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「光の情景」
作/こたつむり
〈第8章〉1p
私は何度も由有子に手紙を書いては、あるものは彼女に送り、あるものは捨てた。しかし彼女からは返事は来なかった。
今までこんな事は一度もなかった。彼女の悲しみの大きさを改めて思い知らされたようで、やりきれなかった。
気掛かりなのは、雄一の病気が、由有子が我が子と離れて日本で旅行をしている間に起こった事に関してである。この事を由有子がどんなに後悔しているか、どんなに彼女自身を責めているか。これを思うと、旅行を計画した自分まで呪わしく思えて来た。もちろん、母親がそばにいてもどうにもならなかったに相違ないのだが、由有子はそれをそんな簡単には割り切れないだろう。
ようやく彼女から便りが来たのは、十月に入ってからだった。今まで便りをしなかった事への詫び、自分は元気だから心配しないでほしい、旅行を途中で放り投げて申し訳なかった、などと形良くまとめられ、最後に、
「関沼はカリフォルニアに帰って来てくれました。仕事は途中のままになってしまい、私の方こそ、彼のいるインディアナに行くべきなのですが、私にはどうしてもそれが出来ません。この土地、この家には、まだ雄一がいるような気がして、離れる事ができません。あの人も私の気の済むようにした方がいいと言って、ここに留まってくれています。今はもう、夫の優しさだけが救いです」
と、切々と書き綴っていた。私は彼女の手紙を胸に抱き締めて、涙を止める事ができなくなった。夫の用田が、
「電話をしてあげた方がいいよ。きっと待ってると思うよ」
と私を励ましてくれるので、翌日電話をした。
「私、そっちに行こうと思うんだけど」
と私が言い出すと、由有子は、
「今は……。ごめなんさい。今はだめよ。今ひさに会ったら、日本に帰って、もう二度とここには来なくなってしまうかもしれないわ。もう少し待って」
と言った。途中で関沼先生が代わった。
「今は、由有子もどうしようもない事故だったと、やっと思い始めてくれています。大丈夫、彼女は強い人だから。心配しないで下さい」
と、しかし、由有子よりむしろ先生の方が声の調子が低い。
先生にとっても年がいってやっと授かった子供だったのだ。随分と辛いだろうに、その言葉は心底由有子を気遣う思いやりに溢れていた。
「世の中には子供がいる事で結ばれている夫婦もあるかもしれないけど、僕は返って今、心の底から由有子を愛している事に気付いたと思う。雄一にはかわいそうな事をしたと思うけど、あの子の死を僕は無駄にしたくないと思っています。あの子がいなくなって、ますます僕には彼女が必要だと思っているから」
と寂しそうではあるが、先生はそのように決意を述べた。
理恵も旅行の時の写真ができたと言って見せにきたんだが、由有子の話しを聞くと、
「そうか」
と言って、肩を落とした。
しかし元々理恵には他人事だ。それ以上聞きもしなかったし、気にとめてる様子もまるでない。合作の話しをし出したりして、私は返ってホッとした。
合作がようやく雑誌に載ったのは十二月の事だ。
そして発表の前に、君子は初めての赤ん坊を産んだ。女の児だった。
「産まれたよ」
と電話の向こうで、いかにもニマニマしてそうな入沢の声。
「おめでとう。名前は?」
「うん。女の子だからな。奈々にしようと思う」
「ナナ? ナナコじゃなくて?」
「うん。初めはそうしようと思ったんだけど、君子が『子』のつく名前は嫌だって言うんだよな。自分はついてるくせに」
「ああ、でもわかるわ。私も女の子が産まれたら、『ヨ』のつく名前は嫌だなあ。でもどうしてナナなの?」
「うん。十二月七日生まれだから」
「やだ! 産まれてから考えたでしょう?」
「男が産まれるハズだったんだよ」
「入沢君だけね。勝手だなあ、男ってのは」
「でもいい名前だろう?」
「そうね。かわいいわ」
私はこの話しを理恵にもした。理恵は、
「ふーん」
といかにも無関心そうだ。
「ねえ、あんた結婚しないの?」
と私は余計なお世話をちょっと言った。
「したくねえなあ」
と理恵は言う。
「でも、しろしろって回りがうるさくってよー」
と困った顔をする。
「当たり前よ。あんたいくつよ」
「もうすぐ二十九。三十も遠くないんだよなあ」
「どうすんのよ」
「それがさあ……」
と理恵は頬杖を付いてから、チラッと私を見た。
「実は、これは絶対に内緒なんだけどさあ、あんたにだけ言っとく」
と上目づかいで私を見る。
「なんなの?」
「私ねえ、実はつきあってる人がいるの」
「へえー。じゃあ結婚したら?」
「それがあ、……誰だと思う?」
「太一君?」
と言って、私はクスッと笑った。
「あれは、どうもあの一件以来気まずくて」
この事はもう聞いている。ザマーミロ、と思ったもんだが、あれ以来、理恵の動静は結構おとなしい。ちょっとかわいそうになった。
「じゃあ誰なの? 人に言えないような人?」
「うん。入沢センセ」
「えっ!」
私は咄嗟に理恵の襟首をつかんだ。
「このバカ! なんて事を!」
「タンマ、タンマ、ジャストモーメンプリーズ」
と、理恵は目玉をヒョイと上げて、おどけながら言った。
「つきあってるだけよ。つきあってるだけ!」
「十分に犯罪よ。入沢君も入沢君だわ! 奥さんが身重の時になんていうバカな」
「ちょっと落ち着いてよ。何想像してんだお前はー。あのセンセはそんなにスケベじゃないわよ」
「なんて事言うのよ」
「だってアンタが心配してのは、どうせそれでしょう?」
「じゃあ、それは大丈夫だって言うの?」
「いやあ、わかんねえ。もう自分のココロが押えられなくってえ」
「お前、ふざけんのもいい加減にしないと……」
「まあ、そんなに力まないで、お茶でも飲んで落ち着いたらどうかね」
「とにかく、あの人には奥さんがいるのよ。前とは違うの」
「わかってるって。だから奥さんにはナイショなのよ」
私は絶句した。内緒にしとけばいいってもんじゃないだろう。
「なんで私に言うのよ。なんで私に」
「だってフェアじゃないもん。あんたと私は親友だから」
「悪友だわよ。なんでフェアなのよ。そんな事で又、……ああ、又しても私のアタマを掻き交ぜてくれて、この女は……」
「だって、あんただって入沢センセー好きでしょう?」
「何バカな事言ってんのよ。彼には奥さんが……」
「いなかったら、どおだあ?」
「いなかったら?」
私はウーンと考えた。
「バカ言わないでよ。私にもちゃんと夫が……」
「いなかったら、どおだあ?」
「いなかったら?」
又、私はウーンと考えた。
「そんな事今はもう思いつかないわ。だっているんだもん」
「幸せな女ね」
理恵は溜息をついた。