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「光の情景」
作/こたつむり
〈第9章〉9p
不思議な事に、このごろ少しづつ指が動いてきたような気がします。錯覚かもしれないけど、そんな気がします。
よく考えたら、指が病気で動かないなんて誰にも言われたわけじゃないんですよね。私が勝手にそういう病気なんだと思っていたのです。心の問題とかじゃなくて、神経症とかでもなくて、きっと関節かなにかが動かなくなる新種の病気にかかっているんだと、原因不明の病気なんだと、そう思っていたのです。
だから、カウンセリングなんて受けても直らないんじゃないかって思っていました。ドイツに来たのも、ドイツだったらきっと、電気療法かなんか新しい治療法で直してくれるかもしれないって思って来たんです。だから治療法がわかるまでは、大事にしなくちゃいけないと思っていました。
動くようになったというのは、錯覚だと思います。でも私はもう元どおりにピアノが弾けるようになろうとは思いません。ひょっとしたら、やっぱり珍しい病気かなんかにかかっていて、その治療法があるのかもしれないけど、それを探すのもやめました。
指が動かないからといって、ずっとピアノを弾かないでいる事の方が私には、ものすごくつらかったんだとわかったんです。結局音楽をなんらかの方法で奏でる事ができれば、それだけでいいと思えてきました。こうなれるまでには、本当に時間が要りました。指なんか動かなくたって、音楽が好きならそれでいいじゃないか、と言う人も、私の回りにはいたんだけど、
『あなたになんかわからない』
という気持ちが邪魔をして、そうは思えなかったんです。音楽と関係のない世界にいる人に言われれば、音楽を知らない人にはわからないと思ったし、音楽をやっている人に言われれば、音楽のできる人には、それがかなわない私の気持ちはわからないと思ったんです。
入沢さんだけが、
『きっと良くなるよ』
って励ましてくれたので、それで私は入沢さんがあんなに好きだったんだと思います。そう言ってほしかったんです。
でも入沢さんの言っていたのは、指の事じゃなかったんだな……と最近思うようになりました。
完全に直してくれなければ、自分は病人だと思い込んでいたのですが、それはあくまでもピアニストになるための考えであって、ただ音楽を奏でるためには、いっぺんにオクターブが押えられなくても構わないんです。主旋律だけを一個一個押えるだけでも、全くピアノが弾けなくなるよりはマシなんです。そう思えてきました。
この指ではピアニストは到底無理です。ピアノの先生になるのも諦めなきゃいけません。こんな年になってからそう思っても、今からでは他の職業につくのも大変だし、それでなんとか指が動かないといけない、早く動かせるようになって挽回しないと……と思ったり、やっぱり無理みたいだから、何か他の事を身につけないといけないかな……って思ったり、でも私はピアノ以外の事には本当に自信がなくて、結婚でもする以外にはないとも思いました。でも今は無責任だけど、これからどうこうしようと考えるのはやめにします。
今、その声楽の先生に歌を習っています。それも声楽家になるためではありませんが……。歌ってる最中に、
『ここから先は声が出ない』
となると、ピアノの前に座って先を弾きます。こんな指でも歌うより、もう少しは自分の気持ちを表現できるのです。
私はつくづくピアノってありがたいなあ……と思っています。でも指がダメになったせいで、今までピアノだけで表現してきたものが、少しづつ他の事で表現できなきゃいけないんだな、とも思うようになりました。
こんなに長い手紙を書くのも初めてなんです。
私の字って下手でしょう? 指のせいもあるけど、元々下手なんです。私にはピアノがあるから、字なんか下手でもいいってずっと思ってたせいです。文章を考えるのも苦手なんです。だから思い付くまま書いているんですけど、こんなに長い手紙を読ませちゃって申し訳ありません。私はお料理も裁縫もできなかったんです。これで結婚したいなんて思ってたんだから、バカですよね。
私は時々理恵さんの事を考えます。久世さんの友達をこんな風に言うのは悪いんだけど、私は理恵さんのような人って、今でも常識はずれな人だと思います。
でも、ああいう人は羨ましいとも思います。あの人みたいに漫画だけじゃなくて、何でも思う通りに表現できて、それを押し通せる人って得だな……と思います。
