「将門雑記(風と雲と虹と)」3(14〜20)
キャスト

平国香=佐野浅夫
平貞盛=山口崇
貞盛の爺や=永井柳太郎

平良兼=長門勇
良子=真野響子

平良将=小林桂樹
将門の母・正子=新珠三千代
平将門= 加藤剛
平三郎・将頼=高岡建治
平四郎・将平=岡村清太郎
菅原景行=高橋昌也
三宅清忠=近藤洋介
伊和員経=福田豊土
将門爺や=日野道夫・その妻で元乳母=関京子
子春丸=島米八
栗麻=神田正夫
桔梗=森昌子

平良文=渡辺文雄

平良正=蟹江敬三

鹿島玄道=宍戸錠
鹿島玄明=草刈正雄

藤原純友=緒形拳
螻蛄(けら)婆=吉行和子
美濃=木の実ナナ
藤原恒利=今福将雄
千載=五十嵐淳子
大浦秀成=中丸忠雄
くらげ丸=清水紘治
鯒麻呂=大塚吾郎
鮫=丹古母鬼馬二
武蔵=太地喜和子

源護=西村晃
詮子=星由里子
定子=新藤恵美
源扶=峰岸徹
小督=多岐川裕美

藤原忠平=仲谷昇
藤原子高=入川保則
平維久=森塚敏
藤原正経=寺田農
佐伯清辰=渥美国泰
漢部倉麻呂=北浦昭義

貴子=吉永小百合
貴子の乳母=奈良岡朋子

小野道風=小池朝雄



この回の関連レポートは、「城主のたわごと」2008年8月<史跡と順路について>からおよび9月(冒頭部)からを(^^ゞ。

14話「再会」

  藤原忠平なりに将門を庇い、ほとぼりが冷めるまで京を離れさせ手柄を立て直させようと、将門に海賊退治を命じ、藤原子高は将門の罪状をあげて煽った。
  大宰府に連坐した菅原道真の三男・景行は、小野道風の学友で、道真の死後、免罪され京にいたが、常陸の荘園に行こうとしたので、道風は四郎に同道を頼んだ。四郎は早くも京に嫌悪を持ち、菅原道真を慕う三宅清忠も、長く官位に洩れた日々を捨て、景行の家来にと願い出た。
  将門が海賊退治に出ると知ると、貴子乳母は悩み、乳母は貞盛に貴子を頼み、貞盛も貴子に迫って、ついに貞盛を迎えてしまった貴子は、泣く泣く将門を見送り、徐々に貞盛に靡いた。
  現地で兵を張達する慣習を破り、追捕使の佐伯清辰は一騎当千の者だけ率いて、途中の地にも寄らず海賊討伐に直行。驚いた伊予の平維久藤原正経は、純友に接待を押し付けたが、くらげ丸が海の幸を提供。藤原恒利が遊び女に生ませた女・千載も純友の元に赴いた。



15話「伊予の海霧」

  互いに責任をなすりあい、手柄を取り合う守の平維久と介の藤原正経は、海賊が伊予以外の領地に行けば問題解決などと一喜一憂したが、純友たちは海賊達を中島に集結させ、佐伯清辰一行を中島に向かわせようと画策した。
  反逆によって民を救おうとする純友に、「あなたは民の全てを愛せるのか、自分は愛する者のためにしか働けない」と言う将門。純友は海賊討伐軍を皆殺しにする計画から将門だけ助けようと、大浦秀成が作成した「板島にも海賊が出た」という偽書状をに持ち込ませ、「自領から追加兵を集めに行く」と将門の同道を求め、佐伯清辰も快諾。将門は純友とともに発った。
  その頃、京では純友を思うあまり覇気を失った武蔵だったが、手下への士気を思い、藤原子高の館に侵入。庭に張った罠に足を捕らわれてしまった。



