「光の情景」
作/こたつむり


〈第8章〉11
 
「そっちこそ要らぬ茶々じゃないのよ。冗談じゃないわ。家内安全のお守りが聞いて呆れるわ。君子さんどう思ったと思う? その手紙を読んで。余計なお世話なのよ。あのね、この際だから言うけどね。理恵だって前、あなたが理恵のボーイフレンドに余計な事を言ってくれたせいで、その人とは別れてしまったのよ。それで理恵が入沢君とつきあっているのをどうこう言うのは矛盾してんじゃないの? あなたがあんな事しなきゃ理恵はその人と結婚してたかもしれないと思わない?(もっとも私もそうは思ってない。この発言は方便という奴なのだ)あなたのそういうやり方ではうまく行くものも、うまく行かなくなってしまうのよ」
  と私は決め付けた。
  こんな執念深い女に見込まれた入沢も気の毒だと思った。これが自分の夫ではなくて幸いだった。美樹も君子も、入沢にとって申し分ない妻だったが、私は家もほっぽらかしているし、妻らしい事は何一つしていない減点妻なのだ。こんな女が間に割って入って来たら、夫ごと家を奪われかねない。
  鷹子は私の説教を俯いて聞いていた。そして、しばらくうなだれたままで黙っていた。あ、反省してくれたな……と、私は思った。しかし、そのうち鷹子はゾッとするような、恨みのこもった目をして私を下から覗き上げるようにして見た。
「私、理恵さんの事で、昔自分が何をやったのかわかっています。そしてそれを、入沢さんや久世さんにどう思われたかも。私はあの時、ああするしかないと思ってやった事ですけど、それを人に非難されたとしても反論する気はありませんでした。正しい事をしたと言い張る気もありませんでした。でも、今になって考えると、あの程度のやり方では手ぬるかった、と思えて来るんですよね」
  鷹子は静かだったが、怒りを込めてそう言った。
「あなたには関係ないでしょう? もう……」
  私はたじろぎながらも、なんとか言い返した。入沢と理恵の事を、友人でありながら放っておく私に対する抗議のように思えて、言い返さずにはいられなかった。
  あるいは、私にも少々後ろめたい所があるのかもしれない。他人事にかかわりあいたくない、といった無責任な所が、私にもあるにはあったのだ。 理恵に関してはは、私が入沢の事をムキになって、どうこう言うと、
「やっぱり妬いてるんでしょ」
  などと言われかねないものがあって、口を挟みにくいのだ。だいたい口を挟んだ所で、とぼけられるのがオチ、という感じも理恵にはある。
  それと入沢については、これも又複雑なものを感じないでもない。
  彼の前の妻、美樹と離婚した時にも思ったのだが、彼には女となると、どこか締まりがないというか、だらしのない所がある。女にデレデレしやすいとか、浮気っぽいとかいうのなら、叱りつけようもあるのだが、はっきり言って、入沢という男にとっては、言い方は悪いが、女なんてどうでもいいような所がなくもない。女性とのつきあいという面においては、どこか投げてるというか、相手まかせの所がある。
  君子とのいきさつについては、かなり熱意の感じられる部分があるのだが、それなら理恵との付き合いもはっきりさせるべき問題ではないのか。
  君子に対し、結婚する時に入沢が抱いた熱意が、今になってマンネリ化してるとは思わない。しかし自分にとって重要と思える人物を見極められたのなら、災いとなりそうな人物を見極める目をも持つべきだろう。
  災いとまで言ってしまうと、さすがに理恵に悪いと思うが、今このようにややっこしい事の起こる原因は、入沢と理恵の間にある、ある意味不透明な交際関係にあると私は思う。せめて入沢からだけでも、理恵との間に距離をおくように心がけてほしかった。
  入沢はその点については、もっとはっきり言うなら、真剣に考えるのが面倒臭いんじゃないだろうか。それならそれで、面倒臭そうに振る舞えばいいのだが、彼のお行儀の良さが女たちを惑わせているとも思える。あれが全然モテる要素のまるでない男だったら良かったのだ。それが、なまじいあんな端正な目鼻立ちに恵まれているものだから、女たちの方が放っておかない。
  入沢は三十才になっていた。高校の頃から、彼の容姿には際立った美しさがあったが、あの頃の少年っぽい新鮮な笑顔を、彼は相変わらず持ち続けている。その上、身のこなしの優雅さ、全体に流れる品の良さには、すべて大人びたムードが加わって、昔と比べると男っぽさというかが表れて来るようにも感じられる。病院で女医や看護婦にキャアキャア言われているのも私は知っている。
