「光の情景」
作/こたつむり



〈第9章〉6
   
  八月の半ばごろ台風が訪れた。私は再び由有子の思い出の中にいる。
  高校の頃の由有子が、突然うちに来て泊まっていった日。あれも台風の日だった。
  由有子にとって入沢は最後まで救いの人だった。しかし、学生の頃の彼女には、その事に対するもどかしさ、そのままではいけないという焦りの気持ちがあった。私の家に由有子を心配して駆け付けてくれた入沢に、由有子は真っ向から反抗した。
「健ちゃんには関係ないじゃない。余計な事しないでよ!」
  あの言葉、あの態度、こんな由有子を、この日の前にも後にも見たことは無かった。
  しかし今思えば、この日の由有子ほど、その正体を露呈した事もなかったのだ。母親が病に冒され、家を出されて路頭に迷い、他人を頼るしか術が無い。そんな自分の運命に踏み込んで来る入沢を、身もだえしながら彼女は拒否した。
  やはり同じような台風の日、学校に残されていた私と由有子は、部室で上月の話しをした。由有子は当時から、あのような人間の中に自分を見付け、やがて彼女が上月と似ていると見た関沼先生と結婚した。
  しかし私には、上月や関沼先生の中に、由有子が自分と同じ因子を見ようとする発想自体に疑問があった。なのに私は首を傾げるばかりで、問いただしきれぬうちに、由有子を先生の要求に渡し、臨床への道に行かせてしまった。
  今はあながち、当時の由有子がわからなくもない。由有子は、上月や関沼先生のような一般の枠をはみ出た人を救いたいと思ったのだろう。そうした、どこか自分の精神を支えきるには、あまりにも個性の強い、異常とも言われがちな人間に対する彼女の気持ちには、同情を越えた所さえあった。
  関沼先生が上月と似ているという理屈は、私にもなかなか理解できなかったのだが、それを私が見抜けなかったのは、先生が、私や由有子に出会った時には、すでに地位も教養も身につけた大人だったからだ。先生はそうした特異性を、ある意味プラスの方向に置き換えて成功したとも言えなくはない。
  しかし由有子は見抜いていた。先生が、誰かの助け無しではその先はやっていけない事を。彼女の言っていた、
「私を必要としてくれる」
  とはそういう意味だったのだろう。
  もちろん、ただの同情ではなく、先生の才能や個性を深く認めてその生涯を支えようと決意し、結婚にまで踏み切ったのは知っている。彼女の前向きな姿勢は今でも評価している。
  しかしそのような人間は、時には援助の手を踏みにじる。個性の強さゆえに、又、それがある程度人生に成功した先生のような人の場合、才に溺れるあまり、自分を助けようとする人間すら過小評価する。その人無しでは生きていけない自分さえ認めようとしない。見ようによっては自信の無さゆえとも言える。時に人は、自信と優越感の差を認識できなくなる。
  由有子の関沼先生や上月に対する共鳴感は、個性よりはむしろ異常性にあったと思う。それは常々、漫画に対する私の才能に対しても向けられた共鳴感とは異なるように思う。異常ゆえに嫌われる、あるいは受け入れられない、それを由有子は、彼女の母親、ひいてはその因子を持つ自分自身と結び付けていたのではないだろうか。
  臨床に進む事で多くの人を救いたいという気持ちは、実際、由有子の率直な希望だったと思える。そして救うためには、人の心にある要素を自分も持たなければならないと思ったのだろう。そしてその姿勢は、取りも直さず医療への道を歩み出した入沢からの感化でもあった。入沢が由有子を救いたかったように、由有子は自分の母親を救いたかった。母親を救えれば、体質のみに限らずぬぐいがたい影響下にあるおのれをも救える。あるいは由有子はそう考えて、その道を選んだのかもしれない。
  しかし今にして思えば、由有子の母親は関沼先生とは違う。由有子も由有子の母親も含めた弱い立場と感じやすい心。これと同じ要素が、関沼先生や上月にあったとは思えない。なのに彼女の人生は、威を奮う人を受け入れるために終始してしまった。
  もしも、由有子の母親が上月や関沼先生と同じものを持っていたとしたら、それは何らかの救いが必要な点だろう。それを由有子は、自分が入沢に甘え許容されている状況と、上月がわがままを言ったり我を押し通す傾向を、同一視してしまったのではなかろうか。
  彼女はまず彼女自身が救われるべきだった。そして由有子はやがて、入沢の救いが必要である自分に気付いた。
「どんなに健ちゃんが私を思ってくれていたか、よくわかった」
  と日本に来て、彼女は私に告白した。その時には既に、由有子は関沼先生の妻であり、雄一の母親だった。私はそれでも入沢のそばにいるべきだと主張した。由有子はそれを拒否し、アメリカに戻って並々ならぬ努力で、自分も家族も支えあげた。それは今でも立派だったと思っている。
  しかし、いつでも入沢に支えられてやっと立てる自分を反省し、入沢に負担をかけまいとがんばり続けたがために、彼女の人生は終わってしまった。そして、今になってわかったのは、入沢にとっても由有子の存在は生きる支えになっていた、という事だ。
  由有子はこの点を見落としていた。彼女亡き後の入沢の変貌ぶりを見ると、由有子の方こそ、入沢にとって大いなる心のよりどころだったとすら思える。
  第一、入沢の母親の言葉にもあったように、入沢という人間の今日までの姿は、すべて由有子の存在があって初めて成立していたのだ。私が入沢という人物に出会った時には、すでに彼は由有子と知り合っていた。だから、私は由有子に会う以前の入沢を知らない。しかし当然の事ながら、由有子は由有子に感化される以前の入沢を知っている。
「健ちゃんって面倒臭い事はどうでもいいや、って所があるじゃない?」
  などといつか由有子は言って、私を笑わせてくれた。しかしあの由有子の言葉は半ば本音だったのだろう。おそらく彼女は、常々私が入沢に対して感じていた彼の面倒臭がり屋的な特質を、もっと確実につかんでいたのだろう。
  私はそうした入沢を断片的にしか知らない。いきなり離婚して見せたり、妙な三角関係に巻き込まれたりされても、驚くだけだ。そうした入沢に、常に多大な影響を由有子は与えた。その事を入沢の母親は認め、由有子を心から入沢の妻に望んだのだ。
  その点を由有子は見落としていた。入沢の将来を自分自身が方向づけたにもかかわらず、入沢が医学に目覚め、その道を歩んで行くのを見て、自分もそうあらねばならぬと思い、ただひたすらに入沢の将来に傷をつけまいとしていたのだ。

