「光の情景」
作/こたつむり


〈第8章〉8
 
  しかし、そうも言えなかった。先生は私にとって友達みたいに簡単にものが言える相手じゃない。
  私は内心、そこが日本人の悪い癖だ、言いたい事があったら、はっきり言え、と言われてしまうような、頭を掻くような思いだったが、なんだか先生が由有子を病気だと思うのには、それなりに夫として、あるいは学者としての根拠があるような部分も私には完全に否定できなかった。今ここで、そういった論法で切り返されて話がこじれたりしたら、返って、こんな所にまで、わざわざ夫婦の中を掻き混ぜに来ただけになってしまう気もして、ついぞこの事は言い出さずに終わった。

  日本に帰ると、私には又、思わぬ事件が待ち受けていた。
  私はアメリカの土産を届けに入沢家に行ったのだが、そこで私はとんでもないものを発見したのだ。
「ごめんなさい、もう本当に散らかっちゃってて……」
  と、君子は奈々を寝かしつけると、奈々を起こさぬように内緒でもするような、ヒソヒソ声で私に詫びた。
「いいの、いいの、私すぐ帰るから……」
  と、私も同じくヒソヒソ声になってそう言ったが、君子は構わずに床の上で、私の渡した土産の包みを開け始めた。
  その様子を見て私は微笑んだ。なぜなら、こたつの上が散らかしっぱなしで、彼女は床でしか包みを開けられないのである。
  私は何気なくこたつの上に散らかっているものをどかしてやった。そして、
「入沢君子様」
  と書いてある封筒をどけた時、その裏に、紛れもなく、
「堀内鷹子」
  という字が書いてあるのを、はっきりと見てしまった。
「あら、すいません」
  と言って、君子はニコニコしながら、すぐに私の土産の品をこたつの上に置き直し、散々に土産について感嘆し、礼を言った。
  多分彼女は、私が封筒に気付いたとは思ってないだろう。私はその封筒だけをどかしたのではなく、その上に置いてあるものも一緒にどかしていて、彼女の方からは、その封筒が私の目に入ったようには見えなかったに違いない。私も君子の会話に何気なくつきあい、平静を装っていたが、内心穏やかではない。
  穏やかではない……なんて、そんな悠長なもんじゃない。ドキンとし、ヒヤリとした。
  しかし確かに「堀内鷹子」と書いてあった。封が切ってあるかどうかまでは、本当に一瞬でわからなかったが、多分今日届いたのだろう。そして、もっと訝しいのは、表の「入沢君子様」の面にはそれしか書いてない。住所とか郵便番号とかがなく、切手も消印も多分なかった。
  今日、私が訪れたのは昼過ぎだった。だからおそらくその前……つまり、入沢の帰って来る前に、直接この家の郵便物入れに入っていたと思われる。
  私の頭はグルグルと忙しく回り始めた。何でわざわざ入沢のいない時間に、直接君子に……?
  住所を書いて郵便局を通して配達させれば、何時に入沢家につくかわからない。入沢が帰った後になれば、入沢自身が受け取る事も有り得る。
  そして、もう一つ、鷹子が入沢でなく君子に出したと思えたのは、私が今日この家に来たとたん、君子が、
「朝ね、健さんが家を出たとたん、電話がかかってきたんですよー。それがイタズラ電話なの。なあんにもしゃべらないで切っちゃったの。いやですねえ。こわいなあ。私、奈々がお昼寝している間は、ほんのちょっとでも外出しない事にします」
  なんて話しをしてくれたのだ。なんとかサスペンス劇場の見過ぎかもしれないが、よく、本人がいるのを確認して郵便物を送り込む犯人の手口に似ている。それに私は、鷹子については前科を知っている。ひょっとしたら、入沢が朝、家を出るのをどこかで見ていて、その後、郵便受けに入れたかもしれない。鷹子の事だ。それぐらいやりかねない。
  ただし、君子はそんな推理はしてないだろう。電話と手紙に関係があるとすら思ってなさそうだ。ただ、手紙を読んではいるかもしれない。君子がすっかり私の方を向いてしまっているので、もう一度、封が切ってあるかどうかまでは確かめられない。しかしどうせ読むだろう。
