「光の情景」
作/こたつむり


〈第8章〉7
 
 実の所、私は先生以上にそうした由有子の態度が気になっている。……というのも、私はつい以前の由有子と比べてしまうからなのだ。
  由有子は自分の愛する人に非常に献身的な人だ。先生にとって学問を続ける事が良い、と彼女が純粋に確信しているのは紛れもないが、そこには感情のかけらもない、ある意味実に合理的な精神のみがあるのだ。学問にとっても先生が必要だし、先生にとっても学問をしていく事が望ましい、という、どこか、自分の夫を落ち着き払った冷静さで捕えているように見える。
  少なくとも以前の、入沢に対する由有子の将来展望は、こんな風ではなかった。
「私がいつまでも売れ残っていたら、健ちゃんだって、いつまでも私の事心配してなくちゃならないでしょう?」
「私が健ちゃんにくっついていたら、健ちゃんがこれから先ずっと私のお守りをしていく事に変わりはないような気がするの。それじゃあ、あんまり健ちゃんがかわいそうだわ」
  自分が原因で入沢の将来を限定し、自分が重荷になって入沢に苦痛を与える事を危うんで、由有子は入沢の元を去った。その後も、入沢の愛がなおも誠実に自分に注がれている事を知って、それでも由有子はやはり入沢の足手まといにならぬよう、賢明に自分の立場を守り抜いて来た。
「愛しているから、健ちゃんには、健ちゃんにだけは、本当に幸せになってほしいの」
「健ちゃんは、ちゃんと丈夫で優しい人を……なんの心配もなく、あの人には、あの人の将来を見てもらいたいの」
  あの由有子。身もだえするほど入沢を愛しながらも、おのれを捨て去ろうとし、捨てきって、入沢を守ろうとした由有子は一体どこに行ってしまったのだろう。
  私には、しかしながら、現在の由有子が人が変わってしまったようには、どうしても思えなかった。むしろ由有子は今こそ、本来の由有子そのものになっているのではないだろうか。
  由有子が雄一の死を今なお悲しみ、心身が病むまでになっているのは事実だろう。これは、雄一の存在が由有子にとっていかに大きかったかを表し、しかし裏を返せば、その雄一がいなくなった今、これまで由有子をつなぎ止めていたあらゆる事が総て、由有子をつなぎ止める機能を失った事になるのではないだろうか。
  確かに以前、由有子は関沼先生に日本に置き去りにされる事を怖がりも寂しがりもしていた。しかし、その事は、由有子自身も彼女の手紙の中で、
「私は夫婦が別れて暮らすと言うと、自分の父親の転勤と、つい重ね合わせて考えがちだったんだけど、今は、お互いが自由にのびのびとしていられるし、返って、別々になっていると、夫婦の絆を強く感じるのです」
  と告白していたではないか。先生は由有子がそのように大人になる事を望んでいたはずだし、大人になった由有子を、
「とてもステキな女性になった」
  と誉めてもいたではないか。そして由有子は私に、
「雄一のために、もう一度関沼を愛さなくちゃならない」
  と言っていたのだ。これは取りも直さず、由有子の言う夫婦の絆が、雄一のために存在していた事を裏付ける言葉に私には思える。
  由有子は別に、別居するからと言って、離婚すると言ってるわけでも、先生の事が嫌いになったと言ってるわけでもない。ただ、由有子は自分の気持ちに正直に、夫婦がお互いの立場や生き方を尊重しあって生きていくべきだと思っているのだろう。それが心の病から出た考えとは、どうしても思えない。
  先生はそうした由有子には気付いていないのかもしれない。ただ、ひたすら、由有子の面倒を見、由有子の心配をしたがっている。まるで、年をとった親が、もう大人になった我が子の機嫌を取ろうとするかのような、痛々しいほどの献身ぶりだ。
  でも、ひょっとしたら先生は気付いているのでは、とも思える。そして、気付くまいとしている。先生と話していて、変な気がするのはそういう所かもしれない。
  病院から由有子が私に電話をしてきたっていいじゃないか。先生の流儀で言うのなら、由有子が心の支えとして友人を持つのは素晴らしいはずだ。なんでもかんでも夫に頼らずに、ある局面では友人を頼りにする、そういう事だと思う。
  だから、たとえ病院の医者に説得され、一度は検査に同意しても、ふと不安を覚えれば私に連絡を取りたくなる。むしろ、正常な人間の取る処置ではなかろうか。
