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「光の情景」
作/こたつむり
〈第9章〉5p
やがて入沢が帰って来ると、私に挨拶し奈々を見にいってから着替えてテーブルについた。テーブルというより茶ぶ台だ。
以前この部屋は畳みの上にカーペットが敷いてあって、テーブルがあり椅子があったんだが、君子がカーペットをひっぺがして元の日本間にしてしまった。
君子はその方が生活しやすいと言う。他に居間があるので、客が来た時にはそこで応対するから問題もない。ここは昼間、君子の自由に過ごせる部屋で、君子は少し足が不自由なので、この方が面倒が無くていいのかもしれないし、赤ん坊が、テーブルの角に頭でもぶつけると危ないという事もあるようだ。カーペットは埃もたって子供の喘息の原因になると聞く。
実の所、この方が私も落ち着く。この家に来やすくなったと思う。君子は台所からこの部屋に来て、
「ねえ、久世さん、せっかくだからビールだけでも」
と誘ってくれた。
「じゃあ、一杯だけ」
とつきあった。私はチラッと入沢を見て、
「入沢君、飲んでもいいよね」
と聞いた。
「うん、一杯くらいなら……」
入沢は笑った。奈々がはいはいしながら入沢の方へやってくる。
「こらあ! お前はまだだめだ」
入沢は奈々をひざに抱き上げた。
奈々はやっと七か月、もうすぐ八か月になるところだ。何にでも手を出す。奈々はどちらかと言うと、入沢にちょっと似ている。入沢はこの女の子を、目に入れても痛くない、とよく世間で言うくらい、かわいくて仕方がない様子だ。前から子供ができたら、きっと子煩悩な父親になるだろうと思ってはいたが、本当に入沢は予想どうりの父親になった。
奈々と遊んでいる時の入沢には、以前と同じ穏やかな表情が残っている。家族と共に過ごし、平和な一時をおくる入沢の様子は、幸せそのものに見える。
これは私にとっても救いだった。病院で見掛ける入沢の荒涼とした姿とは対象的なものだった。そして私には、やはり入沢が奈々と由有子を重ね合わせて見ているような気がする。入沢が帰って来る前に君子も言っていた。
「奈々がいて良かったと思うんです。健さんは中学の頃から由有子さんと一緒だったでしょう? きっと奈々を見ていると、由有子さんにああしてあげたかった、こうしてあげたかったっていう気持ちが、少しは和むと思うんです」
よりによって、夫に初恋の女性と我が子を重ね合わせられるなんて、普通の女だったら腹立たしい事も、むしろ君子は救いと思って受け入れている。
君子がこういう女性だから、入沢はこの家庭の中にだけは安らぎを見出せるのだろうし、もっと掘り下げれば、君子のこうした奇特とも言える面を愛して、入沢は他のどんな女性にも持ち得なかった熱意をもって妻に望んだのだろう。
私は君子に心の中で、手を合わせる思いだった。同じ女性として、彼女には自分にも到底適わない広く暖かい魂が宿っていると思えた。
もっとも君子は、由有子の入沢に対する思いには気付かなかっただろう。気付く必要もないが、君子は関沼先生に殊のほか同情していた。
彼女にすれば、関沼先生と由有子は又とない理想的な夫婦像であったようだ。雄一という愛児を失った由有子に同情し、さらに、由有子という妻まで失った関沼先生に同情している。
「この前、先生が日本にいらした時、ここに泊めてさしあげたいと思ったんです。そうしたら健さんは、うるさい赤ん坊のいる家になんて泊まったら、返って先生も気が滅入るだろうって反対するんですよ。私もそれもそうだと思って、無理にお誘いしなかったんですけど……」
君子なりに、入沢と関沼先生に由有子の思い出話しでもさせてやりたいと思ったのだろう。君子は単純に、入沢にとって由有子を過去の女性として捕えている。しかし私は、この話しを複雑な思いに捕われて聞いた。
入沢は先生を許していない。そんな気がした。
入沢はあれ以来、先生には一度も会ってない。先生も入沢に会いたいとは特に言わない。
先生は由有子が死の直前、自分から離れたがっていたのを、入沢と結びつけて考えていたのかもしれない。由有子のためなら、仕事を中断までしてやる先生が、由有子を日本に住ませる事だけは渋っていた。これを私も又、今思わざるを得ない。
