「猫天地伝」
作/こたつむり


〈2章〉8p

  入山をゆるされた楽阜と猫天地は、二柳毛(にりゅうもう)の指導のもとで修行にはげむこととなった。
  朝日に山肌をさらす東の峰で、三人はならんで両腕を横におしひろげたり前につき出したりするだけで、腕以外は何時間も動かさずに立ち尽くす。まだ夜明け前ごろから立って待ち、のぼってくる陽光を二柳毛がまっさきに浴び、背後の二人がそれにならう。
「これで夜盗に襲われなくなるのか」と猫天地。
「それは多分、まだずっと先のことだ」と楽阜。
「二人ともしゃべるな。今までの辛抱が水の泡になる」
  と、二柳毛がいちいち二人をふりかえって真剣に注意する。
  修行といえば、早朝にこれっきりである。
  日が高くのぼるころから、二柳毛は山を上がって例の小屋番をつとめる。楽阜(がくふ)と猫天地はふもとに下り、畑仕事をさせられたり先輩弟子たちの衣服をつくろわされたりと、修行には程遠い作業ばかりにおわれた。
  なぜか炊事を任されることだけは無かった。しかし食事には、一日に二回、きちんとした量きちんと決められた時間にありつけたから、旅のわびしさからはひとまず解放された。
  楽阜と猫天地はまじめによく奉仕をし、やがて仕入を任された。
  仕入といっても、日用品をまとめて買う役目にすぎないが、これには仙山の会計が絡むのだから、まずは信用されたようである。
  ただし検問所からは出られない。仙山ふもとに立ち寄る商人たちを検問所に引き入れ、その場で品物を卸してもらうだけである。商人たちの中にはこすっからい者が多く、急に世の中の景気が動いたのだ、などと言って高値を吹っかけて来る者も多かったし、言葉の通じない相手もいたが、やがて交渉にも慣れた二人は、外部の者にも顔を知られるようになった。
  入山を果してから半年も経ったある早朝、二人は二柳毛から、二柳毛の下に弟子の座をゆるされたという報告を受けた。二柳毛はさわやかにほほ笑んで、
「二人ともよくがんばったな。ときおり朝の修行や労働に嫌気がさして逃げ出す者も出ると聞くが、そうはならず、これで私も肩の荷がおりた」
  とねぎらいの言葉をかけ、少し声をおとして、裏手にある鉱物の採掘所にだけは近付くなと神経質に念を押した。
  顔じゅうをほころばせて楽阜と猫天地は喜びあった。
  ところが翌朝、これがぬか喜びだったように思えて来た。東の峰に突っ立って修行したのちに朝飯をすませ、わざわざ山をのぼって遠い修行場に行くと、居並ぶ先輩弟子たちの一番はしに立たされてえんえんと待たされ、ようやくやってきた天戒師とほんの瞬時、手をあわせたな……と思ったところで、はい、おしまい、とふもとに突っ返されたからだ。
  弟子として認められるとはこんなものか、と首を傾げていた二人だったが、あとで二柳毛から、自分も一年ほど前、入山してやはり半年ほどであれを初体験したのだと聞かされた。
  こう聞かされると二人はなんとなく、ようやくにこの山の人となったというほどの思いにはなれた。はじめて上った修行の場には先輩の修行者たちがたくさん居て、それまでは各所で彼らを見かける事も無くはなかったが、こうも居並ぶ所は見た事がなかったので、そうか、ここはやはり仙人の修行をする山だ、いつまでも旅の続きをやってるわけではないのだという感慨をあらたにしたのである。
  ただし、これで修行者たちと和気藹々と仲良くなれたわけでもなかった。と言うより、修行者達は無駄な話をいっさいしない。
「ああいうのが夜盗に襲われない人間か」と猫天地。
「きっとそうだ。あれで遠くまで耳をすませ気をくばって、泥棒たちを察知できるのかもしれぬぞ」と楽阜。
  ふもとで会話する商人たちのほうが、二人の新参者にとってはよほどに親近感をもてるのだった。
  それでも修行場までの行き帰り、一言二言声をかわすうち、修行者の顔ぐらいはすべて覚えられるまでになった。そんな折、とつぜん天戒師が楽阜の右肩をつかみ、
