「光の情景」
作/こたつむり


〈第7章〉6
 
  考えてみれば片桐のオバチャンは由有子にとって身内だし、彼女も高校の頃はこの家に住んでいた。
「ごめんね、でも入院した所がひさの家の近くだったし、ここはうち(実家)からも遠いし……」
  由有子は言い訳した。
「今度は泊まっていってね」
「ええっと、それが……」
  由有子はちょっと私の方に視線を移してから、
「あのね、おばさん、私信州に行くの」
「あらまあ……」
  オバチャンはちょっとがっかりしたようだったが、すぐにどんな所に行く予定なのか聞いた。
「それが私も一緒なんです」
  と私が言うと、オバチャンは、
「あらそうなの。まあ由有子はたまにしか帰って来ないくせに、こんなに良くしてくれる友達がいて幸せよ」
  と誉めてくれた。旅行の計画を由有子や入沢に話すと、
「あの漫画家さんも来るの? わあ……面白そう」
  由有子はすぐに同意してくれた。
  理恵がついて来るについては、私にはまだ不安が多い。由有子は知らないが、理恵と入沢は以前いろいろ問題を起こしている。
  もっとも今となると、あれは鷹子の思い込みが巻き起こしただけの事件、と思えなくもない。理恵は入沢と君子の結婚にも無関心だったし、君子にもあのようにシャアシャアと会っている。
  それ以前の問題として、由有子は理恵に一度しか会ってないので、旅行中、会話がぎこちなくならないかと少々心配でもあった。だから、由有子が気さくに受け入れてくれたのは助かった。
  逆に入沢の方が難色を示した。むろんこの男にも、理恵との過去に後ろめたさを感じる向きはないので、もっぱら、
「俺、あの人と由有子の見分けがつくかなあ……」
  というのが、もっぱら彼の心配事である。それを聞き付けた関沼先生が、
「その人って由有子に似てるの?」
  と聞いてきた。私がちょっと説明すると、先生は眉間に皺を寄せ、
「このまま由有子を日本に置いていって、代わりにその人がアメリカに来ても、見分けがつかないで一緒に生活し始めるようでは困る」
  と、大真面目に言ったので、その場は大爆笑した。
  その後に続いた先生の話は、相変わらず面白かった。クローン人間が今やSF上の話しだけではなくなった、とか、双子が心理学上も大いに研究価値のある対象だ、などと、素人(中でも特に教養のない私)でも興味を引くような話題に、巧みに現在の研究課題を取り混ぜて話してくれた。
  私もつい、
「私、今度、双子もんのネタで漫画書こうかなあ。同じ顔を書けばいいから楽かもしれないわ」
  などと吹いた。内心、理恵と由有子という、顔の似通った、それでいて性格のまるで違う二人が一緒に旅行してしゃべったりしている所を観察できるなんて、思えばネタが膨らむ絶好の好機かな、とすでに心配の方は吹き飛んでいた。