  何が書いてあったのだろう。それ以前になんで君子宛に鷹子の手紙が届くのだろう。
  入沢は鷹子に、再婚の事実を、知らせるだけは知らせたらしい。ただ、わざわざ手紙を書いたのではなく、よくある印刷された結婚通知状を出したのだ。だから鷹子は、入沢の住所や電話番号を知っている。
  しかし、なんで入沢でなく君子に出すのか。大体君子と鷹子は会った事は愚か、お互いの存在すら知らないはずだ。この二人の女にはなんのつながりもない。その会った事もない女に、どうして手紙など……。私はドキドキしながらも、既に悪い想像で頭がいっぱいになった。手紙の内容も嫌な憶測を以て仮定しはじめた。
  私は表面はにこやかに君子と別れた。しかし別れるや、我ながら深刻な顔に早変わりした。
  どうしよう。入沢に言った方がいいだろうか。しかし、なんだってわざわざ刻印でも押すように、鷹子は自分の名前を書いたのだろう。君子がダレクトメールか何かと間違えて読まずに捨てるからだろうか。いや、そんな事はどうでもよい。とにかく私はこの目で見た。脳貧血でも起こりそうな位緊張しながら、私は冬の寒い道を歩いた。
  そしていきなり私は決心した。入沢になど言っても埓が開かぬと思った。鷹子自身を直撃してやろうと思った。しっぽをつかんだと思った。一体、結婚し、子供も生まれた幸せな夫婦にどんな悪縁を振り掛けようというのだ、あの女は。こういうやり方は理恵ではないが、ルール違反というものじゃないか。
  そして、私は理恵と違って、男の心理には鈍いかもしれないが、女性心理にかけては……というより、殊、鷹子に関しては、これまでも、自分でもウンザリするほど予測が当たってきたのだ。
「久世さんですか? 何で電話してきたのかわかっています」
  と鷹子はいきなりそう言った。その口ぶりには既に挑戦的なものを感じないでもない。彼女は依然として同じ電話番号……つまり今も親元にいるわけだ。要するに結婚していない。
「あなた、ドイツに行ったんじゃないの?」
「帰って来たんです。それより電話ではなんですから、一度お会いしたいんですけど」
「いいわ」
  私は場所と時間を彼女に指定してもらった。
  数日たって、鷹子に会うためにこれから出ようとした時に、由有子から電話がかかった。
「やっぱり今日は旦那さんのおうちにいたのね。仕事部屋の方へ電話したんだけど、誰も出なかったから……」
  由有子は私がこんな騒動に巻き込まれているとは知らずに、平和そうな声で言った。これからの面倒を考えると拍子抜けするような由有子の声だったが、私はそんな彼女には、やはり安堵した。随分と元気を取り戻したように思える。
「ええ、今の所ちょっとまだ暇なのよ。本当はそろそろなんだけどね」
「こっちへ来たりしたんで疲れさせちゃったかしら」
「そんな事ないわ。とても楽しかったし。今度こそ入沢君も誘って、もう一度行きたいなあ」
「そうね、あの方、音無さんにも、もう一度お会いしたいなあ」
  うっと来た。
  私は今、理恵に関してはちょっと嫌な感情を抱いている。理恵自身に関してというより、理恵が今もなお入沢にちょっかいを出している行為が、これから会う鷹子の、入沢に対する執念と結びついてしまい、ごっちゃになって嫌な印象を引き起こすのだろう。
  昔の事になるが、理恵と鷹子の、あの凄まじい言い争いを思い出す。あの頃は理恵の方に非があると思っていたが、今の鷹子に対する印象の悪さが、どっちもどっちだった、という気持ちを起こさせる。口の悪い理恵と執念深い鷹子では、あんな対立を招いても仕方なかったかもしれない。増してや、当時どっちとも煮え切らない入沢が間に立っていたのだ。
 
 
 

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