「猫天地伝」
作/こたつむり


〈2章〉10p

「行ってはならん。おまえはここに残って修行しろ」
  猫天地はうけつけない。のうのうと男所帯にのりこみ座をとると、部屋の片すみに立て掛けてある琴を手にとり珍しそうにながめまわしたあげく、ボロンと弾いては不思議がった。つづけてあちこちの弦をおさえては弾くうちに、なんとすぐさま音感をとらえ、やがて歌いだすではないか。

  山で生まれたものには海風が冷たい。
  海をわたる天女は火をともし、火に薪をくべる旅人は去った。
  旅に行きおくれた私は、また山に残される
  そうして火は、いつか燃えつきるだろう。

「その歌は……」
  二柳毛は声をつまらせてつぶやいた。
  猫天地は琴を手からはなして、
「今、思いついたことを勝手に歌っただけだよ。歌なんかじゃないさ」
「いや、それは母が……」
  言うや二柳毛は、はげしく身をふるわせて嗚咽をもらした。
「死んだ母が昔、うたってくれた歌だ」
  わななく手で琴をとり、封印されていた過去の手ざわりを取り戻そうとでもするように、何度も我がほおにこすりつけた。

  猫天地は二柳毛の看病に足しげく通いつめ、二柳毛(にりゅうもう)もそれを迎えては琴を奏で、ともに歌う日々がおとずれた。音楽が外にも漏れ、それがいらざる波紋をよぶのに時間はかからなかった。
  無駄な話をいっさいしないのが流儀であった修行者たちにはめずらしく、仙山じゅうを散らばる噂ばなしという奴のとりこになった。
  その論調は二つに大きく分かれているが、噂の中心はいつでも決まりきった二人の修行者、二柳毛と猫天地である。
  二つの論調とは主に、上級に達した先輩弟子たちが一派を築き、もう一派を未だ中級あるいは下級にあまんじている弟子たちによって形成されている。
  上級者たちはまず、猫天地をあしざまに罵った。猫天地は、病床に伏せる二柳毛の心弱きにつけこみ、看病などにいそしむ振りをして男心を篭絡するがゆえに、楽の才をして仙を果すみこみのあった二柳毛の将来をふみにじっているのだという。
  ならば二柳毛を擁護するかといえば、そうでもない。気の毒ではあるが、ああなっては男も終わりだ。骨抜きにされるのは本人のせいではないが、抜かれた骨は元にもどらぬのだから、そうした者は社会貢献もままならず、ましてや仙を果すなどもっての他。つまりは、二人ガン首そろえて山から出ていけという結論になるのである。
  中下級者たちはといえば、いや、二人はこのまま仙山にとどまるべきである、という。出ていけといっても二柳毛は仙山の秘密を知っているから、出してやるわけにもいくまい。その二柳毛が病に伏し、身辺不自由なさまを、猫天地は実にかいがいしく看病しているではないか……と、ここまでのところ、二柳毛よりむしろ猫天地にたいして同情的である。
  げんにこの一派には、主に炊事場を担当する者たちが多く、病人の口にちょうどよい食べ物を所望しにくる猫天地の、看護に熱心な様を目のあたりにして心を打たれ、彼女のために炊事場の隅にひとつところを与え、二柳毛の食事をつくるための便宜をはかってやっている。その病にはこれが効くとか、その食材なら山のこんな場所に生えているなどと教えてやる内に、いつしか情すらうつっている。
  そして、だからこそ、ときおり猫天地の作るあまりにも修行者らしからぬご馳走の数々に、瞠目することしばしばなのだ。やがてそこから、自分たちは目にすることのない、二柳毛の部屋の中でおこる男女のやりとりへのいらぬ想像をかりたてられては、すでに二人は俗っぽい関係にあるにちがいないとか、二柳毛の病が癒えぬのは猫天地に精気を吸いとられたからだろうなどという、それこそきわめて仙をめざす者が口にするべきでない下卑たうわさを蔓延させる結果につながった。
  これを下級に近い弟子ほど、猫天地本人に注意として伝えてやったものだから、猫天地も困ったものだと一時は思い、二柳毛に伝えてやったところ、二柳毛は、
「堪忍袋の緒も切れた」
