「光の情景」
作/こたつむり



〈第9章〉7
   
  その後も私は時々この夫婦を見舞ったが、二人は特に病気もせず、元気そうに暮らしていた。今までも二人きりでやってきたのだ。由有子のいないさみしさを直接味あわずに済むだけでも、今まで由有子と離れて暮らしてきた事が、返って救いだったかもしれない。しかし会うたびに由有子の母親は、
「久世ちゃん、由有子の話しをしてちょうだい」
  とせがんだ。私は無理からぬ事だと思って、なるべく悲しみを誘わないような思い出話しをするのだが、彼女は私の話しを聞いても決して泣いたりはしない。むしろ、久し振りに娘の話しを聞いて、
「そうなの、由有子がそんな事を言ったの」
  などという顔には、私に対して、泣いて困らせるまい、とする気遣いよりも、まだ遠いどこかで由有子が生きているとでも思っているような所がある。
  しかし、それは彼女が気がおかしくなっての事ではない。たぶんしばらくの間、由有子がまだアメリカにでもいて会えないだけの事だ、という気持ちでいたいのだろう。愚かしいかもしれないが、私でさえも、まだ由有子がどこかで元気にやっているように思ってしまう事がある。
  由有子の父親から、関沼先生が由有子の自動車事故の一件で、裁判を起こしていると聞いたのは、十二月ごろだったか……。由有子の父親は詳しい話をしてくれたが、裁判に勝っても負けてもどっちでもよさそうな表情ではあった。由有子が自殺したか、ただの事故死だったか、などという事を、今更知りたくなかったのだろう。
「ほんの一瞬の出来事を、たくさんの人を呼んで来て、運転していた人間の心理状態まで分析するんだから、大変だね」
  と最後に彼は言った。まるで他人事のような言い方だった。遺族の立場としては、ずいぶんと無責任な感じもしたが、アメリカでの裁判にいちいち呼び出される事の方が大変そうでもあった。彼はそろそろ六十才になろうとしている。

