「猫天地伝」
作/こたつむり


〈3章〉17p

「なんだ、おまえら」
  と、二人に目前をふさがれた男の威勢はよかったが、胸ぐらをつかんでくるや、もう遠い草むらに体が弾きとばされてゆくのだ。
  これは簡単で良い。
  猫天地はそう思い、二人め三人めとかかってくる連中を次々と草むらに放り投げていくうち、
「こいつらを、どうやって生け捕りにしようかなあ」
  と困りきる。すると、
「猫天地。網だ」
  と、すでに墓所付近にまで行ってしまった楽阜から声がひびいてきた。
「そうか。このためだったんだな」
  猫天地は頷き、この早朝に楽阜と一生懸命に編んだ引き絞り縄のついた網を背からはずすと、草むらにのびている男たちの上からかぶせ、引き紐をしばった。
  いっちょうあがり、と草むらから背を起こして見渡したが、あたりは暗闇の上、わあわあと男どもの大声ばかり聞こえてきて、楽阜がどこにいるのかわからない。仕方なくむやみやたらと盗賊どもの中に入ってゆくと、その中の一人の体が猫天地にぶつかり弾きとんで、しかも、すぐに戻ってくる。
「なんだ。そこに居るのか」
  と楽阜のいどころは知れた。お互い人間を弾きとばしあうから、夜目にも存在がわかりやすい。
「猫天地。網の中はもういっぱいだ。今夜はこの辺にしておこう」
  楽阜も猫天地が近いと見て、そう声をかけてきた。楽阜がそう決めるまでもなく、盗賊どもは敵わぬ相手とすでに見切りをつけて、大半が逃げてしまっている。
  あたりにのびて倒れる奴ら一人一人を無理やり起こして、楽阜は仲間の居所をきいたが、一人として満足な答えをひきだせなかった。草むらや路上で網をあおってもがいている連中もしかりである。
「仕方ない。明日の夜、もう一度やってみよう」
  とりあえず網につかまった連中だけを引っ張って役所につれてゆき、この夜は渋々とひきあげたのであった。
  ところが翌晩、同じ場に行くと、たむろしている人間は数人しかいない。その連中も、楽阜と猫天地が姿をあらわしたとたん、奇声をあげて逃げてしまい、一人も盗賊をつかまえられなかった。
「あいつらは夜目が効く。きのうの俺たちと一目でわかってしまったのだろう」
  楽阜は帰路、さんざん地団太を踏み、猫天地も、
「せっかく強くなったのに、もう役目はないのか」
  と悔しがった。
  三日めの夜になると、盗賊は誰一人あらわれず、そのかわりに四日めの朝には、倉庫の入り口に、
「楽阜と猫天地こそ、都の英雄だ」
  と書かれた紙が誰かによって貼られ、五日めには役人が倉庫にあらわれて、
「皇帝陛下より謁見をたまわることになった」
  とぎょうぎょうしいことを告げにきた。
  楽阜と猫天地が倉庫を出て、役人のあとをついて歩くと、路地のあちらこちらから都の人々が喝采をあげ、『二人の英雄』を誉めたたえる。
「都はもう平和になったのか」と猫天地。
「……にしては、あいかわらず橋の上に死体が転がっているぞ」と楽阜。
  二人は、自分たちに声援をおくってくれる人々のひどく窶れ、貧しさにすさみきった様子を見ながら、きっともっと平和にするために、皇帝が自分たちを呼んでくれたのだろうと意見をまとめあった。