  と病の全快を果すのも待ちきれず、怒って修行者たちの住まいから出ていってしまった。妻を持つ身の彼にしてみれば、これほど不当な評判も無かったからだが、それよりも、
「元々じぶんは仙人になりたいと思ったことなど毛頭ないのだ。それを今こそ、天戒師にまで目にもの見せてやる」
  これが堪忍袋の緒の切れた二柳毛のついに吐いた台詞であった。そこで人の住まぬ山林を切り開き、家を建ててしまえば、
「俗っぽくて何が悪い」
  と、猫天地もその周辺に畑をこしらえ、手当り放題、食いたいものの種やら苗やらを植えはじめる。
  遠慮がないとは恐ろしいもので、二人はともに知恵をだしあい、互いの故郷の習慣や昔話を語りあいながら、噂を肯定する結果にしかならない同棲という奴をはじめてしまったのである。
  ところが、こうまでなってくると逆に、この二人に同情的であった者の順から、ぽつりぽつりとこの風変わりな家屋をたずねては、二人にとって要り用な物や上級者たちの情報などをもたらしてやる、いわゆる掟やぶりが出始めたのは不思議である。さらに不思議だったのは、上級者たちがこの惨状をどう訴えても、天戒師がまるで耳を貸さず、ともすると何もかもを容認しているかのように見えることすら少なくなかったことである。
  日没のころ、修行などすっかりやめてしまった二柳毛と猫天地(ねこてんち)は、新しく開いた畑での一日の仕事をやめ、ほったて小屋に入って、今度は天井の雨漏を修繕したり、衣服の仕立てなどに精を出す。気のいい猫天地は、ときおり他の修行者の繕いを引き受けたりもする。
  そして夜のとばりが降りるころになって、ようやく二人は表にでて焚火をおこして楽の音をたのしむ。
  これに、楽しみの少ない修行場をぬけだしては修行者たちがおとずれ、夜毎の宴に笑い興じる。中にはついに移り住んでくる者まで出はじめ、修行場をひときわはなれた一隅に小さな村ができてしまった。彼らは一応は修行をしながら、午後になるとこの村をおとずれ畑仕事に精を出している。
  彼らのもっとも楽しみとすることに、二柳毛のつくり奏でる琴の音と、猫天地の歌やさらに加わる踊りがあった。これは、猫天地が故郷に伝わる昔話を語ったところ、二柳毛が書きとめて詩につづったものが元になっている。さらに二柳毛(にりゅうもう)が節をつけ琴を奏でて歌うと、猫天地が声をあわせ踊りはじめて人々の喝采を得た。
  しかし二柳毛には、ことさら民話などに興味があって猫天地に語らせたわけではない。
  当初、二柳毛にとって猫天地への最大の関心事は、はじめて彼女が口ずさんだあの歌を、いつどこで伝え聞いたのかということだった。が、いくら聞いても猫天地は首をかしげて、思いついたのだとしか答えない。つづけて聞き出したところ、猫天地の故郷と母柳女の故郷はあまりにも距離をへだてており、全くのところ二人の女の記憶に関係を見出せない。
  すると猫天地が言ったのである。
「天女を私は本当に海で見たのさ。毛(二柳毛)とちがって、私は赤ん坊のときにおっかさんを亡くしちまったから、どんな顔してたかおぼえてないんだよ。それで、私のおっかさんがこんな奇麗な人だったらいいのになあと思ったんだよ。その天女を見てね」
「それは仙を果した者だったんだね」
「さあね。でも、もしそうだとしたら、この山で仙人になったわけじゃないよね。だって、この山じゃ本当は女は居ちゃいけないんだろ? ってことは、仙人になりたくて、しかもなる奴は、ここじゃなくても居るってことじゃないか。それなら、ちがうところに生まれてきてもおんなじ歌をうたいたくなれば歌う奴も居ていいってことになるんじゃないのかなあ」
「なるほど」
  もしそうであるならば……と二柳毛は、このとき思ったのである。
  あっけなくこの世を去った母に、二度と会えない自分であればこそ、生涯おのれのそばから猫天地を離してはならないだろう。


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