「光の情景」
作/こたつむり


〈第8章〉10
 
「信用のならない看護婦ね。誰よ。名前は?」
「待って下さい。それは言えません」
「なぜ? もし、その看護婦が入沢君の住所を知っていても、患者に教えるなんて許される事じゃないわ」
  私はどこまでも、この女をとっちめてやろうと思った。
「その人も……その看護婦さんも、入沢さんが好きだったんです。でも、その人は、自分はもう他に好きな人が出来たから、入沢さんの事は諦めるからって言って……」
  と、そこまで言って鷹子は口ごもった。
  全くなんて事だろう。確かに看護婦なら病院の医師の住所を調べようと思えば調べられるかもしれない。が、それを全く私的な思い入れで何をしでかすかわからない患者に教えてやるとは、どういう根性をしてるのだろう。白衣の天使が聞いて呆れる。ただのタレントの追っ掛けと変わらない。
  あるいは……私はどこまでも意地悪い気持ちになって、こんな事も考えた。看護婦に聞いたのまでは事実としても、鷹子の他人には見抜けぬ、この執念深さで看護婦を丸め込んで、何とか入沢の住所を聞き出したのではないか。
  自分の病気で他人の同情をひき、相手を味方にしてしまう。その上始末におえないのは、その相手に対して、同病あい哀れむかのように思い込んでいる。もしそうだとしたら、その看護婦は鷹子の罠に引っ掛かったのかもしれない。理恵なら確信犯特有の後ろめたさが見え隠れするものの、鷹子からは、自分には悪い所はなかった、という思い込みしか伝わって来ない。その分、どうにも憎らしい気がしはじめた。
「わかったわ。あの時の事でね、あなたに言いたい事は山ほどあるんだけど、今は聞かないでやるわ。もう一つあるわ。あなた、成田でも入沢君と理恵を見たって言ったそうね。入沢君は、知らない、行ってないって言ってたわ。私もそうだと思うわ。彼はそういう人じゃないわ。あのころは彼も独身だったけど、そんな簡単に、どんな女とでも一緒に旅行するような人じゃないのよ。あなた、何か元々とんでもない勘違いをしてるんだわ。すぐに人を疑ってかかるから、なんでも変な具合に見えちゃうんじゃないの?」
「あれは本当の事です。あの時は遠目だったけど、入沢さんは確かに成田にいました。理恵さんと一緒だったわ」
「あのね、成田、成田って言うけど、あの人はあのころ、外国旅行なんてする暇もなかったくらい忙しかったのよ。だいたいそんな所には用も……」
「久世さんまでそんな事おっしゃるの? 私は本当に見たんです。絶対に嘘じゃないわ」
  と鷹子は凄むが、私は自分で言いかけた言葉にハッと息を飲んでいた。
  鷹子が見たのは確かに入沢だ。しかし相手は理恵ではない。
  由有子だ。私は今まで理恵の方が由有子に似てると思ってきたが、人が見れば、由有子が理恵に似てるという見方もできる。ちょうど理恵が入沢につきまといだした時期、由有子が帰国した事があった。そしてあの頃、入沢との妙な噂に頭を悩ませていた私は、あらぬ腹を探られるのが億劫で、出迎えにも見送りにも行かなかったが、入沢はそのどちらにも行った。成田にいたのは由有子と会っている入沢だったのではないか。
  しかし……と思って、私の胸の中は、急激に激しい怒りで膨張した。
  入沢と由有子は人に後ろ指を指されるような事は何一つしてないのだ。そうだ。この世には、どれほど深く強く愛しても、相手を束縛したり疑ったりせず、ひたすら愛する者の幸福をのみ望む、そういう愛もあるのだ。その入沢を捕まえて、浮気者呼ばわりする鷹子にその事を思い知らせてやりたい気がした。
  よりによって入沢と由有子を見て、由有子と理恵を間違えて嫉妬するなど、この女はよほど目が曇っている。
「じゃあ、あなた、どうして理恵の家なんか知ってたのかしら」
「理恵さんの家?」
「そうよ。その事も私は一言、言いたいと思ってたのよ。あの後あなたはドイツに行ってしまって、もう入沢君の事は諦めてくれたんだと思ってたから、今更言うまいと思ってきたけど、あなたがそうやってむし返すなら、私も聞くわ。あなた理恵の家に押し掛けて、理恵のボーイフレンドに要らぬ事を言ったんでしょう? だいたいどうして理恵の家なんか知ってんのよ」
