「光の情景」
作/こたつむり


【第4部】


〈第9章〉1
 
  あれから一年と三か月経った。
  今日、私は入沢のいるK病院に行って来た。このところ真面目に通っている。
  と言っても一か月に一度くらいである。私の不眠症はまあまあ直っているし、どこと言ってそれほど悪くもない。
  実は私は今、妊娠しているのだ。それで子供を産むのに、又あちこち悪いようでは困ると思って、ちょっと何かあるとわざわざ入沢を頼って診てもらいに来ていたわけだ。
  ただ、今度の入沢の勤務先は、私の家からは結構遠い。以前、入沢の勤めていた国立O病院の方が家の近くにあるので、産婦人科の方は、そこでおなかの赤ん坊の経過を診て貰っているんだが、これからそちらにお世話になる以上、そちらの内科に戻った方がいいかもしれないと思っている。
  大きい病院は施設が整っていて便利だが、医者が変わると困る、などと言う患者もいる。でも私の場合、医者が変わると不安になるほど大変な病気をしてるわけでもないし、特定の主治医に診てもらわねばならぬほど特別な体質というわけでもない。その私が医者の転勤にくっついて病院まで変えるのも、考えれば奇妙な話しだが、それも入沢という医者の人徳なのかもしれない。しかし、それも今日までにしようと思う。
  入沢の診察ぶりは、相変わらず親切で丁寧だ。しかし、入沢はやはりどこか変わったと私は思う。その変化は微細な所にしか表れないが、見ようによっては何もかも総てが変わってしまったように見える。
  入沢はK病院を辞めて、家の入沢医院を継ぐらしい。入沢の父親がこのところ体の調子が優れず、入沢か、入沢の弟に医院を譲るか、手伝ってもらうか、さもなくばたたむ、と言っていたのは、ちょっと前から知ってはいた。が、意外と入沢の決心は早かった。
  父親の跡を継ぐとなると、つまりは入沢医院の院長になるというわけだ。院長とは経営者であり、私も詳しくはよくわからないが、時々手伝うという程度では経営者にはなれない、という事らしい。
  しかし、入沢の年令で跡を継いで院長となるケースは多くはない。入沢の父親の体の不調というのも、働けないほどではなく、年令から言っても、入沢の父親くらいの年令でガンバッテいる医者は多い。
  入沢が手掛け始めた研究の方は、大きい病院の総合施設の中でしか出来ない内容なので、初めのうちは時々このK病院に来て続けさせてもらうか、入沢医院の方は手伝うだけにして、K病院に残るような道を考えてもいたらしいが、研究はやめるという。なまじ深く足をつっこんでからだと周りにも迷惑をかけるし、自分もいつかやめると思うと辛いだけだ、と聞いた。
  入沢や由有子について書き始めたのは、六年前だ。この六年間、入沢について書く時、私は共に由有子についても書き続けて来た。それを思うと、今、私は空虚な思いにかられる。
  由有子は死んだ。あの後わずか二週間後。交通事故死だった。
  関沼先生は、今なおカリフォルニアにいる。今もなお裁判の最中なのだ。由有子の交通事故の損害賠償を求めるためのもので、以前メアリーも言っていたが、アメリカではよくやるらしい。
  事故の原因は、由有子の乗っていた車と相手の車の接触で、由有子は反対側にハンドルを切ったが、切り過ぎたために道を外れ、ガードレールを破って車ごと河に転落したのだ。
  相手の車は明らかにスピード違反で、その事は相手も認めているが、道幅は日本のように狭くはない。
  と言っても民間道なので対向車同志を区切るものはなく、どっちがぶつかってきたか、はっきり判定しにくい。相手は由有子の側から、ふいに近付いて来たと主張している。
  相手側は運送用トラックのベテラン運転手で、スピードは上げていたが、よほどの事がない限り自家用車一台くらいは避ける自信があると言っているそうだ。
  しかし由有子も運転は初心者ではないし、誰もが日常の彼女の安全運転は認める所で、初めのうちは相手側の主張は不利だった。
  しかし、裁判の途中から、由有子は自殺しようとしていた、と相手側の弁護士が言い始めた。
  こうなると、裁判も本格的なものになって来る。病院の医師や、由有子の友達などまで呼ばれて証人席に立たされ、由有子は事故の半年前に愛児を亡くし、ノイローゼになっていたという事実まで明るみに出た。
  関沼先生は勝訴できそうだから、心配しなくていい、と由有子の両親に手紙をよこしてきたらしい。
  先生の側では、相手の車との接触を避けるために反対側にハンドルを切るのは、助かりたいとする由有子の意志の現れであって、自殺なら相手の車にもろとも突っ込むか、初めから河の方に突っ込むはずだと言い、相手側は接触の後を写真で見せ、この程度の接触で、あんなに大きくハンドルを切るのはおかしいと言い、先生側はそれに対し、相手の車がスピードをあげていたため、回避する事を焦ってハンドルを切り過ぎたのだと言い、相手側は由有子が転落する前にブレーキを踏んだ形跡がないと言い……。