  謁見というから、皇帝と会えるものとばかり二人は思っていたが、そうではなかった。
  楽阜と猫天地は皇城の門をいくつもいくつもくぐらされ、えんえんと歩かされたあげく、庭をかこむように造られた長い廊下の一角に入るや、その場で着ていた衣服を脱ぐように指示され、かわりに六人ものいずれも美女ばかりの手によって、きらきらと光るひどく重たい服を着せられたのである。美女たちはみな、楽阜と猫天地の体質をよく心得ていて、手足には触れるが腹や背に触れるのをたくみに避け、次々と器用に着衣を重ねてゆくのだ。
  そしてそこからさらに又えんえんと幾つもの門をくぐって道を歩かされる内に、こんなに平らな地がこの世にあったかと思うような石づくりの広大な敷地に到着し、そこにひざまづかされ、目前をうめつくす巨大な建物にむかって頭を下げさせられた。建物には天までつづくかと思うような長い階段がもうけられ、炎天下を長いあいだ待つうちに、やがてその階段のはるか上から、小刻みに足を運ばせて小さな老人がおりてきた。
  老人は階下で待ち受けていた軍人風の男に何かを告げ、軍人風の男が猫天地たちの所にやって来て、
「これは皇帝陛下からの命である」
  と声をかけた。
  あっけにとられて見上げたが、豪華な敷物のつづく階段の行く手には、淡い色調の布きれがふんわりと風にゆれながらも入り口をふさいでいるのみである。
「皇帝が何か言ったのか」と楽阜が聞けば、
「聞こえなかったよ。ここに来て言ってくれないかな」と猫天地も首をかしげる。
  すると、何の意味があるのか、軍人は威圧するように長い棒の先でコツコツと地面をたたき、あごをしゃくって二人を立ち上がらせると、ついてこいという顔をして先にたって歩きはじめた。
  皇帝が何を言ったのか知りたい二人は、あわてて軍人のあとをついてゆき、階段を通りこし建物の裏手にある、これまた広い庭に到着した。そこで始まったのが又しても着替えである。美女達が二人を再び取り囲む。
  その間、例の軍人は例のコツコツを響かせながら二人の周囲を練りあるいてこう語った。
  近く、弥勒菩薩の再来と謳われる仙女がこの都におとずれる。仙女は身につけた仙術を世の人に分け与えて諸国をめぐっているという。その人の善い行いに応じて法力をさずけ、仙人になれる資質のある者を弟子にするという。それゆえに仙女をもてなし、不老長生の秘術をたまわりたいと皇帝陛下は仰せである。
  こんな事を言われても楽阜と猫天地には、弥勒というのは菩薩の一種らしく、また菩薩というのはこの頃では、どこかでボンヤリと仙人に繋がっているらしい、というぐらいしか知らない。仙山では仙人は見たものの、あそこに弥勒というのは見なかったと思いつつ、ただあっけに取られて頷くだけである。
「よいか。仙女のご機嫌を損ねては元も子もない。皇帝陛下こそ長寿にふさわしい方であると、なんとしても認めさせねばならぬのだ」
  これを聞かされた二人は、ほとんど同時に、そのことと都の平和がどういう関係があるのかという問いを口にしたが、軍人はそれには答えず、
「おまえたちは、かの張蒙師に術をさずかったと聞く。お耳のすぐれて早い皇帝陛下は、おまえたちがその術をして盗賊どもを蹴散らした噂を、放っておおきにはなられなかったのだ。そのような者たちならば、仙術の持主と意を通じあうすべを存じおろうとご思案下されたのである」
  下された、というのは誰のためになのかよくわからなかったが、楽阜が唐突に、
「猫天地。皇帝は金持ちだから、上手く行けば金を貰えるかもしれないぞ」
  と思いついたように言った。
「ここはものすごく大きな家だ。きっと金はあるだろう」
  と、猫天地が同意すると、楽阜は、
「炊き出しの食料を買う金をもらえるのかもしれない」
「そうか。なるほど」
  猫天地もようやく乗り気になった。
  楽阜の言った『炊き出し』というのは、猫天地も散鬼によって救出された後ありついたあの雑炊釜のことである。
  猫天地がそうだったように、悪い奴らから助けてもらった人々はみな、礼を言うより先に食べ物をねだる。
  かつては、こうした事態に寺院の僧侶が活動したものだったが、歴代の皇帝が仏教寺院を作りすぎたことへの反発で、騒乱のたびに打ち壊され、今では略奪への対策に追われる日常だった。
  困った楽阜が張蒙師(ちょうもうし)に相談した結果、治安の悪化に心をいためる富貴の家から寄付を貰ったり、騒乱で行方不明になった金持ちの家族を捜しだして金を得たりで、何とかはじめの頃は炊き出し釜をしていた。


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