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■「ワヤン」について■
●ワヤン・クリット(影絵用の人形)について
ワヤンは人間や人形が扮して演じる舞台と物語の事を指し、人形が演じる物にも、人形そのもの(3D)の場合と、影絵芝居用の人形(2D)の場合があります。
ここで言うワヤンは、「ワヤン・クリット」という影絵人形(2D)を使って演じられる物で、以下は本文中にも出しましたが、父がインドネシアで出来る限り買い集めた物です(^^ゞ。
この「ワヤン・クリット」は水牛の皮に絵柄を描き、その絵柄通りに皮を彫り抜き、上から彩色を施します。
上演されるのは夜ですから、これをランプの灯りで透かし、「影絵」にして人々に見せます。
夜は「影絵」として動く楽しみを、日のある内や明るい屋台では、華やかな色で装われる衣装や王冠・髪飾りの見事さを楽しむ。これがワヤン・クリットの二重の楽しみ方です。
手についている棒を動かして動作させ、下についてる大きな一本の棒を上げ下げして、姿勢の上下をつけたり、女性なら楚々と進ませ、男性ならノッシノッシと歩かせるなど、ちょっとした動きの違いで、キャラクターの色分けをします。
ワヤンの登場人物はあまりに多く、主要な人物にはその形が決まっており、キャラ専用の人形がいますが、それ以外の人形で、特にたった一度ちょっとした用を果すためだけに登場する人物も数多くいるので、そういう時は「シリハン」という「その他の人物」(エキストラ)用の人形が使われる事もあります。
●ガムラン(楽器)とダラン(語り手)
公演の間、舞台を盛り立てるのは音楽ですが、この演奏をする楽器を「ガムラン」と言います。
主に金管楽器が多く、だいたいは低温で緩やかに奏でられ、ややもすると眠気を誘われますが、夜中ふと寝入る時間帯でも、ハッと目が覚めるほどの大音響をかもし出す楽団でもあります。しかもそれは不思議と不愉快な起こされ方ではありません。
右の写真がガムランとその奏者の人達です→。
(写真提供:04matさま) |
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ご覧の通り、ガムランは多くの楽器を受け持つ多くの奏者によって奏でられますが、人形を意のままに動かし、その動きに沿って語る語り手は一人です。
この語り手を「ダラン」と言い、このダランが一人一人、自分なりの味付けや解釈をして、物語の筋を大幅に変えたりなどで、ワヤンによるインドネシアの『マハーバーラタ』は、ダランによって全く違う筋立てだったり、人物への正邪の解釈も違う事が多いそうで、この枝葉の多い演劇の筋をまとめて本にし、しかも日本語で紹介して下さった松本亮さんには、本当に感謝します。
●ワヤン・スタイルの豊富さ
ワヤンには、「マタラム・スタイル」という古い型があるそうで、それが250年以上前に「ジョクジャ・スタイル」と「ソロ・スタイル」に別れたそうです。「マタラム・スタイル」で残っている図像は少なく、物語の中のクレスノが巨大に変身する「ブラホロ」というラクササ姿の「ワヤン・クリット」が唯一それに当たるそうです。
このクレスノの巨大化変身は、インドではその神性をしてアルジュノに何かを教授する時になされるそうなんですが、インドネシアでは「ここ一番」の山場に出て来ます。
そこには何か……「せっかくスゴイ変身ができるんだから、コレという効果的な場面でいっちょスゴイ姿をみんなに見て貰おうよ(^^)」といった、ちょっとしたサービス精神も感じられます(笑)。
しかしこうした自由度の高さ……元は聖典であるべき題材に対して、ややもすると通俗的な広がりは、何も図像だけに限らず、物語の内容も、前述のジョクジャとソロに筋立てが分かれます。
が、それらの組み立ての違いは、元を辿れば、大衆を相手に語り聞かせる一人一人のダランの、解釈や手法の違いだったのかもしれません。
●ワヤン上演の準備と背景
ならば、ダランはそれぞれが得て勝手、好き放題に語り散らす、いい加減な職業かと言うと、そうではなく、むしろ命懸けなのではないかと思います。
バラタユダのような人の死……それも主要人物の死となると、インドネシアの人々にとっては、それらを祖先に関わる霊魂と信じてますから、そうした演目を上演する場合には、祟りを恐れて、入念な霊への配慮と準備が行われます。
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←こうした門構えはどこでも見られますが、奥に立派な建物があるとは限らず(^^ゞ、バリでは、こうした門の下に神様への供物が置かれてるのを常に見ました。門は神様が通る場所だからじゃないかと思います。
通った先にも、簡素な敷物と屋根があるだけだったりしますが、そこで踊りや芝居を見る場合、神や霊が来るのでしょう。(写真提供:04matさま) |
