「猫天地伝」
作/こたつむり


〈3章〉16p

  便利である。いきおいを調節する訓練は必要に思えたが、このおかげで、少なくても旅はひどくしやすくなったと嬉しかった。
  しかし楽阜はどうだろう。
  それが心配であった。心配であったが、心配するうちにも都に入り、見る見るいりくんだ路地に入ってゆき、そして例の倉庫に着いてしまったのである。
  ところが楽阜は入り口で待っていて、猫天地を見るや、
「話は聞いた」
  意外にも冷静に、中へ迎え入れてくれたのである。
「話というのは、散鬼(さんき)からか」
  やはり散鬼は猫天地を放りだして、先にここへ帰ってきたようだ。そう思えば腹が立たぬでもないが、だからといって困ったことは何ひとつなかったのでもある。
  楽阜は落ち着いた顔で、まず湯をついでくれ、
「奴はまだ慌てふためいているが、俺はそうでもない」
「そうでもないとは?」
「おまえが死ぬよりはマシだったと思う」
「マシというのは、女でいたほうが、本当はもっと良かったということか」
  すると楽阜は素直に、うんと頷き、
「猫天地。男と男が夫婦をやっているのを俺は見たことがない。男同士では結婚できない」
  と言ったのである。
  当たり前である。
  猫天地も、うんと頷くと、楽阜は、
「しかしこの先、俺が結婚しようと思う女が、ことごとく男になるしかないのなら、つまりは俺は結婚できないということがこれでわかった」
  かくなる上は、と楽阜は頷きなおし、
「お互い、男と男の友情をかたく結びあい、ともに手を携えて、この都を平和にしていこうではないか」
「なるほど」
  猫天地も頷きなおす。
「それなら夫婦にならなくても、ともに暮らしたり行動したりできるわけだな」
「そうだ。散鬼だって同じことをしてきたのだ。あいつも俺も独身だ。その上、師に新たに術をほどこされたお前が加われば、鬼に金棒というわけだ」
  猫天地の心配は、これで吹き飛んだ。
  二人はあらためて堅く握手をかわしあい、ついで、ためしに肩を抱き合い、お互いおそるおそる腕をまわしてみたあげく、ついにガシリと抱擁しあった。
「確かに弾きとばされないな」
  楽阜も猫天地も、ようやく緊張感から解放されて、ほがらかに笑みこぼした。
  じゃあ酒だ、と楽阜は急にうかれた調子になって、机の下においてある酒瓶をもちだすと、蓋にしてある盃に中身をついで、
「男になった気分はどうだ」
「悪くない。いや、このほうがいいよ」
  ついに猫天地も上機嫌になって、前からやりたかったあぐらをかき、つがれた酒を口にはこぶと、ニカッと笑う。
  自分は男になるほうが幸せだ。無理やり嫁がされたり、入山を断られたり、妙な噂をたてられて追い出されたりということもこれで無くなった。よく考えれば、自分はもともと夫のある身だった。それを離縁されたわけでもないのに楽阜と夫婦になるのも無理であったところを、今こうして男となってしまえば、離縁もへったくれもなくなった。楽阜と結婚できないのは残念だが、弾きとばされるよりはマシだ。
「そうか。よし飲め。明日から忙しくなるぞ」
  二人はその夜、遅くまで酒を汲みかわしあい、さっそく当面問題の、都にはびこる夜盗集団を襲撃する計画について議論をかわしあった。

