうとしたが、
「いや。美青蘭。さわったらダメだ。弾きとばしてしまうからね。それよりお願いがあるんだよ」
  猫天地は手をふって、せかせかと用件に入ろうとする。ところが美青蘭(みしゅらん)は、
「猫天地。私はあなたに会いにきたのですよ。皇帝に目通りする気はありません」
  と、用件を聞きもせぬうちから、きっぱり断ってきた。
  猫天地は一瞬あっけにとられたが、すぐに、
「まあ、いいや。美青蘭がいやがることなら頼まないよ」
  と、諦めるのも早く、
「そんなことより、前に命を助けてくれたお礼が言いたかったんだよ」
「お礼を?」
  にわかに美青蘭の顔がパッと輝いた。同時にあたりが桧のすがすがしい芳香で満ちて、猫天地は目のさめるような思いになり、
「本当はそのために、こんな所で一ヶ月も美青蘭に会えるのを待ってたんだよ」
  ずっと胸の奥にたまっていたことを率直に言えた。すると、
「ああ、良かった」
  そう言って胸を両手でおさえる美青蘭の目が、心なしか潤んできらめくように猫天地には見えた。
「私のしたことは間違ってはいなかったのですね」
「まちがってなんかいるものか」
  と、猫天地は慌ててさけび、
「あのときは、なんで死なせてくれないんだって思ったし、あのあとも時々は、やっぱりあのときに死んでいればよかったと思ったこともあったけど、生きていて良かったんだ」
  猫天地(ねこてんち)はもどかしげに、美青蘭と別れたあとの経過を、楽阜とともに都のために活躍できる今の自分にいたるまで語った。それらをいちいち頷いて聞いていた美青蘭が、ついに目頭をおさえて嬉し涙にくれる様を見るうちに、猫天地はなんとなく、切なくも沸きあがる思いに心乱されていくのだった。
  美青蘭は小さい。
  猫天地はそう思った。今や彼女は、自分より一回りも二回りも小さかった。変身をとげた自分からみれば当然のことながら、そのことに改めて驚き、なぜか胸の奥底から感動がみなぎってくるのだった。
  かつて波間から、自分をいとも軽々と抱きあげて天を駆けぬけた美青蘭を、今の今まで、母のように、あるいはそれ以上に大きなものとしてとらえてきたのに、こうして会うと、おのが手のひらにすっぽり入ってしまうほど目の前の仙女の顔も肩も小さく感じられ、それがどういうわけか嬉しくて、
「生きていて良かった。生きているって素晴らしいことだ。美青蘭のおかげだよ」
  と重ねる言葉に熱がこもってしまうのだ。
  そしてそれが、仙女というどこか手にとどきにくい対象であるにもかかわらず、相手の涙をさそいだすほどに励ましの効果があると知らされては、いくら言葉をはきだしても決して損はないように思えてしまうのだった。
  ところがいつのまにか美青蘭は涙をやめており、妙に凛とひきしまった顔になって、
「猫天地。私がここまで来たのは、もうひとつ理由があるのですよ」
  などと話を変える。猫天地は急に叱られたような気分になってしょげかえったが、
「私があなたにしたことをわかってくれるのなら、ひとつ私のお願いを聞いてもらえませんか」
  ともちかけられるや、
「もちろんだよ。どんなことでも言っておくれ」
  喜々として力強くうなずいてしまう。美青蘭はほほ笑み、
「私は皇帝に目どおりする気はありませんが、王宮の宰相や将軍たちには頼みたいことがあるのです」
「どんなこと?」
「どうか東南族討伐の兵をひいてほしい……と。私もかつては東南族だったのです」
 美青蘭の言う東南族とは、いまの都を騒がせている異民族であった。彼らは現皇帝の飯聞帝を担ぎ上げた成り上がり武将の雲双が、敵の勢力を追い散らすために連れ込んで来た者達だが、今は使用済みとなったため、徐々に迷惑がられ迫害されつつある。
「かつての仲間を皇帝の軍に殺されたり捕えられて惨い目にあうことが、私には耐えられないのです。猫天地。あなたは皇帝に仕えているのですから、いざその命令が下れば、将軍や兵とともに鎮圧に向かうのでしょう? 私がいのちを大事に思う人同士が争いあうのは、もっと耐えられません。どうか、故郷の人たちを殺したりしないでください」
「なんだ。そんな皇帝の命令なら聞かないよ」
  皇帝の命令より美青蘭の『お願い』のほうが重大だったから、猫天地は、さっさとここをひきあげる気になったのである。
「そんなことより、一人でこの中に入ってゆくの? あいつらはどうも話のわかる連中じゃないから、何を言っても怒られるだけだよ」
「大丈夫。私はいざとなれば何びとを怒らせても、ちゃんと逃げられますから、心配しないで」
  ……と、そこへ遠くから、何やら物々しくわめきちらす数人の声が聞こえてきたのである。やにわに森の向こうから灯火がともされ、やがて、
「敵軍襲来! 敵軍襲来!」
  と、多くの叫び声が聞こえて来た。
「敵軍? 何の事だ?」
  驚き叫ぶ猫天地に向かって、
「猫天地。隠れて」
  美青蘭(みしゅらん)は慌てて猫天地に近寄り、ちょうど彼の胸にとびこむ形になった。
「あっ。だめだよ。美青蘭」
  弾きとばす。
  そう思って、とっさに猫天地は身をよけようとしたが、驚いたことに美青蘭はピッタリと猫天地の腕の中に寄り添ったままで、
「東南族でしょう。夜空をここに向かって来る途中に、彼らが徒党を組んで都に向かう行列を見ました」
「何だって?!」
「一緒にいるところを見られると、あなたに迷惑がかかります。ここで別れましょう」
  と、言葉をのこすや、すぐに猫天地を離れて、近くの木陰に身を隠し、束の間もおかずに夜空に舞い上がって姿を消した。
  跡には、胸の空くような桧の香りがただよっている。

  二人の英雄のために用意された一室にもどると、楽阜(がくふ)が体じゅうから湯気が立つかと思うほどに興奮し、何やらぶつくさとつぶやきながら部屋じゅうを歩きまわっていたのだった。
「おお、猫天地。待ちかねたぞ」
  猫天地が入ってゆくや、楽阜は顔を真っ赤にして言い放ち、
「皇帝から命令が出たのだ。東南族が都の西門に迫って来ているという。俺たちもこれから討伐に出るぞ」
  と、既に美青蘭の予告した通りの事態を告げた。猫天地は即答して、
「それには行かないよ」
「何を言う!」
  楽阜は大声で怒鳴った。猫天地は目をまるくして、
「皇帝なんかどうでもいいよ。そんなことより、散鬼の所にもどろうよ。今朝、そう決めたばかりじゃないか」
  ところが楽阜は首をふり、
「東南族は俺のかたきだ。皇帝に頼まれなくたって、俺はあいつらをたたきのめしてやる」
  拳を壁にぶつけながら発奮をする。
「かたき?」
「そうだ。そもそも東南族の奴らが俺の村を襲って人を殺し、家々を焼きつくし、田畑を荒らしまわったあげく村の大事なものをすべて持ち去ったのだ。盗賊どもなど、そのあとの隙を狙ってやってきた山犬にすぎない」


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