「バラタユダ」(マハーバーラタ物)は村の大掃除や公共の記念日に選ばれて催されるそうですが、行われる時には、日頃より特に供物を捧げます。
その内容が他のワヤンに比べて、特に多くの霊の狂おしいほどの因縁が語られ、またその結果、非業の死に至る過程が多いからです。
祭礼に用いる木の枝を束ね、その日の演目で死ぬ人物の耳には花が吊るされ、供物には、ご飯を盛って円錐形に固めた物をはじめ、あらゆる果物や食物を盛り入れます。
中でも一番重視される戦死者は、敵軍コラワの総統ドゥルユドノで、この死を演ずる日は水牛を一頭捧げなくてはなりません。
そうした場合、このダランが3日間苦行をする地域もあるそうです。
敵側コラワの総帥でありながら、ドゥルユドノの死に関する話が短く、またあまり豊富でないのは、「どうでもいい人物だから」ではなく(^_^;)、「祟りを恐れて、長々と上演するのを憚るから」だそうです。
名前がコロコロと変わるのはどの人物にも言える事ですが、ドゥルユドノの「ドゥル」は「悪い」という意味があるので、直接本人を呼ぶ時には、一応礼儀の上で「スユドノ」と呼びます。「ス」は「良い」という意味で、多くの登場人物の最初の音によく使われます。
その死を上演される時にも「スユドノ」となってるようです。
1969年にスカルノ政権が崩壊し、その後政変によってインドネシアは大変な苦難を味わいました。それを恐れ、この年以降はバラタユダにまつわる演目の上演はしなかったそうです。
しかしそうした中でも、ダランは自身が苦行するほどに命を懸けながらも、中には頼まれれば供物や祭祀を度外視して舞台を引き受ける人もいるそうで、それは国の芸術と伝統を内外に伝える役割としての自負かもしれませんし、あるいは語る立場の重みを常に我が身一人に請け負って舞台に立つ、といった覚悟と気迫の持ち主だけが果せる技能なのかもしれません。
●ワヤン上演中の雰囲気
ワヤン公演にとって必要なのは、ダラン、ガムラン、そして夜の闇とランプで、日本で上演された時は屋内を借り切って行われたので、それらしく園内は暗く、響き渡る音響も懐かしい気分にしてくれる物でした。
日本でも、夜から翌早朝にかけて催されたので、夜中じゅう営業してくれる軽食の類も揃っていて、舞台を見る間に観客がだらしなく横たわったり、ちょこちょこ食べ物をつまんだりする様子(笑)も見事に再現されてました。
大抵はインドネシアに行った事のある人が、友達を誘って見に来る感じでしたから、中には当地を懐かしんで、インドネシアの人がよく吸う香辛料入りのタバコ(グダン・ガラム)の匂いをくゆらせる人もいて、「懐かしい匂い〜(^^)」と喜んでマネした事もありました(笑)。
ただ、それでも日本の公演でちょっと物足りない物があるとしたら、ヤシ油の匂い、家屋からかフンワリと匂ってくるカビ臭い匂い、そして屋台で焼かれる数々のオイシイ食べ物の匂い、あとは夜の屋外に鳴り響くヤモリの声でしょうか(笑)。
インドから入って来たマハーバーラタの人物を、祖先の霊と同一視して重んじることを奇妙に思われるかもしれませんが、インドネシアにはヒンドゥ、イスラム神秘主義、仏教など様々な宗教が混ぜ合わさりつつも、多くはアニミスム信仰の影響が大変に強いそうです。
あるいはワヤンの上演される時に捧げられる供物や、祀られる祭祀のそこここに、霊が霊を呼び合って、霊の気に染めば幸福を、気に触れば厄災をもたらされるという感覚が、あながち不自然には思われないのかもしれません。 |
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↑現地でよく見られる細密画タッチの絵(写真提供:04matさま)
祭祀も充分に行い、ダランも準備万端となると、観客はトコトンくつろいでその夜をゆったりと、寝たり起きたり食ったり飲んだりしながら楽しみます。
しかし誰一人として、舞台を妨げる大きな私語など発さず、これからいよいよ大詰めという段になると、示し合わせたように皆が起き上がり、熱狂し息を呑んで見守る。
これがワヤンを見る者全員、あるいは空や雲、あたりの草木にまで流れる共有意識だったと記憶します。
この情景を思い出す時、小泉八雲の著書「日本瞥見記」における「盆踊り」の描写など読む限りでは、かつての日本にも、こうした、一見すると不真面目でだらしない姿勢と共に、その奥に流れる先祖や自然の神霊に対する畏敬の念が太く横たわり、そのリラックスと緊張は、どちらに過度に偏る事無く、実に絶妙なバランスを保って海外の人の目に美しく映っていたのではないか、と愚考する今日この頃です。
八雲は西洋人に対して「日本の神は、神(ゴット)より幽霊(ゴースト)に近い」と説明しています。
日本でも英雄が死んで神になってますから、その通りですね(^^ゞ。
