「光の情景」
作/こたつむり


〈第7章〉5
 
  初めに一人キャンセル、その次にもう一人(と、子供一人も)キャンセル、それから九月に日にち変更、さらに入沢に合わせてもう一度日にちの変更と二人分追加。
  なんでもっと話が煮詰まってから連絡しなかったんだろう。こうちょくちょく変更されたんじゃ向こうもかなわないだろう。これで終わりにしてやらんといけないな……、ちょうどそう思っていた時である。突然、君子がキャンセルを申し入れてきた。
「できたら健さんの分だけって事にできないでしょうか」
  と言う。考えてみれば、君子にとっては全く他人の中に混ざっての旅行なのだ。しかも妊娠中ではないか。私は無理もないと反省し、
「そんなわけにはいかないわ。私も考えが足らなかったわ。じゃあ、私と彼女(由有子)だけで行くから、入沢君にはよろしく伝えて貰える?」
  と言った。又変更で、面倒と言えば面倒だろうが、人数を減らす分にはもそんなに苦労はない、と宿の人にも言われていた。確かに後から増やすと言われても部屋が取れないが、減らす分にはたやすいのだろう。
  ところが君子は慌てて、
「違うの。違うんです。実はね、私そのころ実家に帰るんですよ」
「あ、そろそろ、お産の用意なのかな?」
  はっきり言って、私は出産というものを全然知らない。
「いいえー。まだまだ……。弟がね、相談したい事があるから帰ってきてくれって言うんですよー。生意気な奴なんです。あんたが来ればいいでしょう? って言ってやったのに、
『じゃあ、いいよ』
  ってこれなんですよー。健さんも、
『行ってあげればいいじゃないか』
  って言うんで、あの人(入沢)はどっちにしても留守番してもらうんです。それに久世さんも由有子さんも、平日に行こうと思えば行ける筈だったのを、わざわざあの人のために休みを合わせて貰ったんですもの。だいたい私が行きたいなんて言っておいて、私の方こそバカな弟のためにキャンセルになっちゃって、本当にすいません」
  と言うわけなのだ。
  しかし、それにしても、身重の女房を実家に預けて旦那だけ連れ回すわけにもいかないではないか。だいたい彼女が実家に帰るのはいつでもいいわけで、何も入沢がせっかく休暇を取っている時にする必要はない。しかし君子は、その方が好都合なのだと主張する。
「だって私が留守の間、仕事して帰ってきて自炊するのじゃ、なんだか悪いし、健さんが旅行に行ってるんだと思えば、私も家にいる必要ないわけだし、自分の亭主の面倒を久世さんたちに押し付けちゃうのは申し訳ないんだけどー」
  と言うのだが、それは人のいい君子の見方で、世間では、女房のいる男にちょっかい出してるとしか言わないだろう。せめて、入沢の男友達でも来てくれれば、ちょっとは見てくれもいいんだが……と思って、しばらくの間、宿には四人の予約のままにしておいた。
  ところで、この君子との会話は私の家でされていた。電話で断りゃ済むことなのに、君子は身重の体で律義にもわざわざ私の家まで断りの挨拶に出向いたのだ。突然のキャンセルを余程悪いと思ったのだろう。
  もっとも君子はよく遊びに来ている。私が泊まっていったら? と誘うと遠慮なく泊まってもいく。入沢が自炊をするのなんか本当はなんとも思ってないはずだ。だいたい元々入沢の一人暮しは結構長かったんで、彼も自分で何でもできる。そういう事には頓着しない夫婦だと思う。
  君子が恐れているのは実家の母親の説教だ。彼女の実家はわりと躾が厳しい。要するに、旦那を放って遊び歩いているという事が実家にバレなきゃいいというわけだ。
  正直言って、私はこの人のいい入沢の女房がかわいくて仕方がない。のんびりしていて穏やかで、何事もマイペースで、他人が自分の家に急に来ようと部屋が散らかっていようと、いっこうに慌てない。
  ところで、そこへ理恵が来た。もっとも来る予定だった。この所、私と理恵は合作漫画を書く予定でいた。例の同人誌は結構順調に活動できていて、私も仕事よりよほどこっちの方にうつつを抜かしている。それに載せようという事で理恵と構想を練っていた。遊びだ。初めっから遊びのつもりだったのだが、夫が、
「それ、本当に売れるんじゃない? 掛け合ってやるから、商業誌に載せなよ」
  と言い始めたのだ。単発もので一作載せて、うまくいったら合作連載しろ……と言うのだ。
「原稿料はどうなるのよ」
  と私は当初反対だった。しかし、一作だけなら原稿料も折半でいこうという事になり、取り合えずその構想を今度は真面目に練らなきゃならなくなった。
