「光の情景」
作/こたつむり


〈第8章〉4
 
  アメリカの家というと、日本のウサギ小屋と比べてとにかくドデカイ家が多いもの、と思っていたんだが、意外とどれも小じんまりとかわいい感じで、中にはデッカイのもあるが、家自体より、どれも庭が広くて奥行きがある。ヤシの木なんかがあったりして、南国だなあ……などと短絡的に私は思ったものだ。そのムードが空港に着いてメアリーに会ったとたん、由有子だけに関心が走っていた私の緊張感をやや緩めてくれた。
  ひょっとしたら、メアリーも、
「まあ、そんなに焦らずに、とにかく、今の由有子のいる環境を見ていって下さいよ」
  という気持ちがあったのかな、と初めて思い、ちょっと恥ずかしくなった。
  メアリーは関沼家まで行ってくれた。由有子はとうに退院している。これは、あの後電話で確認済みだった。
「ようこそ、待ってましたよ」
  と初めに先生が出迎えてくれた。
「こんにちは」
「由有子は今、買い物に行っている」
  と言って、先生はガレージを指さした。車がない。車で行ったのだろう。
「先生、お元気ですか?」
「うん。毎日暇だよ」
「由有子は?」
「二人とも暇だ」
  と言って先生は笑った。でも、めっきり老け込んでいる。前会ってから一年と経っていないのに。
「先生、あちらのお仕事は?」
「うん、今は休業中だ。でも心配いらない。もしかしたら辞めるかもしれないけどね、大学の方は」
「由有子のために?」
「違うよ。本を書こうと思ってる。ちょうどいいタイミングだったんだ」
  無理してるな、と、ちょっと思ったが、私にはそういう先生の思いやりはホッとするものだった。
「でも、由有子はわかってくれない」
  と言って先生は家に入ると、ダイニングのテーブルにひじをつき、溜息をついた。
「由有子は僕をインディアナに帰したがるんだ。追い出されそうでね」
  先生は頼りなく笑った。
「でも、由有子は先生のお仕事の事を心配して……」
「そうなんだけど……。あなたからも由有子に言ってほしい」
「何て?」
「僕を追い出さないでほしいってね」
  と言って、ようやく先生は快活な笑い声を発した。
  由有子が戻って来ると、彼女は私に手を広げて近付いて来て私の体を抱いた。
「きゃあ、アメリカ人みたいね」
  私は笑った。
「うふふ。でも違うわ。ひさとこうしたかったの」
  由有子はいつまでも私の体を抱いていた。私も彼女の髪を撫でた。そうしているうちに涙が出て来た。
「ひさ……泣かないで」
「ごめん」
  私は彼女の体から離れると、すぐに涙を拭ってカリフォルニアの感想を述べた。
「本当は、ひさのためにパーティを開こうと思ったんだけど……」
「わあ、本当にアメリカに来たって感じだわ」
「そんな大袈裟なもんじゃないのよ。すぐに集まって騒ぐだけで。でも私、ひさを独り占めしたいと思ってやめたの。スーパーで知り合いの奥さんに、そんなに買い込んで誰か来るのって聞かれたのよ。その人、呼んでもらいたいって顔なの。それで私、ええ、ボーイフレンドが来るのって言ったの」
  と言って由有子はキャッと笑った。メアリーも笑っている。メアリーは笑い上戸だ。
「ひさ、ゆっくりしていってね」
  由有子は早速夕飯の支度にかかった。メアリーも手伝っている。でも途中で、
「私はそろそろ帰るわ。由有子は恋人と過ごすんでしょう?」
  と笑って言った。
「メアリーは特別よ。一緒に食べていって……って言いたい所だけど、旦那さんが待ってるでしょう?」
  由有子はアボガドとオレンジをメアリーに渡した。
「これはお礼よ。今日は本当にありがとう」
  メアリーは帰った。
  夕飯が終わると先生は気をきかせて書斎に引き上げた。
「この間はイキナリおかしな電話をしてごめんなさい。こんな所まで来てもらっちゃって」
  由有子は私にそう言って静かに頭を下げた。
「いいのよ。私、ここに来てみたかったんだもの」
「でも、お仕事があるでしょう?」
「いいのよ。心配しないで」
「もう少し時間があったら、あっちこっち案内してあげたかったのに。本当に私のためだけに呼び寄せちゃって」