  気持ちが不安定になる事は誰にだってある。私も入院したり通院したりしたからよくわかる。急に不安になって思わず電話をしてしまう。そんな事は女の子(もう女の子と言える年令ではないが)にはよくある事だ。
  精神医学の事なんざ私にはわからないが、由有子が取った行動を私が迷惑に思ったり困ったりしているのならともかく、今回のような事は決して多くはない。むしろ滅多にない。そんな時にこそ由有子が訴えてきてくれて、私としても嬉しいし、彼女に関しても、そうであればこそ安心できる。由有子がそうした友人を持っている事が悪いとは思わないし、もし、由有子がそんな時に誰にも言えず、一人悶々と苦しまねばならなかったら、それこそ精神に破綻を来してしまうではないか。
  それとメアリーの事も、意外にも先生がそんな事を気にしているとは、と首を傾げたくなってしまう。由有子がメアリーに嫉妬してたりしたら、大人な先生はどんなにかウンザリするだろう。
  しかし、先生にとっては、まだその方がいいのかもしれない。その方が由有子を身近に感じられるのかもしれない。
  自分から離れて行こうとする妻の心を総て、病や嫉妬のせいにしたい。無論それは由有子への愛から来ているんだろうが、その愛が今や昔と立場が逆転して、由有子にとって鎖の役割をしているのかもしれない。
  私にはあのような由有子は見覚えがなくもない。高校の頃、両親や片桐のオバチャンに音大入学を熱望されて、真っ向から反抗はしなかったものの、結構音大に行こうとしている人々をうっとおしがっていたものだ。今の由有子の、あのひょうひょうとした表情には、あの時の空気を感じる。
  当時、結構簡単に由有子はそうした運命を振りほどいたが、今はそうは行かない。由有子は関沼先生を捨てられはしないだろう。先生はもう四十才代を終えようとしている。先生にとっては、由有子のいない人生は考えられない。
  私は急にこの時、おかしな事を考えてしまった。
  もし、先生が後、十年か二十年後に亡くなったとしたら……(目の前に本人がいるのに失礼な想像だが)そうしたら、由有子はどうなるだろう。二十年後、由有子はまだ五十だ。そしてそのころ、もしアメリカに一人取り残されていたら……。
  しかし、こういうのを悲観とか取り越し苦労というのだろう。私も疲れていた。この時は、こんな取り留めのない事を考えてしまったが、すぐにバカな妄想だと思えた。
  由有子が結婚する時、先生ほど由有子にとって頼もしい存在は他にはないと思ったものだ。それは、先生が年が離れて上だったからこそ思ったのだ。その先生が年を取った時、由有子がまだ若いとしても、それは当たり前ではないか。使うだけ使ったら、後はいらない……由有子はそんな事を考える人間では決してない。
  私は、先生が由有子を心配して、次々と繰り出す話を聞きながら、いろんな事を考えてしまったが、結局こう言わざるを得ない。
「由有子が落ち着いたら、先生も安心してあちらに行けるんですけどねえ」
「そうなんだ。それに、そろそろ向こうでの仕事も一段落ついてきて、こっちに帰ってきてもいいと思っていた所だよ」
  前から思ってたのだが、大学の仕事というのは、結構融通の聞くものなんだなあ、と思った。先生は、由有子の両親の思わぬ反対を受け、まだ独身だった由有子の渡米を諦めて、日本で出来る仕事を由有子に置いて行こうとしていたし、インディアナでも由有子のために手伝ってもらえる仕事を用意したりしていた。今も由有子のためにカリフォルニアに戻って来ようとしている。
  思えば先生は、由有子のために随分と良くしてくれている。しかし、ひょっとしたら雄一の死は、先生にとってこそこたえているのではないだろうか。そして、親が子のために何でもしてやりたいと思う心が、今、先生をして由有子一人に注がれているのかもしれない。しかし、由有子を病人に仕立てた揚げ句、彼女を溺愛してみた所で、由有子にとっては苦痛にしかならないのではないだろうか。
  先生もそれを薄々わかっている。少なくてもいつまでも続く事ではないと思っている。それで、由有子に二人目の子供を生ませようとしている。そうすれば由有子が先生の手を離れる事はないと思っている。……とまで言うのは酷かもしれないが、そんな気がしなくもなかったのは事実だ。
 
 
 

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