16話「恋の訣れ」

  中島に向かった佐伯清辰たちは霧の船上、同船したくらげ丸鯒麻呂鹿島玄明に斬殺され、純友に代わり同行した「目(さかん)」の漢部倉麻呂も、海賊船団の奇襲で全滅。の知らせで将門は純友の計略と気づくが、海賊を恐れず、むしろ信頼し親近感すら持つ民達にも衝撃を受けた。海賊が襲うのは、港や関所で役人に搾取される京への貢物船のみだったからだ。
  伊予の守の平維久や介の藤原正経は、純友の地元兵が無傷なのに、京から来た武者たちだけが全滅では、海賊との結託を疑われると焦ったが、純友が「中島では討伐軍も全滅したが、海賊も相当な打撃を被った。板島では海賊が遺体を持ち去って首級は挙げられなかったが、京から来た将門の活躍で海賊の首領を討った」と報告する旨を話すと、維久も正経も大喜び。地元の被害者も多数出たように国府の戸籍をいじり、盛大な供養をあげることに決まった。
  藤原子高に捕らわれた武蔵は、処刑を前に、玄明・螻蛄婆美濃に奪還されて坂東に向かい、京に戻った将門も、貴子貞盛が睦み会う影を見て悲憤。坂東に帰る決意に至る。



17話「昿野の蝶」

  坂東に戻った将門だったが、彼の所領の民達は盗賊を恐れていた。が、再会した鹿島玄道たちは確かに盗賊だったもの、貧民より裕福な悪党を襲う盗賊だった。
  将門はや弟の三郎四郎、また菅原景行三宅清忠とも再会を果たし、民たちと田畑を耕し、土手や橋の修復にいそしみ、棚上げされていた叔父たちとの領地問題にも乗り出した。長の伯父・国香では前にも埒があかず、四の叔父・良文は何かと気に掛けてくれるが本拠が武蔵国と遠いので、将門は二の伯父・良兼に事情を聞きに行った。
  が、良兼は妻を失ったばかりで老け込み、領地についても、今は亡き将門の父・良将が、将門が源扶と争った詫びに、源護に進呈したと言う。結局、源護に聞くのが一番と良兼は、急に嬉しそうに将門を誘って、源護の家に行こうとする。良兼の娘・良子は、そういう父親(良兼)を、妻を亡くして、年甲斐もなく源護の長女で出戻りの詮子(28歳)に恋をしているからだと言う。



18話「氏族放逐」

  末の叔父・良正も、源護の次女で婚約相手が死んで未だに独身の定子(25歳)に恋し、護の家に入り浸りだった。源護は任期を終えて坂東に根を下ろし、その邸宅は贅沢を極めていた。
  国香良兼・良正・将門の前で源護は、将門が源扶の郎党を傷付けた詫びとして、4ヵ所の土地を貰った手形を見せたが、その日付は将門が京に行ってる間だった。国香はそれを役所の遅滞と言い繕い、良将からの書状も見せたが、そこには将門の罪を詫びて後事を頼んでるものの、土地問題には触れてない。あくまで疑う将門を、良正は怒り狂って門前で切りつけた。
  将門は筑波で会った貞盛に再会。爺は、扶が貞盛に因縁をつけた事、良将の領地を国香が預かってるだけだと証言する事に同意したが、直後に何者かに矢で射殺され、その後、良将・将門父子の領地と交換に、源護の土地が叔父達に譲られている事もわかった。
  良兼と詮子(後妻)、良正と定子(側室)の結婚が行なわれたが、良正と将門の激しい遣り取りが原因で、将門の一族だけがその宴から排除され、実質上の氏族放逐の目に遭った。
  一時帰国した貞盛は貴子との仲を認め、さらに小督との縁組も命じられてる事、将門の海賊討伐が評判になってる事を話したが、将門には小督にも貴子にも京にも、もう未練は無かった。



19話「桔梗の里」

  菅原景行と、その従者となった三宅清忠は、京から来て常陸に住まい、未開墾の領地を借りて耕作に励むなど、将門の世話になっていた。
  鹿島玄明と将門は、源扶に追い掛けられて逃げる葦津江(あしづえ※3)郷の娘・桔梗を助けた。桔梗の父・栗麻は、将門の亡き父・良将と親しかった民で、将門も村人の祭りに加わった。
  弟の三郎(将頼)や、赤子の頃から仕える爺や夫婦が、将門に妻を迎える事を願い、将門は良子を妻に迎えたいと、菅原景行を介して良兼に願い出たが、将門との和解を喜んだ良兼が承諾しかけた時、後妻の詮子が良兼を呼び出し、良子を弟の扶に嫁がせたいと言い出した。
  後妻の詮子にばかり媚びる父・良兼、実家にばかり思いを寄せる継母の詮子。複雑な思いの良子と三人の弟達だったが、良兼夫婦は強引に源護と扶の父子を招いて良子に会わせた。



