「猫天地伝」
作/こたつむり


〈3章〉13p

  あたりが明るくなりはじめるや、とたんに初夏の日差しに湯気をあげて腐臭がたちこめる。
  さまざまな橋の上に死体が確認できたが、都に近付くにつれてその数は増えた。どれもほうり出されているように見える。
  はじめの頃それらは、まだ筵がかけられ人通りをさけるよう脇に寄せられていたものだが、いよいよこれから都というあたりに入ると、ただ無造作に砂がかけられるのみで、左右にどけられもせず、人通りに任せて端に寄せられているようでもある。
  馬車をひく馬だけは神経質に立ち往生し、中から人が降りてあらかじめ梅雨払する光景にも出会ったが、うしろにつながれた車輪が、死体の一部……足首とか手の指先とかをぞんざいに踏みしごいて無理やり渡ってゆき、せっかくどけられた死体から、いろいろ飛び散らかって、再び無残な光景をつくる。
  死体のほうが自分から橋の上に集まってくるのではない。死体をここにおくのは、橋の下を住処にしている人々のようだ。
  おととい猫天地はやっと都に入ったが、きのうには、白昼の町なかで暴漢にとりまかれ金品のあらいざらいを盗られてしまった。
  往来する人々は元々多くはなかったが、それでもすぐ近くを通りすぎた人間は何人か居た。それが誰一人、猫天地を助けてくれなかったのだ。白昼堂々、人前での物取りなど、都に来るまで会ったことがない。
  そこで猫天地は昨夜、泊まる宿もないまま不承不承わが身を橋の下においてみて、はじめてそこに住む人々が川辺の死体を橋の上にもってゆく光景を目のあたりにしたのである。
「これが都って所か」と猫天地。
  この都は都ではあるが、その君主たる皇帝は様々な勢力に取り巻かれてあちこちに連れ廻されていて、皇帝の従えるべき人民がそのたびに移動するもままならず、残留する軍も行政も機能せずに殆ど放置されていると言っていい。
  都の中央には皇城という皇帝の住まう宮殿があり、今は皇帝がおられるとの噂ではあるものの、それが真実かどうかは誰に聞いてもわからない有様であった。
  現在の皇帝は、北国からきた武将の曹鴨(そうかも)によって殺害された鳥会図(とりあえず)帝の従兄弟にあたる。
  鳥会図帝の跡は、その長子、次子、鳥会図帝の弟、と続けて皇位についたものの、相次いで病死した。元々病弱だった長子はともかく、次子は毒殺、鳥会図帝の弟、蔓摩(まんま)帝などは自殺と噂された。
  その後は曹鴨が自身で帝位につくという噂も流れたが、実際には曹鴨は北の園扁(そのへん)との和睦に失敗し、皇城内部では宦官達によって、もはや他の王族との連絡を邪魔されていた。それを逆恨みしたのか保身のためか、曹鴨は宦官達と親しかった武将や軍人達に鳥会図帝を謀殺した罪をなすりつけて、彼らを国外追放した。
  追放された連中は都を出ず、無計画のうちに都においてにわかに暴動を起こした。曹鴨の指揮は優れていたので皇城こそ陥落しなかったものの、暴動を起こした連中には、いぜん曹鴨が皇城に攻め入った時、味方も敵も区別がつかず、遠巻きに事態を見守るのみで全く役に立たなかった軍人も多くいて、この時の暴動の有様もまた無節操にしてひどいもので、主にこの時をもって都はボロボロに破壊された。
  やがて蔓摩帝の子で、いぜん曹鴨が笛唐(てきとう)に亡命してきた時、園扁との戦闘で園扁に囚われ人質となった鳥会図帝の甥が、園扁から帰されてきた。園扁の曹鴨への嫌がらせとも噂されたし、和睦には応じない姿勢を取ったものの、園扁が逆に何らか曹鴨と密約を交わした結果とも噂された。
  この王子が、自身の本拠である南嘉(なんか)という地で即位し、其成(それなり)帝と成ると、東南より大軍を率いてきた孫楢(そんなら)、雲双(うんそう)という二人の武将に護られて都に入り、先に都で暴れた暴走軍人達とも合流して、ついに曹鴨を討ち果たしたまでは良かった。