「あれは、理恵さんが教えてくれたんだわ」
「え? 理恵が教えた?」
「そうです。理恵さん、私の家に電話してきて、文句があるならいつでも来なさいよって、私に一方的に言ってきたんです。私の方こそ驚いたわ。どうしてあの人、私の電話番号なんて知ってるんですか?」
「知ってるんですかって、どういう意味よ。私は知らないわよ。まさかあなた、私が教えたとでもいうの?」
「そんな事言ってません。いやだわ。なんだか久世さんの言い方。理恵さんとしゃべり方がそっくり」
  私は思わず咳ばらいをした。私はこのところ、本宅では夫と二人で生活してるが、仕事用のアパートでは、ほとんど理恵と同棲状態である。例の合作が結構当たって、年に一度同じシリーズをやることになって以来だ。口のききかたぐらいは移っているかもしれない。
「じゃあ久世さんこそ、どうして私が入沢さんの奥さんに手紙を出した事を知ってるんですか? それは知ってるのに、入沢さんとはその事を話してないなんておかしいわ」
「見たからよ」
「なんて書いてありました?」
「中は見てないわ」
「奥さん、何て言ってました?」
  実の所鷹子は、今日、入沢や君子の反応を聞きたかったのかもしれない。しかし私はその事は本当にわからない。入沢はともかくとして、君子にはそんな事を確かめようがないではないか。
「聞いてないわ。置いてあるのが偶然見えたのよ」
「置いておくかしら、他人の目につくような所に」
  鷹子は私が君子の差し金で、鷹子を探りに来たとでも思っているのだろうか。疑っている。私を。
「本当よ。嘘ついたって仕方ないじゃないのよ」
「じゃあ、私の言ってる事も信じてほしいわ。私だって本当に偶然理恵さんと入沢さんを見たんだもの。思い込みとかカマをかけてるとかじゃないんです」
  なんだか、おかしな論法だが、こう言われると私は鷹子を勘ぐり過ぎているのかもしれないと思えた。第一、今更こんな事の真偽を問いただしたって仕方がない。私もようやくバカバカしくなってきた。私はやや冷静になってきた。
「あなた、その手紙に何を書いたの? まず、その事を確かめるべきだったわね」
「私……私はただ、入沢さんにも奥様にも、幸せになってほしいと思って……それで、お守りを送ったんです」
「は? お守り?」
「そうです。ドイツから帰ってきた時、母が早く指が直るように一緒に行こうって言ってくれて……。あの、奈良の薬師寺にお参りに行ったんです。そしたらいろいろお守りがあって……それで、私、お医者さんに対して神頼みなんて失礼かなとも思ったんですけど、入沢さんがいいお医者様になってくれたらと思って、お守りを……。奥様には家内安全のお守りを同封したんです。入沢さんに直接渡しても、私が渡すんではせっかくのお守りも変な勘違いされると思って、奥様がもし私の気持ちを受け入れて下さったら、入沢さんにも届くと思ったんです」
「え? そうだったの?」
  私は愕然としてしまった。赤面し始めているのが自分でもはっきりとわかった。
「じゃあ、手紙にはただその事を?」
  と、私は乾き切った声でオドオドと問い直した。
  すると鷹子は、ふと口をつぐんだ。表情が堅くなった。私の赤面しかけた顔から一気に血の気が引いて行った。
「何を書いたの?」
「あの……」
「何を書いたの?」
「邪魔をする人がいたら、きっとこのお守りが守ってくれるって、書きましたけど」
「それだけ?」
「それだけって言われても……」
「理恵の事を書いたんじゃないの?」
「……」
「どうなの?」
「書きました」
  やっぱり……何のお守りだか知らないが、それではなんにもならないじゃないか。
「でも、そんなはっきりとは……ただ、入沢さんはもてるから気をつけた方がいいって……要らぬ茶々を入れる人もいるからって……」
 
 
 

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