20話「良子掠奪」

  侍女の部屋と間違えて良子の元に忍んだ源扶は、詮子の仕組んだ政略結婚である事を教え、珍しく礼儀正しい態度で改めて良子を妻にしたいと言ったが、良子には迷いがあった。
  将門に思いを寄せる桔梗が、将門の思いを見抜き「欲しければ盗ればいい」と言った。将門は、国香源護のいる石田に恋人を持つ子春丸に詳しい情報を探らせると、京で苦労を共にした郎党・伊和員経だけ伴い、花嫁行列を襲撃。抗う良子を強引に略奪して豊田に連れ帰った。
  将門の暴挙に三郎(将頼)や郎党たちは騒然。さすがに将門を非難したが、良子の意思にお構いなく祝言を挙げる、と涙ながらに主張する将門をが諭した。一方良子も将門の母に、将門が良子を妻に欲しいと申し込んだ事を聞いて、自分も将門が好きだと告白。座は一転して晴れやかな婚儀の場に変わり、鹿島玄明螻蛄婆が民を引き連れ、皆が将門夫婦を祝った。
  良兼は烈火のごとく怒ったが、私闘で軍を動かせば咎めを受けると躊躇。が、出陣を迫る詮子に年寄り扱いされ罵倒されるや、理性を失った良兼は、ついに出陣の号令をかけた。



<コメント>

ようやくドラマのオリジナル展開が終了しました(^_^A)。
次回からが本番、いよいよ「将門の乱」の勃発であります!

まずは京都。藤原忠平や子高が、それなり将門に気を遣って、官位も他の人は簡単には得られないのに、将門はわりとすぐゲットするんですが、それがまた率直な坂東者・将門にはムカムカするだけ、みたいな所に始まって、正義感が強く、上手い橋渡り術になど興味を示さず、ややもすると融通の利かない主人公・将門が、すごく巧みに描けていると思います(笑)。

次に西海。討伐軍の行く末を案じる将門に、いちいちギクッとしながらも、将門だけは助けたくて仕方がない純友。緒形拳の純友は優しさも野生味もタップリで、老獪・明朗・軽快の全てが強味となって、ついに坂東が日本全体と無関係でない点まで説得され、「賊は賊」と断じる将門にも、少し純友に歩み寄るような、微妙な展開を果たしました。

何とかかんとか古本も購入できまして(^_^A)、今「平将門」の方を読み始めてます。「海と風と虹と」の方はまだ全然なんですが、「平将門」については、取り合えず今回あたりまでは追い付きました。

原作は「平将門」が「2」に対して、「海と風と虹と」が「1」ぐらいの量対比ですか。
ざっとチラッと見渡した限り、将門の話が「平将門」で、「海と風と虹と」は純友の話っぽい気がしますので(^^ゞ、そこで出て来るのかもしれませんが、将門が海賊討伐に出掛ける話は、「平将門」にはありません。(※2

再び京都。将門役の加藤剛さんが、インタビュー番組でドラマの貞盛を「シティーボーイ」と称し、一方の将門を「絶滅危惧種」とか言ってて(笑)、この二人の対比は最後まで楽しめましたが、貞盛って人の、妙に人の立場や気持ちがわかりすぎる点が、これまた面白いんですね(笑)。

そして再びの坂東。先に「01〜07話」において、「下手すると5歳から京に行き、15歳で坂東に戻った計算もアリ」と書きましたが、ドラマの将門は「京に3年いた」事になってます。
そして帰って来てすぐ(土地問題に絡んで良兼と)良子に会い、結婚を申し込んで断られた翌年が、承平の乱の始まる承平5年(935)に繋がっているようです。

ドラマでは28歳ぐらいの将門でしたが、原作ではやはり「15歳」説を取ってるようでしたね(笑)。
原作でも将門は陸奥に行ってるようです。が、父・良将の死によって坂東に戻って来る年齢が16歳ぐらいですかね。
いずれにせよ15歳と思うと、逆に随分マセて感じますが(笑)、まぁ昔の人の15歳だと、そんなもんでしょうか。

ただ、単に文で書く上でなら「土地問題は15歳の時から発生していたが、土地や自分の結婚問題では我慢していた。それが30代も超え、弟達まで結婚の時期を迎えるにあたって、ついに長兄たる将門にも譲れない面が出て来たのでは」とかいう具合にも書けるんですが、ドラマにするとなると、「15歳から32歳まで、坂東の問題が発生していながら、何をやってたのか」という事になってしまいます(^_^;)。。

