「光の情景」
作/こたつむり



〈第9章〉10
   
  しかし彼女の言う入沢は、既に過去の人間なのだ。今の鷹子が今の入沢を見たらなんと思うだろう。
  それでもすでに過去の自分を消化できた鷹子にとって、それはそう大きい事ではないのかもしれない。
  むしろ私は、立派に立ち直った彼女によって報われた気さえする。かつて、私や入沢の援助が必要だった彼女自身に逆に救われるとは意外だったが、鷹子からの手紙は、人間社会に相互扶助というものが実際に有り得るのだと、まるでそれを証明するために現れてくれたように私には思えた。
  入沢が人々の医療看護を志すにあたって、これほど励みになる事はないのではないか。少なくても私は鷹子の、
「お医者さんって素晴らしい」
  の一節に心を打たれた。その感動を入沢によって知り、入沢によって救われた人間がこの世にいた、という証拠を私はつかむ事ができたのだ。私は鷹子には悪いが、これを君子に渡し、入沢に見せてくれるよう頼んでみた。
  君子は私の話しを聞くと、心からの感謝の言葉を何度も述べた。彼女は心底私の心を迎え入れてくれたと思う。しかし手紙については、
「見せるには見せてみますが……」
  といつになく尻込みするような言い方をした。
「ごめんなさい。あなたにこんなものを渡してしまって」
  私は又しても君子の人の良さに付け込んでしまい、申し訳無いと思った。しかし君子は、慌てて手を振り、
「いいえ、いいえ、違うんです。そうじゃないんです。私、久世さんには、本当に口では言えないくらい有り難いと思っているんです。ただ、健さんって、私、元々ああいう人なんだと思うんです。決して投げているんじゃなくて。私も看護婦だったでしょう? なんとなくわかるんですよ。私、あの人はあれでいいと思うんです」
  君子のそういう気持ちもわからないでもなかった。
  医者は聖職者ではない。現在の入沢が悪い医者だとは、私も決して思わない。
  君子は自分が看護婦だった頃、医者と看護婦の違いを考えたと言う。
  彼女が捕えていた医者の実像は、ある意味非常に的を得たものだと思う。君子の言い方だけでは、ちょっとその実感が掴みきれない部分もあるのだが、おそらく彼女は医者というものを、研究者や技術者として捕えていたのだと思う。むろんそれは、単純な金儲けや立身出世だけを望む俗っぽい連中という意味ではなく、君子なりに、高い理想を追求する人達として重んじてはいたようだ。
  当初君子は君子なりに、ただ医者のアシスタントとしてではなく、医者では行き渡らない部分を補うべく、自分には自分の役割の重要さがあり、それゆえに大きな励みでもあると思っていた。
  そんな君子が患者との間に境界が保てなくなり、多くの患者の看護に手が行き届かず悩み始めた時、医者の的確な判断や、冷静で合理的な指示が、非常に重要な役割を演じると気付いた。
「私、結婚するまでは、開業医の手伝いなんてまっぴらだと思っていたんですけど、今こうやって家庭に入ってしまうと、やっぱり病院で働きたいと思えてきたんです。でも奈々もいるし、この先また子供ができるかもしれないし、今までと同じような勤めはできないから、もし、健さんが入沢医院を継ぐというのであれば、奈々が少し手が離れてきてからでも、あの人の手伝いをしてみようかな、って思っています」
「そうだったの。それは良かったわ」
  私はこれで入沢の将来の安定を見た思いになれた。入沢は、少なくても君子や奈々に対しては真実穏やかな家庭である。むしろ君子の温かさや明るさが病院の中に反映して、それはその方が良いかもしれぬ。
  しかし私には、内心に割り切れぬ思いがあった。彼女の言った医者の姿……それも又、芯に強い理想があって構築できるものではないだろうか。入沢の中にそうした要素が元からあったのか、あるいはこれから作り出せるものなのか私にはよくわからない。
  でも、ひょっとしたら、君子自身もその事に思いが到っているのかもしれない。彼女はいつかこんな事も言っていた。これは私がごく興味本位に看護婦という職種にたいして、何が一番大変だったか、という質問をした時だったが、
「そうですねえ。看護婦をやっていて一番大変だったのは、もう助からない患者さんの面倒を見る事ですよねえー。やっぱり初めのうちは夜勤とかが結構辛くて、具体的に大変な面ばかり気になったけど、慣れて来ると、神経を使う時が一番大変に思えて来るんですよ。ほら、下からも後輩とか入って来るでしょう? 後輩の前では、なんでも割り切ってるふりしてなきゃならないんですけどー、ホントはそんなに大人じゃないですよ、やっぱり……。でも、そういう、どうせ死んじゃう患者さんの看護を精一杯できる人が、本当の看護婦なんですよねえ……」
  入沢と結婚する前、彼女は臨床や看護といった世界は、自分と無縁のものだとはっきり自覚していた。その彼女が、再び看護婦として入沢を支えていきたいというのは、どこかに彼女自身の決意を感じないではいられない。
  もう助からない患者を見詰める。
  彼女はそこに、今さら理想をあてはめて溺れているわけではない。人を救う事によって自分も救いたいとか、仕事を生きる張りにしたい、というような、甘い期待をしているようにも見えない。
  そんな事柄には、とっくに見切りをつけて生きているような所が、彼女にはあると思う。私が彼女の中に認められるのは、ひたすら家庭を……ひいては自分を、この先どのように導いていくかという真剣さだけだ。
  例えこの先の入沢がどうであろうと、君子は子供を育て、やはり導いていかねばならない。いつかその子に再び医院を継がせるかもしれない。そうした日が訪れた時、子供に何を見せ、何を教えて行くのかを現実の中で捕えようとしているのかもしれないし、あるいは、その他にも、さらに意図する所があるのかもしれない。
  私は君子という女性に心を打たれないではいられない。彼女を今、美しいと思う自分をやめられない。入沢に望まれ入沢に仕えながらも、彼女は彼女の道程を彼女の持っている状況の中から、的確につかんだのだ。その事に感動しないではいられない。
  もし、君子が入沢を救いたいとだけ思い続けていたら、彼女にとってこの先何が訪れるだろう。
  勿論、君子が入沢を見捨てたなどとは思わない。しかし君子が入沢という伴侶をただ手伝い、ただ支えていくだけの受動的な姿勢に止まろうとはしていない事が、何となく伝わってくる。それがきっと彼女にとって、今以上に美しい人生を送るべく、大きな布石となるのように私には思えた。
  私も入沢の心をどうこうしようとする事を諦めるようになった。入沢は確かに、決して間違った生き方をしているわけではない。彼の人生は決して終わったというわけでもない。
  ただ、鷹子を含め今まで何人の人間が、彼によって救われてきただろう。これを思う時、私は、悲しいとか切ないと言うより、ただひたすらに惜しいと思う。もはや私個人にとってではなく、社会全体にとって……。
  病室で患者が病状を訴えているのを聞きながら、
「そうですか」
  などと気のない返事をして見せる入沢を見ていると、なるほど、元々入沢という男はこういう人だったか、とも思えてくる。彼の中にはもう、苦悩も関沼先生への恨みも残っていないように見えた。
  これはこれで良き医者の姿かもしれない。患者は患者で若干肩透かしを食ったような顔をしながらも、これはなんとか自分で手だてを考えねば……という、多少暗い面持ちで帰るわけだ。確かに鷹子も入沢の手を遠く離れた所で、おのれの病を精神的に克服したのだ。医者になんとかしてもらえる気でいる患者にはいい薬かもしれない。

     
 
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