  しかし、男が女にモテル現象には、男の側にこそそれなりにそうなる裏付け(動機とか願望)があるのが普通だ。男の方に多かれ少なかれ女に対する関心があって成り立つ構図だろう。
  ところが、入沢の不可思議な点と言えば、彼には下手すると、女の顔も衣装も見えてないような所が多分にある。さすがに人間に関心がないとまでは言わないが、特に若い女だから気になるといった所はあまりないように見える。
  要するに彼という人間には、男も女も動物も静物も、同じ物体としてしか捕えられてないような部分が相変わらず残っている。そのくせ……というより、そのせいなのか、男でも女でもブスでも美人でも、全くおかまいなく相手の顔を真っ正面から見詰める癖があり、よく若い女性が彼の前でドギマギしている光景に出くわす。しかしながら、彼がその同じ眼差しを持って顕微鏡を覗いている事を知っているのは、わずかの人間だけだろう。
  ただ相手がそれほど自分に自信のない相手なら、入沢の持つ一種の近寄りがたさのせいか、わきまえてそれ以上接近する気も起こさないだろうが、なまじいそうでない女なんかは、一歩踏み込んでこようとする。しかも鷹子のように、入沢の医師としての慈愛溢れる姿に触れると始末に負えない。
  それで入沢の回りには容姿端麗な女性ばかり集まって来る、と私は最近解釈するようになった。世の男性が聞けば羨ましい限りだろうが、当の入沢にはそれが若干面倒臭そうに見える。
  ただ入沢のもうひとつ不可思議な部分なのだが、彼にはその面倒臭さを表面に出さないよう努力しているような所がある。良く言えば奢りがない、悪く言えば八方美人という感じだ。世の中にはちょっとモテルと女に対し、ワザワザ邪険に振る舞ったりする男が多いものだが、入沢にはそういう自惚れがない。気取りもしないが粗末に扱いもしない。相手が男でも女でも、人様の好意に対してはいつもニッコリ笑って、
「ありがとう」
  なのだ。受け止めてしまうのだ。こういう性格を私にどうしろというのだ。これは何も理恵一人に対してではない。誰に対しても平均的にこうした態度に出られるのだ。私は鷹子を目の前にしながら腹の中ではあれやこれや思いつつ、迂闊には口を開けないで詰まっていた。
「久世さん、私はねあの後、あれで理恵さんが前の恋人と別れて入沢さんと結婚するのならそれでもいい、と思いました。勝手な言い分かもしれないけど。そうしたら、理恵さんは自分から、入沢さんとは結婚しないってはっきり言ったんです。私のせいで理恵さんとの事がダメになったのならともかく、入沢さんだって、ちゃんと奥さんを他に決めて再婚なさったわ」
  入沢はともかく、理恵の方は結婚しないからと言って入沢と別れる気はなかったわけだ。私も一時期これには憤然としたものだ。時々日本に戻って来る程度の鷹子がイキナリこんな理恵を見たら、確かにプッツンしてしまうのもわかる気がした。
「私、入沢さんの事、本当に好きだったんです。好きだったからあれ以上入沢さんの重荷になっちゃいけないと思って身を引いたんです。日本に戻ってきた時に、入沢さんが再婚なさったという知らせを聞いて、私ホッとしたわ。勿論、昔の事を持ち出して入沢さんの幸せを壊すつもりなんかなかったわ。私、そんな女じゃありません。それなのに、理恵さんは今でも入沢さんと……。こんな事ってあります?」
  鷹子は入沢との事で、結婚も考えられなくなってしまったのだろう。別に意地を張って独身でいるわけではないようだが、入沢への失恋が彼女に深い傷跡を残した事は確かだ。そしてそれでも入沢が君子と結婚したと聞いて、おそらくショックではあったろうが、彼の幸福を祝ったのだと思う。そこへ、昔の恋敵が茶々を入れてるのを知った。鷹子が憤るのも無理はない。私にも鷹子の気持ちはよくわかった。しかし、
「あなたには、もう関係ないじゃない」
  と私は同じ事を繰り返して言った。
「あなただって、ちゃんといい人を見付けて結婚すればいいのよ。入沢君の事に口を挟む必要ないと思うわ」
「いいえ、あります。私、今でも入沢さんが好きです。理恵さんが、入沢さんの事を今でもやっぱり好きで、それで奥さんから彼を奪おうというのなら、そして、それが許されるというのなら、私だってそうします」
  鷹子はむせび泣くように、涙ながらに訴えてきた。
 
 
 

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