「本当にそういう事は言いっこなしよ。今まで由有子にばかり日本に来させてたんだもの」
「だって日本は私の故郷ですもの。私が日本に帰るのは当たり前だわ」
  由有子は少し遠い目をしてそう言った。由有子はやっぱり日本に帰りたいんだな、と私は思った。
「あ、そうそう、故郷と言えば……」
  私はバッグから封筒を取り出した。
「あの後、私と理恵で行ったのよ。松代に」
「ええー! 本当?」
  由有子は私から封筒を受け取り、中から数枚の写真を取り出して、長い間懐かしげに見入ったり、昔ここはこうだった、などと説明してくれたりした後で、
「でも変わってないわ」
  とつぶやいた。この時、初めてフワリとした柔らかみのある由有子の笑顔を見たと思った。
  初めてこの家で由有子に会った時から、彼女の表情には、どこか乾いたものを感じていた。しかしそれは、悲しみに打ちひしがれているとか、人生に疲れてしまったためといったような暗さはなく、風にでも吹かれているような、サラッとした感じがあった。
  私にはそんな由有子が意外だったし、不思議でもあった。由有子にとって、雄一という愛児の死は、おそらく奈落の底に突き落とされるほど悲痛な思いをともなう出来事であったに違いない。だから私は初め、由有子が、私のため、関沼先生や生活のために、無理に明るく振る舞っているのではないかと思っていたのだが、今日の彼女のどこを探しても、そうした不自然さは感じなかった。
  彼女からは不思議な力が感じられた。それは、すぐに底をついてしまうような小さなものではなく、悪く言えば図太さを伴う力だ。そしてもっと突き詰めた見方をすれば、彼女の目は、何かを突き放したような……決して投げているという意味ではなく、どこか全く別の世界から、現在の自分を見ているのような、そんな、落ち着き払った冷静さが住み着いているのだ。
  一体、この無気味なほどの由有子の落ち着き方は何なのだろう。この家に来たばかりの時、関沼先生の話しに表れた由有子の印象からは、失われた我が子のため、愛する夫のため、自分自身をさいなむ悲痛な、そして献身的な姿が想像された。それが、今日実際に会った由有子には、どこか雄一も先生も見ていないような、静かに違う所を見詰めているような所がある。とにかく、悲劇のヒロインとか悲しい母という面影はどこにもない。
  電話で救いを求めてきた由有子とも、あまりにも掛け離れていた。そして電話で突然私に呼び掛けた時の自分の行為を、これほど素直に……というよりアッサリと詫び、それでいて、それは過去の出来事と割り切っているようにも見える。
  あるいはこれは病気によるものなのかもしれない。メアリーは、由有子がノイローゼだと言っていたが、おそらくそれは、メアリー自身が見てそう思ったのではなく、関沼先生の話しからそう解釈したのだろう。あれほど仲の良い親友のメアリーが、由有子の入院の原因を知らないというのも妙な事だった。
  こうして傍から見ていると、普通と全く変わらない、もしくは普通以上に落ち着き払っている由有子だが、どこか心が病んでいるから、こうも印象のズレを感じるのかもしれない。私はそう思えてきた。
  由有子はそうした自分の病気に気付いていないのかもしれない。少なくとも今の由有子からは、その自覚が伝わって来ない。また自覚していたとしても、病気に対する不安や心配、それを克服しようという意志、あるいはそれから回避しようとする焦りすら、彼女からは全く感じられない。
  このような由有子を見ていると、私は何のためにこんな遠い所まで来たんだろう、という気にならなくもない。
  しかし私は、全く腹もたたなかったし、肩透かしを食ったような気もしなかった。元々は、少しでも由有子の困難を克服したい、元気を取り戻してほしい、という気持ちで来たのだが、それは意外な形で達成されていた。日本から由有子に対して背負ってきた肩の荷は、意外にも由有子自身の姿によって取り払われ、私はすっかり解放されてしまったかのようだった。
 
 
 

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