それに将門がどうしても京に馴染めなかった理由を、「土地」に起因させ、象徴的に怒りの原因に設定してますので、その大事な土地を寄進せねば出世させない京に10年もダラダラと居たあげく、戻って来て、元から問題だった土地の事で、すぐに立ち上がらないなんて、ドラマとして描くと、ちょっと間が保てないですよね(^_^;)。

だからというわけではないのかもしれませんが、このドラマでは、将門が京に滞在した期間を3年と短く設定し、戻って来た途端に問題勃発……つまり、だいたい31歳ぐらいで坂東に戻って来てるように思えます(^^ゞ。ここで大まかな帳尻が合って来るようです。

今はまだ坂東に戻って来たばかりの所を読んでるので、この先どこかで帳尻があって来るのか判りませんが、原作でも「京で10年」も過ぎてない感じがします(゚.゚)。

さらに最初の頃、良兼を良将(や将門)が「はとりの兄(叔父)」と呼んでる事を、やはり「01〜07話」で指摘しましたが、将門が京から戻って来たドラマ「17話」になると、良兼の居館や所領を「山武郡」「横芝」「上総」とかなり明確に示すようになってます。

ちなみに、「山武郡」は千葉県の中央あたりになるでしょうか。「横芝」は千葉県の東部。そして「上総」は中央と南部と東部を合わせた昔の国名でして、高望王から良兼が譲り受けたとされる土地に、ほぼ合致します。

何しろ今回あたりから、いわゆる「平将門の乱」と言われる話に、やっと入ってきます(^_^A)。
たいてい将門の話は、前段階から話すとしても、この辺りからだと思います。

京から戻った将門が、改めて常陸の源護の邸に行くと、新装の館は贅美が尽くされ、京での経験から将門には、民から厳しく搾取した事がわかるというシーンがあります。

前回も少し触れましたが、上総や常陸(あと上野もそうみたい(^^ゞ)が「親王任国」となったのは、826年です。
ドラマの時期が934年ごろですから、100年以上は経ってるわけで、その間に将門の祖父・高望王(桓武天皇の三世)や、この源護(嵯峨天皇の四世)のように、京からやって来て土着した人もいたのですね。
ちなみに、高望王が平氏を名乗ったのは889年とも言われてます。

ところが実は、任期を終えた国司や王族子孫が、官職に就けない京には戻らず土着して住み着く事を、一般的には禁止されてました(笑)。

と言うのも、彼らが土豪と結び付いたり党を結成して、「官人に媚び、民を苦しめ、農業を妨げ、悪事を行なっている」という事のようです(^_^;)。匿うと重罪とされました。

が、実際に守られたかどうか……この「土着禁止の令」は繰り返し発布されてるらしく、つまりそれだけ頻発されても従わず、むしろ土着化が進んだのでは、とも見られるそうです(^_^;)。。

こうやって朝廷に税収が入らなくなってしまったんですね(笑)。その皺寄せで国家が管理する土地に住む人々には、どんどん重税・重役が課せられ、溜まらずにみんな荘園などに逃げ込み、ますます公地と私領のバランスが崩れ……という解釈なのだと(大雑把ですが)思います(^^ゞ。

その一方、京では八幡菩薩が庶民にウケている様子が描かれてました。これは「扶桑略記」などが基だそうで、ドラマでは、互いに体を摺り寄せあう男女の裸体人形が出てました。

生殖を信仰する背景には、子供の多さが直接一族の利益に結び付く可能性があったからじゃないでしょうか(^^ゞ。
集積された富を持つ荘園には、その富を元手にだんだんと様々な物を作る施設が整えられて行き、恐らく人手を必要とする事もあったでしょうし、そっちに行って働いた方が便利な暮らしがあったのかもしれません。

勿論ドラマでは、国の基盤を崩すような私領の展開や、土着人のありようを、全面的に肯定しているわけではありません。
むしろ「民を思う良い領主」と「北家藤原氏や土地の豪族などと結び付いて搾取する悪い領主」という区別を明確に示しているのです。

つまり、「将門の祖父や父は善」と描く以上、土着したり私領を増やす事が悪いわけでもなく、また「公(おおやけ)すなわち朝廷に逆らってる」という視点よりも、何より坂東に住んでた人や集まる民人達にちゃんと目を向けているか、という所に焦点を絞っているのでしょう(^^ゞ。

さらに坂東に戻って来た将門が、良子を略奪するまでの間に、叔父達が自分をたちまち殺すのでは、と病的な部分と現実的な部分があいまって、疑心がうごめく様子が描かれます。
この辺りは絶妙なんですよねー(≧▽≦)。将門の叔父たちにも人のいい優しい面がある反面、露骨に腹黒い面もあって、視聴者にも「やらねばやられる」という凄みが伝わって来るのです!