「キャンセルしなくていいわよ。私が行くわ」
  と、理恵はこの旅行話しに口をはさんだ。
「あんたは関係ないの」
  と、私ははねつけたが、君子が、
「本当ですか? そうして貰えませんか? お願いします」
  と渡りに船とばかりに、理恵と私に頭を下げる。
「いや、コイツはいいんですよ」
  と私は反対した。君子は、私と共同の仕事をしてるぐらいだから、信用のおける友達という具合に見たのかもしれないが、彼女は理恵という女の性格を全くわかってない。
  私は理恵が加わった図など、思い浮かべるだけで頭が痛くなるというのに、君子の頭にはせっかく取れた旅館にキャンセルを入れさせるのは悪い、という思考しかない。
「そんな事言わないで、せっかくそう言って下さる方がいるんだから、どうかこの通りですから」
  と君子はお願いするし、理恵は理恵で、
「そうだよ。私もその頃オフだし、あの辺なら私も結構詳しいからね。あんたなんてバスの時刻表も調べないでみんなを待たせた揚げ句、結局タクシーを拾ったりさせるんだからさあ」
  と、つけあがる。
  しかしそれを言われると私も言い返せない。実はこれの一年前、例の君子が旅行セットをわざわざ駅のホームまでもって来てくれた、あの信州旅行の時、私は、今理恵の言った通りの事で、道連れのみんなに迷惑をかけた。元々、今回組んでる旅行の行き先も、去年行ったのと全く同じ場所で、実の所、去年は理恵が場所を選定し、スゴイ穴場だと知れたのである。今年のはそのパクリだ。理恵の話しに出て来たタクシーを拾う案も理恵が、
「こんな所で来もしないバスなんか待ってるより、こいつはタクシーしかないっすよ。タクシータクシー」
  と言って、近くの寺にひょいと上がりこんで電話を借りてタクシーを呼んだのだ。私が、
「タクシーなんて高いから」
  と言うと理恵は、
「バカだねーおまえは。こういう所ってのはバスも距離で料金決めるから結構かかるんだぜ。しかもバスってのは一人づつ金を取るけど、タクシーなら、後で折半すりゃあいいからだいぶ安くなるハズだよ」
  と反論し、私から地図を取って見ながら、
「うん、この程度の距離なら大丈夫。タクシーで割る四すりゃあ(この時も四人で行ったのだ)こっちの方が安いかもよ」
  と言ってすぐにタクシーを呼んだ。さすがに旅慣れた奴にはかなわない。都内の高いタクシーと、どこまで乗っても同じ料金のバスしか知らない私は、舌を巻いてしまった。
  はっきり言って、理恵がついてくるというのは、少し心強かったりもする。私など、時刻表の見方もよくわからないのだ。入沢が来てくれるからいいや、という安易な考えもあった。
  理恵は旅行代理店で一か月前に売り出す列車の指定券を取り、当地の町役場に電話してバス会社の電話番号を聞き出し、バス会社から時刻表を取り寄せ、観光課からは当地の穴場を聞き出してくれた揚げ句パンフレットまで取り寄せてくれた。この手際の良さに私は頭が上がらなくなってしまい、ついにこの女も連れて行く事になってしまった。
  私は発想の転換を余儀なくされた。しかし考えようによっては、この方がいいかもしれない。入沢夫婦と私と由有子の四人だと、君子の立場を考えるなら、私と由有子が二人で一部屋、入沢夫婦に一部屋という予約になり、自然と旅行中も入沢と君子でワンセット、私と由有子がツーショットという出来具合になるが、君子が抜け、理恵が入れば、私と理恵が漫才コンビ、入沢と由有子は親戚同志といったノリになり、入沢と由有子も話しがしやすくなる。君子には悪いが、たまにしか日本に来れない由有子を思えば、むしろこの方がいい。
  君子は最後に、
「ああ、良かった。これでお母さんに怒られないで済む」
  と言ってホッとした。
  強いて問題があるとすれば、女三人に囲まれて旅行につきあわされる、入沢の身の上の哀れである。彼は結局最後まで、この旅行プランに口をはさむ権利も余裕も持たなかった。彼は相変わらず忙しい。成り行き上、彼の預かり知らぬ所で計画は実行に移されていったわけだ。彼は滅多に取れない休暇の使途を、他人に勝手にもて遊ばれている。我々女どもの、なんという強引さだろう。
  由有子とは片桐家で再び会った。入沢も関沼先生も来ていた。
「由有子、あの時うちに泊まってくれれば良かったのに」
  と片桐のオバチャンはむし返す。
「この前?」
  オバチャンの言うのは前回の帰国の時の事だ。由有子は風邪をひいて私の家に宿泊した。

 
 

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