  翌早朝、楽阜と猫天地は捕り網をつくりはじめた。網は人間が入るほどの大きさで、頑丈な強い縄を縫い込んであり、引き絞ればすぐに閉じる仕掛けが施してある。
  作業が終わる頃に日がのぼり、ようやく仮眠をとると、日没のころに二人そろって倉庫を出た。
  散鬼は留守番である。夜盗退治について行きたがったが、日ごろから、楽阜(がくふ)や散鬼の義挙にたいする逆恨みや仕返しをする者がよくよくこの倉庫を狙うので、出払ってしまうわけにもいかないのだ。
  楽阜は夜盗どもが終結する場所を猫天地に告げた。それが何と、都のはずれにある皇帝とその一族の墓所だというのだ。
  もっとも神聖にして、国をあげて守備すべき場であるにもかかわらず、夜になると盗賊どもは墳墓の周囲に堂々とたむろし、そのあまりの多さに、墓守役人たちは追い払うことすらできないという。
  都の人々はこれを、皇帝の威信が地に落ちた証拠であると嘆いた。皇帝の取り巻き勢力が本気で皇帝の先祖を敬う誠心を持っていないからだ、と陰口を言う者もいれば、ただ盗みを働くだけの盗賊がわざわざ警備の固い墳墓を狙うのも、そもそも国と皇帝をあざ笑う意図があるからだ、と怒る者もいたが、誰もが心に抱いたのは、この国の行く末はそう長くはないのではないか、という不安であった。
  楽阜や散鬼が自衛団を作り、治安の回復につとめる上で張蒙師に意見を求めた時、張蒙師は、
「せっかくの志も、人々の同意を得られなければ意味がない。腕に自慢の男どもが集まれば、この世の中だ、すぐさま新しい荒くれ集団か盗賊の仲間では、と誤解されるかもしれぬ」
  と言い、だから盗賊どもの中でも、ことに皇帝の墓のそばに集まる盗賊達を退治せねばならぬ、と助言した。
  楽阜と猫天地は、この皇帝の墓所近くで、宵闇が下りるのを茂みにかくれながら待った。
「生け捕りにしてくれ」と楽阜。
「むずかしいな」と猫天地。
  なにしろ二人とも、敵対する者をことごとく弾きとばしてしまうのだ。都から追い払うか、せいぜい深手をおわせて悪行を改めさせるぐらいが関の山だ。
  すると楽阜は、めずらしく鬱々とした顔になり、
「あの中のだれかが、俺の仲間の居所を知っているかもしれないのだ」
  と言った。
  楽阜の言う仲間とは、そもそも彼が仙山を去った動機となった、戦火にさらされた郷里に住まう仲間のことである。
  楽阜がもどったとき、彼の故郷はひどく荒れ果てて昔なじみの姿はまったく見られなかった。戦火というのは、当初楽阜が聞いた曹鴨(そうかも)の率いる暴漢どもの仕業もあったが、むしろひどかったのは、その後この都で挙兵した軍人どもの暴動とその余波、またそれらの回復のためと称して駆けつけた、孫楢(そんなら)、雲双(うんそう)といった武将が引き連れて来た東南からの勢力による影響の方が甚大であったという。
  彼らは其成(それなり)帝を擁立して曹鴨を討ったまでは良かったが、飯聞(いいもん)帝になってからは、「都の回復」に名を借りつつ、実態は東南の異民族の力を借りては、新たな襲来を都の内外に輪を広げて招いた。田畑も建物も破壊されつくされ、多くの者が死んだり他の地に逃れて、元どおりに住み暮らしている者は激減したという。あまつさえ楽阜やその仲間はみなし子ばかりで親類縁者がなかったから、こうなってしまうと誰がどうなったのかを知るつてがない。
  かろうじてわかっていることは、仲間の何人かが、異民族襲来の混乱に乗じて出回った盗賊の一団に連れ去られたということだけだった。
「憎いかたきだが、仲間の居所を知っているなら教えてほしい」
「そうだったのか」
  それで楽阜は張蒙師につれられて故郷をはなれ、抱虎山で術を身につけて、人も情報も集まる都に身をおいていたのだと猫天地(ねこてんち)にも合点がいった。
  あたりがすっかり暗くなるころ、遠くからカチカチと石を打ち鳴らす音が鳴り響き、やがて暗がりをぞろぞろと八方から人の集まる気配がした。
「よし。行こう」
  二人は草むらをとびだした。


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