このドラマにおいては、「ここまで美化して描いたら、丸きり嘘でしょー(^_^;)」と言いたくなるぐらい、加藤剛の将門は清廉潔白、まさに大岡越前の青少年時代。第1話から1個も悪い所のなかった将門でしたが、坂東に戻って来てからは、ジワジワと「将門記」の将門像に近付いていると思います。

原作の方は、まだ全部読めてないので何とも言えませんが、殆どドラマと一緒です(^^ゞ。
ただドラマより少し「将門記」に近く感じます。海音寺潮五郎はかなり史実を意識して書く作家という、自負もあるようですし、定評もあると感じます。

この「将門記」ですが、成立時期や作者については、まだ結論は出てないと思います(^^ゞ。
作者は事情に詳しい事から、東国在住者だとか、国衙下級役人だとか、海外の文献などに詳しい事からでしょうか、僧侶や都の貴族ではないかとも言われるそうです。

成立時期についても、将門の乱の直後(940年以降)に書かれたという見方から、その92年後(霊界の将門一周忌とされる1032年)、平安末期、鎌倉初期など、色々言われる中、あるいは元は原本があって、それを増減させた「二段階(複数段階)成立説」もあるようです。
ジャンルも、日記か物語文学か、軍記物の範疇に入るか単に仏教説話か……何とも決めにくい物だと思います(^_^;)。

「奇書」と類する人もいるようですが、それでも「将門記」がそれなり評価される点は、比較的信用できる史料で、第三者的な公平な視点で書かれている事などではないかと思います。

今では将門を「大悪人」とまで決めてかかる人はあまり居ないと思いますので、「将門=ヒーロー」の視点だけで読むと、ガッカリするかもしれませんが(^_^;)、将門は江戸期も「武勇」は持て囃されたけど、長い日本史の中では、ほんのつい最近まで「大悪人」に違いはなく、それさえ判ってよ〜く読めば、所々で彼の美点を認め、その冒した罪にも彼なりに理由がある事がわかると思います。

「将門記」は確認される限り原文は現存しません。さらに写本でも冒頭部の欠落してる(と言われる)部分で、戦いに至るまで、どういう経緯があったのかについて色々言われている中、現存資料(簡略本)では、まずは「女論が原因」とはされてます。
そして本文で、「こんな経過があったのでは」と匂わせる箇所が出て来るので、将門の女性問題が言われるわけです。主に源護の娘という説、良兼の娘という説があります。ドラマではどちらも入れて上手く作ってます(^^)。

ドラマで「女論」に入る以前から触れている土地問題については、触れているのは……「今昔物語集」あたりが初でしょうか(^^ゞ。これは平安末期に成立したと言われていますが、殆ど「将門記」を下敷きにしているとも言われています。

が、「将門記」では、それとどういう関係があるのか判らないままに、いきなり抗争劇が始まります。
次回から始まる戦争については、将門を「悪」と結論づけている「将門記」ですら、将門は待ち伏せされる……つまり見ようによっては罠にはめられるのであって、少なくても戦争のキッカケを「将門の悪事が原因」とはしていないのです。

「いきなり襲われた」という、将門が戦闘に至る唯一の正等理由(今で言えば正当防衛)である事件の前に、ドラマはいきなり「それだけはやっちゃダメっしょー!」という無謀な行為に将門の手を染めさせるのです(笑)。

そこが、つまりは「嫁入り行列を襲撃して花嫁を略奪する」という、圧倒的に「将門に問題がある」描き方をしてのけるのです(笑)。
実はこの部分は、少なくても「将門記」にはありません(^_^;)。

今の感覚なら、彼のこの行為は立派な犯罪。傷害・誘拐・婦女暴行。最後のはお母さんの忠告が功を奏して、被害者の証言で覆りそうですが、残りの二つは……。あと意外と道交法なんかヤバそうです。軽くて免停。乗馬停止ってトコでしょうか。この後の合戦に響きそうです……。
ま、この辺りは時代のナニとしても、美少女を誘拐してくる主人公……あまり見た事がありません(^_^;)。。

