「猫天地伝」
作/こたつむり


〈3章〉14p

「いや、俺にもよくわからんのだ。とにかく、すぐそこだ。会わせてやるよ」
  男は先に立って歩きはじめてから振り返り、食べ物はあとだ、とつけくわえて言ってくれた。

  男は、散鬼(さんき)、という変わった名前の持主だった。
  猫天地はこの散鬼につれられて、路地の角をいくつも曲がった先にある、何かの倉庫らしき暗い穴ぐらの入り口でひとまず待たされた。穴ぐらの中には、なぜか大勢の人が所せましとひしめいている。そこへ倉庫の奥から、
「何! 猫天地だと! 散鬼。それは本当か」
  と、あの懐かしい楽阜の声がひびいてきたではないか。
  思わず猫天地が、老若も男女もいる人々の肘をどつき肩を押して、倉庫の中へふみこもうとしたところ、
「猫天地か」
  楽阜がせかせかと入り口にその身をさらして声をあげたので、集まっている人々の視線はいっせいに猫天地にむけられた。楽阜はかまわず、人々の肩ごしから満面を笑みくずして見せ、両手をひろげて歩み寄ってきた。
「楽阜! 会いたかったよ」
  猫天地も、ふりむいている一人をつきとばし、楽阜の広々とした胸をめざして突進した。
  が、異変は起こったのである。
「あっ、ダメだ。猫天地」
  と楽阜が叫ぶのと、猫天地の身体が宙にういて地に投げ出されたのは、ほとんど同時だった。何が起こったのかよくわからず、猫天地は空腹に弱っている身体をめげずに立ち上げると、再び楽阜(がくふ)の胸にむかって同じことを試みた。
「待ってくれ」
  止める楽阜の声より先に、猫天地はやはり突き飛ばされ、今度は人だかりのど真ん中に放りだされる。
  まちがいない。楽阜自身が猫天地をつきとばしているのである。
  ひしめいていた人々は、迷惑そうな顔をしながら、それでも猫天地をひきおこしてくれた。
「ちきしょう。せっかくここまで来たのに、なんでだよ」と猫天地。
「猫天地。これにはわけが……」
  と、やはり楽阜は慌て、自分のほうから身をよけようとするが、三たび猫天地に小さな身体をぶつけられると、またもや弾きとばしてしまうのであった。
  路地を囲む塀に背を強くたたきつけられ、泣きべそをかいて文句を言う猫天地に、楽阜は、近寄ってくるなとばかりに両手のひらを向けつつ歩み寄り、
「おまえと別れたおりに、俺は言った。お互いに身を鍛えようとな」
「だからって、こんな仕打ちはあんまりだ」
「うむ、そうだ。すまない。しかし、こうして近寄る者をとりあえず弾きとばしていれば命を失うことはまず無いし、戦いにも負けることがないのだ」
  楽阜は困った顔で、猫天地の手に自分の手をそっと置こうとした。
  同じ目にあうのは懲りごりとばかりに、猫天地が身を引きかけると、楽阜は、
「大丈夫だ、猫天地。体に触れさえしなければ飛ばしたりはしないのだ」
  と不思議なことを言った。
「都はこのとおり、たいへんな状況だ。今や夜盗に注意をしているだけではすまされない。それで、こうした技術を身につけたのだが」
  今にしてみると、とんでもない身体になったものだ、と楽阜は溜息をつく。猫天地もようやく首をかしげ、
「どうやって、『そんなもの』を身につけたのだ」
「うむ。抱虎山の張蒙師(ちょうもうし)のもとで修行をしたのだ」
  張蒙師の住まう抱虎山は、仙山とちがって都に近く、そのうえ張蒙師は天戒師(てんかいし)などとはちがい、よくよく山を下り都の周辺をおとずれては、ときおり優れた者を見つけると弟子にとって、さまざまな術をほどこしてくれるという。
「昔は弟子入りをいくら頼んでも、俺など歯牙にもかけてくれなかった張蒙師だが、どうも仙山での修行が功を奏したようだ。去年の暮れに俺たちの村に師が立ち寄り、ついに俺に声をかけ、抱虎山につれていってこの術をほどこしてくれたのだ」
「そうだったのか」
  強くなりたい楽阜にとっては喜ばしいことだろうが、猫天地としてはあまり嬉しくなかった。
「これだと私は、楽阜と結婚できないことになる」
  頬に空気をためて不平をもらした。
  これを聞くと楽阜はまず照れた。しかしすぐに途方にくれ、ひとつだけいい方法があるが、と遠慮がちにもちかけた。
「おなじ力をもつ者同士なら、弾きとばすこともないらしい。事実、俺は誰かれかまわず弾きとばしてしまうが、張蒙師だけにはそれが通用しないからな」
「どうすればいいだろう」
「ちょっと待て。これから張蒙師に手紙を書いてやる。それを持って抱虎山にいけば、あるいは師が、おまえにも同じ術をほどこしてくれるかもしれないぞ」
「楽阜みたいな力持ちになれるのか」
「ああ、なれる。それに円満に抱擁しあえるだろう。言われてみればたしかに俺も、弾きとばしあっている夫婦なんて見たことがないからな」
  さっそく楽阜(がくふ)は倉庫の奥に入ってゆき、かわりに、ちょっと姿を見せていなかった散鬼が、大きな釜を布で覆ったままズルズル引きずって持ってきた。
  とたんに、あたりに詰め掛けていた人々から、ワアッと歓声があがる。
「さわるな、熱いぞ。火傷するから、どいてろよ」
  散鬼は大声でみんなを牽制しつつ、顔をしかめて釜の蓋をとった。途端に釜の中から湯気が舞い上がり、猫天地も、
「あっ。食べ物!」
  おいしそうな雑炊の匂いに、まわりの人々とおなじような嬉しい声をあげた。散鬼は忙しそうに大きな棒で釜の中をかきまぜながら、猫天地をふりかえり、
「おまえも食っていけよ。兄貴はとにかく忙しいから、どっか行くなら、俺がついて行ってやるよ」
  と、あいかわらず親切に声をかけてくれ、あとは、
「順番順番。まずそのへんにある器を取ってから並んでくれ」
  我先におしよせ釜をとりかこむ人々に、もみくちゃにされながら、怒声を放った。

  抱虎山は楽阜の言ったとおり、都を村ひとつ離れた距離にあった。山とは名ばかりで、仙山にくらべれば規模はたいへんに小さく、修行場が麓にあふれ出て村を成しているし、村には修行者といりまじって民間の農場もあった。仙山のごとく深山幽谷でもなく、何となく不思議な場所でもあった。
  約束どおりに散鬼は、猫天地を抱虎山まで連れていってくれた。
  しかし道々、猫天地からこの旅の目的を知らされるうちに、どんどん不機嫌になり、抱虎山に到着するや、
「こんなところに、おまえを連れて来るんじゃなかった」
  と不平を口にした。
「なぜだよ」と驚く猫天地。
「考えてもみろ」
  さも、この先は一歩も行きたくない、とばかりに散鬼は往来にデンと止まった。すでに麓の村をとおりすぎ、抱虎山の入り口にきている。
「いいか。女は強くならないほうがいい。俺は、おまえが弱い女の子だったから、悪い奴から守ってやったし、こうして危ない道中にもついてきてやってるんだ」
  猫天地は首をかしげ、
「強くなったら、そんな面倒をかけずにすむじゃないか」
  すると散鬼は、ばかだな、と地団太を踏み、
「おまえが悪い奴らを自分で始末してしまったら、おまえと俺は知らない者同士のままだ。こうして一緒に旅もできなかった」


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