「明日からお前は、ここに入れ」
  と、先輩である二柳毛より上位の位置に座を指定した。
  驚いて楽阜が二柳毛をふりかえったが、二柳毛はさして驚きも悔しがりもせず、落ち着いて礼をして座をゆずった。
  飛び級という奴である。
  この日ばかりは、帰りの山道において、
「すごいな、楽阜」
「半年で指名をうけるとはな」
「驚いたな、がんばれよ」
  などと先輩たちから声をかけられ、肩をたたかれたものである。
  さらに二ヶ月もたたぬ内に、再び楽阜は天戒師(てんかいし)にこの飛び級を適用された。このときは二柳毛のさらに上位にいた先輩を、二人もいっぺんに追い抜いた。
  楽阜は午後の畑仕事いがいの雑務すべてを免除され、修行場に居残って武芸の訓練をうけることに決まった。
  それでも楽阜には、先輩たちに対して得意そうにふるまうところがなかったため、ことさら妬まれるようなことはなかったどころか、遅れてやってきた畑で猫天地(ねこてんち)の姿を見付けるや、決まって楽阜はおのれの役割の二倍は働いて、仕事の遅い猫天地を助けてやったし、仕入にも精を出して、いよいよ先輩方の奉仕に力を注いだ。
  ただ、楽阜が新たにうけることになった訓練は、一日の小屋番の役目を終えた二柳毛が、音楽の手ほどきを受けに天戒師の元へおとずれる時刻まで続行されたので、二柳毛と楽阜と猫天地の三人は、ついに早朝の静功とそれにつづく修行場いがいでは、そろって顔をあわせるいとまが無くなった。
  静功とは例の、東の峰で突っ立って朝日を浴びる修行のことである。
  ところがある朝、この静功に楽阜が姿をあらわさなかった。
  猫天地も二柳毛もいぶかしがったが、その後に行った修行場にも楽阜の姿は確認できない。
  病気でもしたかと猫天地は気をもんだが、修行場を下りて畑に行ってみると、楽阜は早くもその場にしゃがんでせっせと雑草を摘んでいた。畑の南端には荷車が放置され、その上にはその日に採れた作物が山のように積まれて、楽阜の健在を物語っているではないか。
  やってきた猫天地を見るや、楽阜は意を決したように立ち上がり、近付いてきて、
「俺はこの山を下りる」
  と突然の決意を述べた。目を丸くしつつも猫天地は、
「もう夜盗に襲われなくなったのか」
  と尋ねた。ならば、朝の静功も、山の上での修行も、もはや楽阜には必要ないだろう。
  ところが楽阜は、いつになくしょんぼりと肩を落とし、
「きのうの午後、師に修行を禁じられた」
  と意外な告白をして、猫天地の手をひいて杉の木陰へといざなった。猫天地は聞いた。
「師というのは、天戒師か」
「そうだ。『お前のからだには殺気がある。そうした者に修行をほどこすわけには参らぬ』と、こう言われた」
  猫天地は楽阜の肩や胸に我が鼻をあて、くんくんと匂いを嗅いだが、
「そうした匂いは特にしない」
  と首をかしげるのみである。楽阜も首をかしげ、
「きっと我々には『殺気』がわからぬのだろう」
「どこで『それ』を身につけたか、覚えはあるのか」
  楽阜はやはり首をかしげたが、ややあって、あるとしたらと声を発した。
「一昨日の夕刻、ある商人から、故郷が戦火にさらされて多くの者が殺されたという噂を聞いた」
  楽阜が聞いた話とはこうであった。
  現王朝を笛唐(てきとう)朝といい、現皇帝を鳥会図(とりあえず)帝という。その北に割拠する国を園扁(そのへん)朝という。この園扁から、十万の兵と十の州をつれて笛唐に亡命してきた曹鴨(そうかも)という武将がいた。形としては亡命だったが軍隊ごとの入国であったから、皇帝の鳥会図はこれを利益と見なし、曹鴨を一郡の王に取り立てた。


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