  年末に部屋の片付けをしていると、由有子から貰った手紙やプレゼントや写真が出て来た。年始に夫が客を連れて来る事になっていた。結婚してから今まで、キチンと整理せずに、ただ適当に収めていたものがたまってしまい、押し入れに入っているものを出して、いらないものを処分しなくては……と思っていたので、奥の方にしまっていた、かなり昔の手紙まで出て来た。
  いつかこれも、もう一度ちゃんと読み直したいと思っていたのだが、それまではまだそんな心境にはなれないでいたのだ。しかしその時にはなんとなく懐かしくなり、パラパラと手紙を見返した。
  由有子の書いた文字。その浮き立つように美しい筆跡には、もう死んでしまった人のものとは思えないぐらい、生き生きとキラキラとした新鮮な魂が感じられる。そして、不思議と彼女がまだ生きているのではないかと思うほど、彼女の残したものからは、悲しみや寂しさや、苦しみといったものは感じられない。読んでいて、思わずほほ笑みさえ浮かべてしまう。
「いやあね、由有子ったら」
  などと、まるで今、目の前に彼女がいるような気分になって、しばし私は思い出に浸っていた。それらの品々には、本当にこれに返事を書いてしまいたくなるくらいの手ごたえさえあった。とても形見などには思えない。今までこれを手に取る事を恐れていたのが嘘のように思えてきた。
  そのうち、いつか由有子に預けられていた、例のイラストが出て来た。
「わあキレイ……これ前田さんが書いたの?」
  高校生の由有子の、あの美しい声が直下に耳元に聞こえて来るような気がした。由有子の弾いたピアノの音色のように……。いや、それ以上に美しかった由有子の声。私には、あの音楽のような声を、もう二度と聞けないとは到底信じられない。
  私は思わずそのイラストを抱き締めた。
  由有子!
  もっともっと幸せになれる筈だったのに。もっと生きてほしかった。どうして私や入沢を置いていってしまったのか。今、もう再びこのように由有子を抱き締めてやる事は二度とできないのだ。あの子の髪も、あの子の肩も、美しい音色をピアノから引き出した不思議な指も、もうこの世にはない。
  神様!
  由有子を返して下さい!
  もう一度由有子に会わせて下さい!
  もう一度あの子の声が聞きたい。
  今でも私は、仕事中に電話が鳴ると、一瞬、
「由有子からかもしれない」
  と思う事がある。由有子がいたから私は漫画家になった。いつか由有子に見てもらいたい、書いて発行したら、感想を聞きたいと思っていた作品の構想は山ほどあると言うのに。
  入沢もそうだ。由有子の生命の美しさに魅入り、その美しさや明るさが決して消える日の来ない事を、彼は祈り続けて来たのだ。由有子と同じように病気に苦しむ人を、彼の目はいつも見守り、たとえ助かる見込みのない患者に対してさえ、決して見放すような事はしなかった。
  私の夢の中に出て来る由有子は、風邪をひいて入沢に脈を取ってもらっている。入沢に面倒をかけて照れながらも、
「健ちゃんって、さすがだわ。良かった健ちゃんに診てもらって」
  と入沢を誉めている。実際このような場面を私は長い間、夢に見てきた。由有子の病弱に胸を痛めながらも、それでも由有子の身に、もしも何か起こった時、入沢が彼女を救ってやるのだと思い続けてきた。それを強く信じてきた。しかし入沢が由有子を診察する日はついに来なかった。
  私は下手くそに書いた、幼い手法のままのレモン色のイラストを見ながら、これを書いた日の由有子への憧れ、これをあげた日の由有子のほほ笑みを思い出して、声を圧し殺して泣いた。
  そしてやがて、これを返してくれた日の由有子の言葉を思いだし、ハッと息を飲んだ。
「私ね、これを日本にどうしても置いておきたいんだけど、ただ置いておくだけじゃなくて、誰かに時々見てもらいたいの。それで、ひさに預けるのが一番いいと思ったの」
  由有子をアメリカに送り出したあの日、入沢と私以外に高校時代からの知り合いがいなくて、私はなんとなく寂しいような気持ちがしたものだった。由有子はそんな私に気を遣い、高校の頃の思い出を返してくれたのかとも思っていた。しかし、誰かに見てもらいたいと彼女の言った誰かとは、入沢ではなかったのか。そしてその彼女の気持ちを、あの門出の場でわかってやれるのは私だけではないか……。
  由有子はこのレモン色の中に、高校の時のすべてを見ていたのだ。そして、この絵を毎日、自室の壁に掛けているうちに、色あせて行くのを見て、いつまでもレモン色のままでいる事はできない、と悟ったのだ。そしてまだ色のあせきらぬうちに、これを入沢に渡そうと思ったのではないだろうか。
  そして入沢は、ついに由有子の心を知らぬままに、彼女を永遠に失ってしまったのだ。
  なんという事だろう。どうして今頃になって気付いたのだろう。由有子は初めから入沢を愛し、そして入沢の愛にも気付いていたのではないだろうか。いつか影を落とすかもしれぬ自分の運命に、彼を巻き込む事態を恐れ、彼には光の部分だけを与えたかったに違いない。
「私の健康な心と体を」
  それは彼女が一生を通して望み続けた光だった。そしてついに彼女はそれを手に入れられずにこの世を去った。入沢には自分の手に入れられなかったものを、光の方向を指し示し、彼の患者に自分の代わりにそれを与えてほしいと言い残し、入沢が医者として生きて行く人生を無意味とせぬように祈って死んだのだ。
  しかし、入沢にとって由有子こそが光だった。今、その残骸の一部を彼に渡した所で、入沢の心を動かす事は不可能だろう。
  それでも私はこのイラストを入沢に渡そうと思った。故人の遺言のつもりで。これは元々、私が由有子のために書いたものだ。私が持っていても仕方がないし、私自身も、今は高校の頃の心象を誰に渡したいかと言えば、その相手はもはや入沢しかいなかった。
 
     
 
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