将門を主人公に描く物語なのに、将門の方に原因がある、というこの構想は、主に原作に拠っているようです(^^ゞ。

この思い切った将門の無謀劇、原作者の海音寺潮五郎はなぜ入れたのでしょう(笑)。
今はまだこの辺りまでしか読んでないのですが、今の時点で思い当たる所があるとしたら……17話「昿野の蝶」に出て来る、良子との再会シーンに、原作では「水浴をする天女」を、「将門たちが見ている」といった表現になってる所でしょうか。

つまりこれは、「久留里記」にもある、羽衣天女(妙見菩薩)と将門の間に千葉氏・相馬氏・東氏などの子孫が生まれた、とされる土地伝承を、上手に盛り込んだからなのかもしれません(^^)。

羽衣伝説は各地にありますが、天に帰りたいから羽衣を返して欲しいという妻と、返さずに子を儲けさせる夫の組み合わせですね(^^)。

他にも陸奥にも情を通じた蝦夷女性がいたり(ドラマではありません)、桔梗が将門の側室になってたり(これもドラマでは違います)、史実を意識しながらも、将門の子孫がアチコチに居たような伝承を全く打ち消していない所が、海音寺サンのサービス精神という気がします(笑)。

また、ドラマではそこまで女性関係をやらない所が視聴者へのサービス精神なのかもしれませんし(^^)、ドラマ作成に当たっては、さらに稲垣史生さんの時代考証(海音寺潮五郎の作品の後書きも書いておられます)が入った結果かもしれません。

ただ原作では、「将門記」における後の将門を匂わせるような暗い影と言いますか、そうした物が漂っているのに対し、ドラマでは前述のごとく、非の打ち所のない好青年で通して来ましたから、「良子略奪」に来て、「あ〜! 今までの苦労も努力も我慢もいっぺんにパァ(・・;)」と視聴者を本気で焦らせる事に、素晴らしく成功してます(笑)。

昔のドラマって視聴者をハラハラ・ドキドキさせる事に命を賭けてましたよねぇ。 *遠い目*

しかしその結論を「事の良し悪しは、全て女の側が決める」という裁定にした点が実に立派で、この時代のドラマを見ると、視聴者もですが、何より製作者が健全だったのでしょう、今と違って男と女が持つ理想の到達点は一致していた事がよくわかると思います。

公共放送たるもの、大衆を相手に公序良俗に反した主張をすべきではないから、という点も大事ではありますが、それだけではありません。

つまりは「将門記」の「奇」なる点……言い出せばキリが無いほどありますが(^_^;)、この一事に関して言えば、発端は良兼と将門の亀裂が出発点だったにも関わらず、良兼がすぐに戦闘に参加しない点、将門の妻が誰の娘かわからないのに、「親族でなく夫を選んだ」と結ばれてる点など、こういう前段階が無ければどうにも成り立たないからです(^_^;)。

ならば、将門の妻が将門を慕って押し掛けて来た、と描けば、将門に染みの一点もつけずにストーリーは運んだわけですが、そこまでやってしまうと、将門を精一杯庇って見たとしても、「将門記」に描かれる将門とは、あまりにも掛け離れてしまいますし(^_^;)、このドラマ最大の持ち味「精一杯に人を愛し、正しく生きようとする余り、嘘っぱちな人間と敵対」という構図が崩れてしまいますよね(笑)。(←この点が重要なんです時代劇には)。

又ここまでに、藤原忠平・興世王・藤原(鹿島)玄明といった、将門の乱に重要な歴史的人物、将門の乱との直接的な結び付きは明確じゃないのですが、藤原純友・菅原景行(道真の子)・小野道風といった、同時代の畿内周辺や常陸に実在した人をはじめ、ドラマ上の架空の人物でも、先の展開に必要な殆ど全ての登場人物を出し切っている点も秀逸ですし、これらの人々が登場する運びにも無理がなく、非常にスムーズだったと思います。

以上、2008/08/12



※2(2008/11/15追記)
ありました(^_^A)。やっぱり「海と風と虹と」の方です(笑)。

※3(2009/01/18追記)
ドラマでは「あしえつ(葦江津)」と言ってますが、35話以降の扱いから、「将門記」にある「葦津江」だろうと思えるので、「葦津江」と書いておきます(^^ゞ。