「山岡荘八『徳川家康』雑記」(「ご挨拶」から、5)

「今週のご挨拶とお知らせ」(2017年11月で述べた事から〜

     
 
〜前略〜

あとは〜〜、……そそ、『徳川家康』(山岡荘八)は今、13巻まで来ましたー。
もうすぐ14巻に入れそうですー!

前回、8巻・9巻に異常に時間がかかった話を書きましたが、11巻も時間かかりました(^_^;)。
ただ、8〜9に比べると、つまらなかった事が原因というより、選挙前にご挨拶に出て来れなかった点もあわせて、10月はちょっと忙しかったんだと思います。

何しろ11巻は1ヶ月チョイかかりましたが、12巻は2週間かからなかったです。
13巻もわりと最近読み始めたんですが、そろそろ終わりかけてますし……。

展開は、相変わらず秀吉と家康の神経戦が長く続いてます(^_^;)。。
まず、石川数正の出奔と朝日姫の前夫との離別と家康への再婚。

続いて、大政所(秀吉生母)が人質にやってくる段を経て、家康の上洛&秀吉への臣従九州征伐と、秀吉が九州のキリシタンに問題を感じる段、千利休とその養女・お吟の話、茶々が秀吉の側室になってゆく段。

そして、13巻に入ると、いよいよ小田原征伐となりますが、その前段階として、秀吉の軍を家康の領土に入れる段で、本多作左衛門が石川数正に続いて、いよいよ家康の前から姿を消してゆきます。

数正は秀吉の家来となるのですが、本多作左衛門は数正とは逆に、秀吉にあくまでも徹底抗戦の態度を続けるゆえに、隠居せざるを得なくなる……という構成でした。

そんな中、家康に嫁ぎながらも、秀吉のいる京(聚楽第)に引き取られ、重病にあえぐ家康正室の朝日姫が、2代秀忠を我が子同然に愛しながらこの世を去っていく展開となります。ここはさすがに哀れで、ちょっとホロリとしましたねぇ(ノ_・。)

ただ家康は、築山殿に続いて、朝日姫に対しても、あまり愛情を注ぐ夫ではありませんでした。
こういう所は、大河ドラマの『徳川家康』と大いに違う所で、小説の家康は、嫌なものは嫌、出来ないことは出来ないままを貫く人です(^_^;)。

この「違い」を一例を抜き出して解説したいと思います。

大河ドラマにおける家康は、少年時代に雪斎禅師(今川家の軍師)の薫陶を受け、後の天下人の素養を身に着けたかの如く物語られてました。

この雪斎に、「妻子を人質に取られて去就に行き詰った時どうするか」と問われて、家康(竹千代)が「捨てる」と答えて、叱られて泣くシーンがあります。

これなんか、原作とドラマでは、180度解釈が違う感じがします。

ドラマでは、若さゆえに短絡的な答しか思いつかないが、やがて女性への愛に目覚め、その愛を破る乱世のむごさを終わらせるために、天下に平安をもたらそうとする……という筋立てになってました。

つまり、雪斎の教えたかったことを、長じた家康は身をもって悟り、その解決手段を世に与えてゆくわけです。

だから朝日姫に対してはともかく、最初の妻・築山殿に対しては、悩み苦しむ中にも愛し、身を切られる悲しみの果てに別離を迎えたかのように描いてます。
だから最期を迎える直前の築山殿と再会し、すれ違っていた夫婦の愛情を取り戻してました。

しかし原作にはそんな再会シーンはありません(^_^;)。築山殿は家康への呪いの言葉を発しながら死んでいきます。

さらに2度目の結婚においても、正妻(朝日姫)を最初から生ける屍の扱いにしてしまいます(^_^;)。。

側室なら大事にするのか、というと、比較的愛したと言える西郷の局秀忠の生母)ですら、彼女が男子を生むと、「一人の女に男子を次々と生ませると、権力を持って厄介」と、次々と別の女を愛妾とし、死ぬ直前にならないと会いに行かない始末です。。