先生には先生なりに、苦しい思いがあったのかもしれない。しかし、私はやはり、由有子を入沢の元に帰してほしかった。君子の優しさに付け入るつもりはないが、たとえ由有子が戻ってきても、入沢と君子の仲に決して不和が生じはしなかった、と私は思う。君子が入沢を信じているように、先生にも、もっと由有子を信じてやってほしかった。そしてそれを一番許しがたく思っているのは、やはり入沢だろう。
勿論夫婦の力で解決していくべき事もあるだろう。しかし結果的には、由有子は先生でなく入沢に救いを求めていたのだ。
どうしてもっと早く譲ってくれなかったのだろう。そう思うと、私も入沢への同情を禁じ得ない。私には、由有子の心は先生より、やはり入沢の方がよくわかっていたと思えて仕方がない。その入沢ですら、由有子が死に至るまでの心象を、じかには掴みきれなかったのだ。
先生が気付いてやるべきだったのではないだろうか。そして入沢はそうならぬように手を打とうとしていた。私に誘いかけ、由有子を日本に迎える準備をしていたのだ。後は先生さえ彼女を送り出してくれれば……。
しかし、私だって由有子を追い詰めていたかもしれない。私も由有子を日本に迎えようと焦るあまり、
「離れていても夫婦は夫婦だ」
と彼女に説いた。私は、由有子が先生をアメリカに置いて来るのをためらっていたので、そう励ましたつもりだったのだが、今になると胸が痛む。
由有子に子供ができたと知っていたら、そうは言わなかった。あの言葉は、由有子にとって重荷だっただろう。それほど彼女が追い詰められていた、そう思う時、どうにも癒えぬ後悔にさいなまされる。
そして家の中ではこのように優しく穏やかな入沢が、病院では、あのように機械的とも言える仕事ぶりを見せる理由が、先生に原因があったと思えて仕方がない。
医療や学問の知識や力が、先生をして由有子を縛り付けていたのではないか。人の心の奥底を解明する学問の人でありながら、最終的に先生は、由有子の心も自分の心も見えていなかった。見えていても認めようとはしなかった。その力の中に閉じ込めてしまった。
私は、それが学問のせいだと言わない。先生は以前由有子も言っていた通り、心理学者とは言っても、臨床心理の人ではない。私は別に、現在における心理学の在り方を非難しているわけじゃない。先生が何かと言うと由有子に対して、学者並に振る舞うように指導していた点について言いたい。
もしも彼女にそうした能力を求めたのなら、そしてその行為が、由有子が心理学を志す者だったからなら、それらは総て、彼女に暗がりの方向を与えてはいなかっただろうか。
先生は人の心の弱さを許さなかった。しかし、弱いからこそ人の痛みに気付くのではないだろうか。人を救いたいと思うのではないだろうか。カウンセラーが、努力だ根性だと言っていて、果して人間の精神は救われるだろうか。
そして先生自身も弱くはなかっただろうか。理論で由有子を言い負かし、離婚経験者を見下してその意見に耳を貸さないほどに、先生自身も幼くはなかっただろうか。そうした根の弱さを表面の強さ……知識や権力で塗り固めてはいなかっただろうか。
もし由有子の弱さが人を救う上で邪魔になっていると言うのなら、先生の持っていた力が由有子を救う上で邪魔でしかなかったと、どうして言いきれるだろう。打っても打っても撃ち破る事のできない大きな壁を由有子に与えてしまったのではないだろうか。そして、先生の学問的な知識がその裏付けをしていたとしたら、悲劇以外の何物でもない。ある意味、大きな力を誤用した結果と言える。おのれの心底が見えぬために招いた結果と……。
人を学問の力を持って救うという意味では、医療も同じだ。入沢がその限界を知り、そのために尻込みしているとは思わない。しかし割り切れはしまい。いつか美樹がそうだったように、入沢自身が医者だからこそ許せないだろう。
人のいい君子にはさすがにそこまではわからない。彼女はただ、総ての人の総ての哀しみをなんとかして取り除きたいと、ただそう思っているのだろう。