私の同級だった人にも、あんな人がいました。その人は今、立派にピアニストの道を歩いています。私はその人に私のピアノについて、ひどい事を言われたんです。ほとんど中傷です。今から思うと、それを長いあいだ苦にしていたんだという気がします。その人は何気なく言った事なんでしょうけど、私はずいぶんと傷付きました。
音楽の世界にいる人って、すごい自信がある人がいるんです。だからその人も変わり者だと思うくらい自信家だったのかもしれません。いやな人だな……って思っていたので、理恵さんに会った時は、その人と同じに思えて、それで理恵さんにだけは負けたくないと思ったんです。
でも私も今から考えると、結構自分の腕に自信があったんだとも思います。だから指が動かなくなって、とてもショックだったのです。一刻も早く直って、一足飛びに、先に進んでいる人たちに追い付く事ばかり考えていたんだと思います。
音大のころの友達で、もう結婚している人もいて、旦那さんにピアノを買ってもらって、奥さん芸で気ままに弾いている人なんか見ると、羨ましい反面、
『でも、この人と私とは目指しているレベルが違う』
と心のどこかで自分を励ましてきたんです。こんなに苦労しているのは、それだけいつか見返りがある証拠だと思っていました。思えばバカバカしい競争心だったな……と今は思います。きっと理恵さんの事も、そんな風に思ってたんだと思います。ただ、あの人は音楽の世界で勝負できる人じゃないので、打ち負かせないのがくやしかったんです。いつか理恵さんが失敗すればいい、なんて思った事も本当は何度かありました。
入沢さんも、私のような患者を相手にして、さぞかし世話がやけたと思います。ただ入沢さんはそういう私を、黙って見守ってくれていたんです。それはただの我慢じゃなくて、入沢さんが人の苦しみがわかってあげられる人だったからだと今素直に思えるんです。久世さんは、入沢さんとお友達だから、わかっていらっしゃったと思うんですけど、私はそれは入沢さんがお医者さんだったからなんじゃないかと思います。
お医者さんって素晴らしいと思います。私も今、もっと回りを見渡さないといけないなあ……とつくづく思うんです。私がこうして元気を取り戻せたのも入沢さんのおかげだと思っています。
久世さんにもずいぶんとご迷惑をおかけしました。今まで私は、久世さんが入沢さんとお友達だからと思って、久世さんを利用するような事ばかりしてきて、本当に申し訳なかったと思います。
でも本当は久世さんとお友達づきあいをさせていただいてうれしかったんです。ただ、私の話しって愚痴っぽいでしょう? 久世さんが優しい人なので、つい久世さんの顔を見ると、ボロボロと愚痴を言ってしまっていたのです。そのくせ、今まで久世さんがどんな漫画を書いてたのか、全然知ろうともしなかったと思いました。
それで今度、久世さんのお書きになった漫画を全部買って読みました」
その後は、又々とてつもなく長い私の漫画への感想が書き綴られてある。中には、由有子が以前手紙で書いてきたのと、そっくり同じ事を書いている部分まであって、ドキドキさせられもした。やはり、同じピアノを弾く人のせいか、感じる所が似ているのかもしれない。
鷹子は手紙の中で、
「ファンレターだと思って読んで下さい」
と書いているが、こんなに長いファンレターを貰った事はない。又、書き出しでは、
「お正月が終わって、そろそろ又ドイツに行こうかな……と思っているのですが」
などという文面で始まっているのに、最後の方では、
「早くお花見に行きたいと思うんです」
などと言う文面になっている。おそらく長い事かけて、この大作を書いたんだな、と思われる。
それでもこの手紙だけでは、鷹子の心境の変化の確たる根拠をつかむ事は難しい。ニュアンスだけは何を表そうとしているのかわからなくもないが、彼女自身そうと認めているように、その文章表現力は優れているとは言いがたい。
しかし、この手紙を読んで初めて、私は鷹子が指が動かないのではなく、動かす事をやめていた、というのと同じように、目が曇っていたのではなく、自分から何も見ようとしなかったのだ、と思うようになった。だから自分にとって救いの人間であった入沢の手が受け入れられず、恋愛感情に置き換える事で、何もかもすべて(就職に対する挫折や、理恵への競争心や、結婚問題)を解決しようとしたのかもしれない。
そして、そのすべてが満たされない状況にいらだち、ちょうど、元通りに弾けなければピアノが弾けないのと同じだと思い込んでいたように、結婚してくれなければ愛されてないのと同じだ、と思って入沢の手を振りほどいてしまったのだろう。
今の鷹子には彼女も言っている通り、当時の入沢の心を素直に受け入れられるのだと思う。