  しかし先生側の主張には強力な根拠がある、と先生は手紙で言ってきている。それが法律上決定的な事なのかどうかは私も知らないが、ほぼ自殺でない事を証明できるのだと先生は書いている。
  由有子は妊娠していたのだ。そしてその事は、本人も病院に行って知っていた。長男の死が原因で、自殺するほど子供に執着していたと言うのなら、又新たに生まれて来る子供を体内に宿っている由有子が自殺するのはおかしい。そういった理屈らしい。
  しかし、私はそれを先生に否定する気はない。先生はこの先の人生を生きて行くために、そう思っていてくれればいいと思わざるを得ない。
  由有子の遺体は日本に帰って来て、すぐ葬式をあげた。
  葬式の日の事を私はあまり覚えていない。断片的な部分しか思い出せない。
  雨に最期の花びらを散らされていく葉桜を見て、ついにまた同じ桜を見た、と思え、どうしようもない悲しさで立っている事すらできなかったからだ。
  入沢は無口だったが冷静だった。泣いてはいなかった。そこには、由有子の両親への思いやりが感じられた。由有子に心の中で何かを語りかけるかのように、いつか由有子を再びアメリカに送り出した日の、八重桜の散る風景の中で見た、あの苦悩しながらも澄み切った目で、ふと遠くを見る彼がそこにいた。
  入沢が変わったと思えるのは、もっと後だ。
  ある日、私の手元に由有子からの手紙が届いた。由有子はいつもエアメイルで手紙をくれるのだが、この時は船便だった。
  手紙を手にした時、これを書いた由有子はもうこの世にいないのだと思って、私はむせび泣きそうになった。おそらく事故の直前に、買い物か何かに行く途中これを出したのだろう。船に乗せられ、ゆっくりと日本に送られてきた彼女の手紙は、彼女の生きていた時間が、その分遠い昔だと物語っているようでもあり、閉じ込められた彼女の温もりに触れたようでもあって、せつなかった。
  封筒の中からは、数枚の写真が出て来た。私がアメリカに行った時のものだ。入沢の写っているものも何枚か入っている。私は、入沢にも同じものを送っているのだろう、とその時思った。しかし訝しい事に、手紙が入っていない。
  そして、最後に封筒の中からは、
「入沢健治様」
  と書いた、さらに小さな封筒が出て来た。
  私はハッとした。
  遺書だ……。瞬時にそう思った。
  私宛の手紙の中に、入沢への手紙が入っているのは、どう考えても不条理な事だ。以前鷹子が、入沢には見せぬように妻の君子に渡そうと、手紙を出した事があったが、由有子は反対に入沢に直接手紙を送ろうとしたのだ。
  無論、君子が受け取ったとしても、その中を勝手に開封して読んだりはしないだろう。しかし、君子から渡されれば、入沢はそれを君子の前で読まざるを得ない。君子の前でも入沢が平静には読めない手紙。それは遺書に他ならない。
  しかもそうした事情を唯一察する事のできる人間と言えば私しかいない。その私の元に送ってきたのだ。
  入沢は病院の研究室で私を待っていた。
  私は私に送られて来た封筒ごと彼に渡して、
「手紙は入ってなかったわ。送られて来たのはこれで全部なの」
  と言った。入沢は明らかに衝撃を受けていた。そして、やがてうわずった声で、
「何て書いてある」
  とつぶやいた。その言葉は私に対してと言うより、彼自身に問うているかのように細い声に支えられていた。
  私は封を切った。そして内容に目を通したが、声に出しては読めなかった。声が出なかった。
「私は元気です。
  私は死にません。
  私の健康な心と体を誰かに、
  もっと苦しんでいる人たちにあげて下さい」
  ただ、そう書いてあった。私はその手紙を……由有子の遺書を入沢に渡した。
  入沢は読み終えると、テーブルの上に両手をついた。やがて片手で彼の顔を覆った。指が頭を支えるようにしなっている。彼は低く、
「由有子!」
  と呻いた。慟哭と言って良い。
  テーブルについていた入沢の腕は、ガクンと折れて、彼の体はズルズルと床に崩れ落ちた。それは、彼という組織が崩れ、壊れてしまったかのように見えた。
  由有子! ああ由有子、許して!
  私はあなたの救いにはなってあげられなかった。私と入沢の手は、今この時、ブツリと音を立てて切り放されてしまった。
  そして、その間を限りのない、深い深い闇が、永遠に愛する者の魂を吸い込んで行く。静かに静かに、どこまでも……。
   
 

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