  九月になると、私は由有子の実家、細川家を訪ねた。ここにも由有子の葬式の時いらい来ていなかった。心配していたのだが、由有子の母親は意外と元気になっていた。
「久世ちゃんが元気で、幸せになってくれれば私も嬉しいわ」
  と優しく言ってくれた。
  私はこのころ、今までには書いた事もない長編の大作に取り組んでいた。私もそろそろ単行本など出して、売れ始めていた。一時期落ち込んだりしていた時もあったが、今はやっぱり漫画家になって良かった、と思えるくらいにはなっている。
  そんな私を由有子の母親は、由有子に果せなかった夢を重ねてみるのだろう。
  私はふと窓から庭を見て、
「ケンはどうしたんですか?」
  と聞いた。ケンがいない。ケンばかりでなく、犬小屋までない。
「ケンは死んだのよ。由有子の死んだすぐ後だったわ」
  と由有子の母親は寂しそうだが、落ち着いて答えた。
「ケンは由有子の犬だったから、きっと由有子の後を追っていったんだと思うわ。ケンには由有子がもう戻って来ないのがわかったのね」
  と彼女はしみじみと言った。
  すると、めっきり老け込んでしまった由有子の父親が、
「そんな事はないさ。あれはもう年だったんだよ」
  と言った。
「二十年も生きたんだ。犬にしては長生きだよ。あれは雑種だったけど、元々シベリアみたいに北の寒い地方にいる犬だからね……。こんな夏の暑い所で、よく長生きしているって獣医だって言ってたんだよ。それに眠るようにして死んだんだ。苦しまなかった」
  と由有子の父親は庭の方を向いて、小さな声で言った。
 
     
 
5p

戻る

7p

進む