そこから振り返ると、つまり雪斎の説教を、「現実はそうはいかないよね」と、シビアに突き放して聞いてた事になるわけです(^_^;)。。
だから「捨てる」と答えた通り、そのまま実行に移してます(汗)。

つまり原作では、用いられてるセリフは同じでも、意図する展開は、ドラマのような「聖人君子にいたる修業期間」といった感じじゃ全然ありません。
雪斎に受けた教育というのは、あくまで「少年時代の一風景」の範囲に片づけられてます。

何しろ二度目の妻・朝日姫も死なせる過程を経て、小田原征伐となるのですが……、ここは色んな角度について、それぞれどう描くのかなーと興味津々でした(`・ω・)!

今ちょうどそこを読んでますが……。φ(。。)m
一番驚いたのは、家康が婿の氏直にも、その父氏政にも、説得するとか、説得のための使者が小田原に行って云々といったシーンが皆無です!(笑)

あまり北条と連絡を取り合っていると、北条征伐のため徳川の領地を通る秀吉の軍を、挟み撃ちにすると疑われる……という心配もあるんでしょう。
しかしそれなら、「降伏を促すため」と断ればいいような感じもします……。

当然そういう何かが来るハズと思って、北条側も待ってるんですが、家康は、征伐後の国替えの事でテンパッてて、心ここにあらずです(汗)。。

家康をそういう心境にさせてる秀吉が悪いのかと言うと、秀吉は秀吉でそれなり大変です。
鶴松から取り上げて、北政所の手元で養育させようと画策しますが、上手くいきません。。

小田原城を見下ろせる石垣山に城を作って、そこに呼び寄せれば、その間だけでも鶴松を手放すだろうとか、同じく心ここにあらずです。
さらに、家康をどけた三河・遠江・駿河・信濃・甲斐に自分の家来を配置して、それでも領地が足りないから、茶器と刀剣を急遽ブランドにしようとか、あれこれ躍起です。

「何なの、この人達、北条が可哀そうジャン」と憤る役に、本阿弥光悦を配し、「人みな醜く」というサブタイをつけちゃう内に、哀れ北条は滅亡します。
あまりに「心ここにあらず」過ぎます(滝汗)。あっけにとられて、いつ切腹したのかも覚えてません( ̄□ ̄;)。。

でも、何となく痛快(笑)。 *北条ザマー*

そうやって、北条が滅ぶ前は何一つ助けてやろうとしないのに、滅んでしまった後になって、イキナリ北条を「教訓の材料」に使うのです(^_^;)。

つまり、こうです。
関東移封に不満が出そうな徳川家臣に対し、「滅んだ北条に対して、滅びも消耗もしなかった我らが、その跡地をそっくり貰えて、何が不満だ」と、叱りつける材料に用いるんです(唖然)。。

大河ドラマでは、三河武士の「我慢強さ」「主従団結の偉さ」を持ち上げ、徳川家臣ベタ褒めしていた分、ストーリー的には全体として破綻してました。
だから、「エライ割に????」と首を傾げる連続のまま終わってしまうドラマでした。

が、原作では、家臣どもに手を焼き、その説得に苦心する家康が「これでもか」と描かれ、何ともリアルで楽しめます(笑)。

このように、戦国期の家臣というのは、ややもすると主人にとっては憎たらしい存在……と、わりと遠慮なく描くようになったのは、『毛利元就』や『北条時宗』など、ちょっと後の時代で、『徳川家康』の頃はまだ、主人と家来の関係を、ひたすら美談に描いたものなんですよねぇ。

てなトコで、この後の展開も楽しみに読み進みたいと思いますo(^^)o *チャンチャン*


〜後略〜

(2017年11月07日・記/2018年07月22日・掲載)

城主

 
     


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