  が、勇猛な其成帝は、南嘉の地に曹鴨の子が逃げ込んだのを、残党を駆逐せんと深追いした所を、又しても北方より園扁が攻め入って、やはり又しても其成帝は北国軍に囚われたあげく、今度こそ死した。
  今は残り少ない王族から、わずかな側近に護られて鳥会図帝の従兄弟がようやく即位した。それが今の皇帝、飯聞(いいもん)帝である。現在は、孫楢、雲双という二大武将が処遇をめぐって仲間割れし、飯聞帝を取り合ってはほうぼうで合戦を繰り広げ、その被害は都の内外に波及している。
  都は打ち続く戦乱によって傷付いたばかりか、世界は休む暇もなく戦火に明け暮れ、再建される見込みもなかった。
  金がない上、寝不足の今朝。このまま飢えたらあの橋の上で横になって並ぶのかなあ、などと思いながら、猫天地が橋の下から身をのりだし、フラフラと表を歩きだした途端、またもや、
「金を出せ」
  やはり白昼、五人の男にとりまかれた。どれも垢にまみれて目鼻のありかも定かでない。こうした連中あいてに、
「きのう、みんな盗られちまったよ。そっちこそくれよ」
  などと言っている猫天地なのであった。相手も相手で、
「それなら着ているものを脱げ」
「イヤだよ。それより何か食べ物をおくれ」
「おい、脱がせろ」
  イヤだイヤだと襟をおさえてがんばる猫天地だったが、あっという間に腰から下をはずされ脱がされてしまった。ついで、
「上着もとっちまえ」
  と、五人がかりに両手の自由を奪われかかったときだった。
  ブン!
  凄まじい音が鳴って、五人のうちの一人がすぐに気絶してしまったではないか。のこり四人が背後をふりかえる間もなく、そのうちの二人が両足を薙ぎ払われてたおされる。
  猫天地の目に、ようやくその正体が映ったとき、さいごの二人は『その者』の両手にそれぞれの髪の毛をつかまれ、頭と頭をガツンとぶつけられて口から泡をふいていた。
  転ばされた二人だけがなんとか立ち上がり、自分たちをのした相手の体の大きさと腕の太さに目を見張るや、仲間をおいて、すばやく雑踏に姿をかくした。
  猫天地は感謝も感心もし、助けてくれた男に、
「助かったよ。何か食べ物を持ってるかな」
  と近寄ったが、その男は、
「こらこら、ちょっと待ってくれ」
  ひどくあわてて猫天地から大袈裟に遠ざかり、
「脱がされているものを先に着てくれ」
  と髭もじゃらの顔を真っ赤にして頼んできた。
  猫天地(ねこてんち)は言われたとおりに着衣しなおしながら、
「楽阜という男を知らないか」
  どこの誰に会ってもやってきたように、まずこれを聞いてみた。すると、
「楽阜だって? おまえ、兄貴の知り合いか」
「兄貴?」
  意外な答えに、猫天地はすっとんきょうな大声をあげた。今までこうした反応をうけとったことはめったにない。
  そこで猫天地はすぐにしゃがみこみ、砂塵を舞いあげる道端にゆびで『楽阜』と書いてみた。似たような名前の人物を知る人になら、これまでにも二回ほど会ったからだ。ところがその男は、
「ああ、兄貴の名前だなあ。ついて来るか?」
「近くに……この都にいるのか」
  楽阜の故郷は都のそばであって、都そのものと聞いた覚えはない。猫天地がそう言うと、その男はとたんに胸を張り、
「俺たち自衛団ってやつをやってるんだぜ。兄貴は団長、おれは副団長。都をうろつく盗賊や無頼漢から、力のない民衆を守ろうと立ち上がったのだ」
  とスラスラッと言う。猫天地は目をぱちくりとして、
「なんのことだ、それは」


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