  ところが、実際に二人を並べると、だいぶ違う。背は理恵の方が高いし、化粧が違うせいかもしれないが、顔付きも違う。理恵は目が大きくクッキリして、眉毛も太いが、由有子は顔全体が小さいわりにふっくらとしていて、おでこが広い。あごが由有子だけ小さく尖っている。
「こうして見ると違うなあ」
  と、入沢が中央本線の列車の中でしみじみと言った。
「どうして似てると思ったんだろう」
  入沢は今にして、つくづく不思議だ、という顔をした。
「表情よ」
  と私も入沢の隣に座り、二人を見比べて言った。
「顔じゃなくて表情が似てるんだわ。ちょっとした時の」
  と、私は言った。由有子は見比べられてコロコロ笑っているだけだが、理恵の方は、
「ちょっとジッとしてみて」
  と私や入沢に言われるたびに、キリッと真面目な顔付きをしてみせてくれた。
  しかし最後に理恵は、
「この人の方が美人なのよ」
  と由有子を指さしてはっきり言った。
  これには私も驚いた。私は、理恵がお世辞にも女性の美しさを認めたり誉めたりするのを初めて聞いた。しかも自分より他の女の方が美人だなどとは、思っても言わない女なのだ。だいたい並べられてどうこう言われるのなんて、受け付けない奴だと思ってたので、真面目に相手をしてくれたのさえ驚きである。
「顔付きもこの人の方が上品だし、育ちと人柄の良さが顔に現れているんだわ」
  と続けて由有子を誉めたので、私は重ねて驚き、由有子は決まりの悪いような顔になって、
「そんな事を言われたのは初めてだわ」
  と言った。理恵は、
「ウソウソ。すっごくモテるのよ。本当は」
  と言って由有子の肩を軽く指で押した。
「でも、もう三才の子供がいるのよ。この中では一番のオバサンだわ。違うのはそのせいなのよ」
  由有子は押された反対の方向に首を傾げながら、いかにもくたびれたオバサンのような溜息をついて笑った。こんな風にまずまず良いムードで始まった。
  旅行中、理恵はよく、
「私、先生のファンだもーん」
  と言っては、入沢の腕に手を巻き付けて見せたが、私には単なるご愛嬌に見えて、あんまりくどくど説教する気にもなれず、笑ってやっていた。
  気になった事は、入沢に対する態度ではない。私は、理恵が由有子をじっと見詰めている場面によく遭遇した。由有子が理恵を振り返ったり、私や入沢が由有子や理恵に話し掛けたりすると、フッと瞑想からでも覚めたような顔をする。
  そこからは、敵意らしいものだけは感じない。何か懐かしいものでも見るような、見ようによっては見とれているような目付きをする。私はそんな理恵が気になった。
「由有子に対し、入沢をめぐっての嫉妬している」
  という心配だけはせずに済んだが、途中から逆に何やら、
「この女は由有子に気がありはすまいか」
  という心配にかられた。
  理恵は自由恋愛主義に見えるが、同性愛好者ではない。漫画の世界によくありがちなこの手の趣味は、意外と書き手の側にはない事が多い。あくまでも創作上の倒錯の感覚に他ならない。少なくても私の身の回りにいる漫画家にはその点、結構ノーマルな人が多いし、理恵も口先では危ない発言をよくするが、実際はダントツに男の方が好きだ。……と思う。
  しかし理恵が由有子を見詰める目には、何か必要以上の執着を覚えた。
  我々は、松本に着いてから昼食を取るために小さなレストランに入ったのだが、ふと見るとピアノが置いてある。昼時を過ぎていたせいか客も少ない。……というよりいない。貸し切りのような贅沢な気分も手伝って、みんなで無理やり由有子に弾かせたのだが、その時の理恵の表情も尋常ではなかった。
「ここで?」
  当初、由有子はさすがに弾くのをためらい、なかなか席を立たなかった。
  ところがそのうち、お店の人がいなくなってしまった。頼んだ料理も遅いので、入沢が、
「魚を釣りに行ってるんじゃないか?」
  と、こういう時にはよく出る冗談を言ったりして、みんなで大笑いしたが、笑い終わるといきなりシーンとした。流れていたBGMがストップしてしまったのだ。うーん、なんなんだろう。怖いではないか。
「後になってさあ、実はここにはこんな店はなかった、とかわかったら怖いよねえ。ほら、よくあるじゃない? そういう話し」
  と私が言うと、
「やめてくれよ」
  入沢はその手の話しが苦手だ。
「こりゃあ、やっぱ弾いてもらうっきゃないすね」
  理恵は由有子に催促する。由有子も、理恵とはほとんど初対面だし、こういうズケズケとした態度に慣れてないものだから、急かされてピアノの前に座らされてしまった。
  心の準備もないままに轢きはじめた由有子は、二回だけトチッた。すぐに弾き直したが、弾き終わると、
「だめねえ。全然弾けなくなったわ」
  と、困ったように笑って誤魔化そうとした。
  しかし、理恵の表情は由有子の演奏を聞いている時の真面目な顔付きと変わらない。由有子もそれに気がついた。そして由有子と目があってから初めて理恵はハッとしたように、
「ああ、でも、とても上手だったわ。他にも何か弾いてほしいなあ」
  と言った。由有子はもう弾かない、と言わんばかりにピアノから離れようとしたが、理恵は威圧するようにピアノのそばに行って、椅子から降りようとする由有子の出口を防いでしまった。
「何を弾いたらいいのかしら」
  と由有子は渋々座り直して理恵を振り仰いだ。
「そおだなあー。ショパンは弾ける?」
「うーん。弾けるのもあるけど、今は楽譜もないし……簡単なのでいいかしら」
「じゃあ、お願い」
  由有子はちょっと上を見て、何を弾こうか考えた。そして「子犬のワルツ」を弾き始めた。さすがに私もこれはよく知っている。
  ものすごく早い。私も由有子がこんなに凄腕だったかと驚いた。
 

 

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