なのに西洋の人は、こんな事を説明されなければわからないんです(^_^;)。比べて我々は素晴らしく近い感覚を持っているのですね(笑)。
かつてインドネシアのとあるホテルでワヤンを見ておりましたら、同じホテルに泊まっておられたのでしょう。作家の井上靖さんがすぐ近くの座席にいらした事がありました(^^ゞ。
私はすかさず隣の席に行きまして(笑)、お話を伺ったのですが、私もそうだったんですが、先生も話の内容がわからなくて、ぜひ知りたいと思っておられるご様子ではありましたが、
「でもこういう物は、こうして見ているだけで、言葉がわからなくても何となく通じる物があるねぇ」と仰ってました。
たったこれだけの会話に早速にも登場する井上靖さんの「何となく」という表現(笑)。
これが曖昧さではなく、この方の文学に現われた空気の多様さであった事に通い、このワヤン観劇についても、やはり日本に昔からあった芝居やお祭りなど知っている世代の方ほど、何かを感じ取られるのではないかな、と私は思っています。
●上演時間の配分と構成
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←影絵芝居の始まる前と後の定型の舞台設定。(写真提供:04matさま)
中央にあるのが「グヌンガン」と言い「須弥山」を意味しますが、「山」として登場するより、「建物から人が出て来た」とか、人が神隠しにあって消える時、コレが人形に覆い被さったり、森の影から様子を伺い見る時など、これが「物陰」として多様されてました。
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夜8時ごろから明け方5時ごろまで上演されるワヤンですが、そんなに長い時間を観客はどう過ごすかと言いますと、物語の構成がある程度、作法のような「お約束」によってメリハリがつけられ、観客はその心積もりを予め持って見るようです。
この辺りについては、「37〜40話」と「49〜52話」のそれぞれコメント欄にも書いたので、ちょっと繰り返しになって恐縮ですが(^^ゞ。
前半はある国の出来事が描かれ、それに付随あるいは飛び火した隣国の出来事とか、過去に遡った話などで終わります。
後半は、その出来事が最初に描かれた国に対する国(敵国)に影響を及ぼし、神々や外国人といった第三者的な者まで引きずり込んで(あるいは自ら出しゃばって)終結に向います。
ここでは全体の物語の時間軸通りに話を進めましたので、過去の話は先に話してしまいますが、大抵は当初から事件が勃発して盛り上がり、「どうしてこんな事になってしまったかと言うと」という具合に、過去の因縁が出て来ます。(以上詳しくは、49〜52・コメント内を)
この前半と後半の間、ちょうど真夜中に、「ゴロゴロ」という、この物語に関連しながらもやや傍観的な立場を取るスマルという一族が登場します。アルジュノの従者なので、比較的この物語の全編において登場する機会がありながら、物語を見て感想を言うといった観客に近い立場で、しかも殆どは笑いを誘う語りを振り撒きます。
日本で言えば、漫才師のような存在ですかね(^^ゞ。
「いやいや〜大変なことになって参りましたねぇ」
「ところで大変と言えば、このごろ私の家も大変でしてぇ〜」
とか言って、劇の途中に出て来る劇場がありますよね(笑)。1時間から一時間半ほどこの時間が「休憩タイム」として入るのだそうです。(以上詳しくは、37〜40・コメント内を)
登場人物は上記アルジュノ従者スマル一族の他、ボロデウォの宰相プラゴド、その兄プラボウォなど、この笑いを振りまく場面以外にも、この「あらすじ」で見ればあまり目立たない人物ですが、舞台では著名な人物が大勢います(^^ゞ。
例えばスティアキなどは出番が多く、それは話の主軸となる人物が出て来ても、独り言を言ってるだけでは話が展開しないからです(^_^;)。
舞台である以上、会話をしながらこの先どんな話が展開するのか、また過去にどんな因縁があったのかをお客さんに説明しなきゃなりません。
そこでスティアキは、設定からして「クレスノの大ファン」で(笑)、ゆえに始終クレスノに付き従い、クレスノに思惑を言わせたりして、クレスノの比類ない才能や特異な性格を際立たせるわけですね(^^ゞ。
また逆に、神話におけるまるで教科書のようにクソ真面目なパンダワ達の言動を、お客さんは「矛盾してる」と思ってしまいますから(^_^;)、そういう庶民の素朴な疑問を、先に言ってしまう役廻りもあるかもしれませんね(笑)。
そういう役割を担う脇役の方が、むしろ人気が出るというのは日本に限らない事で、そういうわけで、本編の「あらすじ」には出ようもない影の主役達がたくさんいる事を、何となく感じ取って頂ければ(^^ゞ。
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