「光の情景」
作/こたつむり


〈第7章〉4
 
  君子に子供ができたのを知ったのは、その秋より半年後の春も終わり頃だった。
  入沢にとっても初めての子供だ。出産の予定は十一月の終わりか十二月の始め頃という事だった。
  入沢の再婚より早く結婚したのに、ついに私は子供ができぬまま三十代に突入してしまった。しかし結婚したのが二十八も近い頃だったので、ちょっともう無理かな、という気もした。それに私ははっきり言って子供はあんまり好きじゃない。夫も夫で私を気遣ってくれてか、
「子供がいたら漫画なんて書けなくなっちゃうじゃないの」
  と言ってくれていたし、まあ出来ちゃったら産んでもいいや、と言っているうちに三十になってしまった。母の言った通りになったわけだが、母は母で、
「まあ、結婚できただけでも、あんたにしちゃ上出来じゃない?」
  などと言ってくれている。そう思うより他にない。
  由有子が帰国したのは八月だった。この年はいつにない冷夏で、七月の終わり頃から八月の半ばにかけては、時々暑くなる日もあったが、由有子の帰国した日は、膚寒いほどだった。
「涼しいわね。向こうは四十度よ」
  と由有子は大袈裟な手振りをしながら言った。
  雄一はもう三才になる。大きくなった。ちょっと人見知りをするが、慣れるとなんでも壊すと言う活発ぶりを発揮する。
「大変よ。もうだっこもできないわ。重くて重くて……」
  と由有子は細腕を振りながらそう言った。確かにスゴイ腕白で、母親が振り回されているようにも見える。
「そろそろ二人目かしら」
  と私が言うと、
「とんでもない。この子一人で精一杯よ」
  と慌てて言ったくせに、
「でも、今度は女の子がいいなあ」
  などと由有子は言っている。
  良かった。幸せそうじゃないか……。
  今度の帰国は関沼先生も一緒だ。というより、先生の方が十日ばかり先に来ていた。子供がいるので由有子を連れ回してあっちこっちに行けないので、先に一人で来て用を済ませ、由有子と雄一が二人で後から来たら、親子三人で日本で過ごす事になっている。そのスケジュールには夫婦の気持ちが相和しているものを感じられ、私には満足だった。
  しかも、先生は八月が終わると帰ってしまうのだが、その時には由有子一人を日本に置いて行くという。先生が雄一を連れて帰り、妻には久し振りに独身気分に戻らせて、日本でゆっくり過ごさせてあげようという、先生の由有子に対する思いやりだ。
  九月の新学期が始まり、仕事も忙しくなるというのに、手のかかる子供の面倒を妻に代わって見るというのだ。なかなかできる事ではない。しかも、その好意が由有子の日本への気持ちを考えての事だと思うと、私は感激せずにはいられない。
  この時、雄一はカリフォルニアの幼稚園に入園させる事にほぼ決まっていた。子供が幼稚園に入れば、その分、手がかからなくはなるが、日本に帰って来るのがいつでも、というわけにはいかなくなる。先生は今のうちに由有子に息抜きさせてやりたいと思ったのかもしれない。
  カリフォルニアの幼稚園と聞いて、私としては、実は少しガッカリしなくもない。やはり日本に帰って来て子供を教育するのではないんだな、という思いにはなった。
  しかし先生は少なくても、カリフォルニアには戻って来る予定でいるようだ。そうなれば由有子夫婦が一緒に暮らす事になるには違いない。まずはそれだけでも喜ぶべきなのだろう。
「でも心配なのよね。だってあの子と離れた事ってないんですもの。前、病気してひさのうちに泊めてもらったでしょう? あの時も一日二日離れただけで、心配で心配で仕方なかったのに、今度は一週間もでしょう? やっぱり一緒に帰った方がいいと思うのよ」
  と由有子が言うと、妻を成田まで迎えに来た関沼先生は、
「休む時は休む。遊ぶ時は遊べばいいさ」
  と言って笑った。
  変わってない。ただ先生の頭には白髪が見えるようになった。もう四十八才なのだ。無理もない。
「そうよ、それにもう宿も取っちゃったのよ」
  と私も言った。
「宿って?」
「ほら、由有子、手紙に書いてきたじゃない? 日本に来たら温泉に行きたいって」
「ええー? 本当?」
  由有子はパタンと両手のひらを合わせた。
「そうよ。本当は先生と行けたらいいと思ったんだけど、ちょうどお盆の頃って、どこもいっぱいで取れなかったのよ」
  と私が言うと、雄一をどっこいしょと担ぎあげた先生が、
「夏休みは子連れが多いしね。せっかくこの腕白坊主から解放されるのに、子供のワイワイいる所にいったら、又、雄一の事が心配になるんじゃないか? 夏の間はすいてる東京で過ごして、九月に入ってから友達と温泉に行く。合理的だよ。彼女にお礼を言わなきゃなあ」
  と言って由有子に笑いかけた。私は再び夫婦親子の幸福な図に満足しながら、
「いいんですよ。前から由有子とどっかに旅行したかったんですから。こちらこそ由有子を取り上げてしまって」
  などと笑い返した。
  実はこの旅行の計画には、前段階で一悶着あった。一悶着あった後、さらに二転三転した。
  そもそもこの年の夏は、用田とどこかに行く予定でいたのだ。彼は大型連休を取るように会社に言われていた。
  この所世間では、日本人の働き過ぎが問題になっている。私なんか昔からそう思っていたので、ようやく世間も気付いたか、という思いがなくもない。私の夫の編集社でも休暇対策に乗り出したのだが、哀しいかな日本のサラリーマンってのは、会社に命令でもされないと自分からは休暇を取ろうとしないのか、この夏に関しては、会社から一人何日取れ、と言う、有り難いと言うか余計なお世話というか、とにかくそうしたお達しがあった。
  用田は正直言って、あんまり仕事好きな方ではないので、長期休暇万歳組みに属した。八月もお盆の頃というと、帰省する地方出身者に優先的に休みを譲らざるを得ない。その他の頃でも、子供の夏休みを利用して旅行したい、いわゆる家族持ちに休暇を譲らないといけない。用田は八月の終わりに休暇を取る事に決めていた。
  由有子のための温泉旅行は前から考えてはいたものの、私も仕事の合間をぬって行くわけなので、いっその事、二家族合同で旅行ってのはどうかな、と、オソルオソル夫に聞いた所、夫はそれも面白いからいいね、なんて言ってくれた。
  実は以前からこの事は、由有子と手紙などで、お互い実現したがっていた事だ。とかく家族ぐるみのつきあいと言うと、夫同志のつきあい上で出来上がってしまうものだが、たまには奥さん同志のつきあいでつながっている家族づきあいがあってもいいはずだ。本当は由有子と二人っきりでどっかに行きたかったが、由有子に子供がいる以上、そういうわけにも行くまいと思っていた。
  ところがある日、夫が、
「ゴメン、ダメになった」
  と言って謝ってきた。社員研修があるのだと言う。私はもうすでにこの頃宿の手配をしてしまっていた。
「なんなのよ、その頃休暇を取れって言ったのは、オタクの会社じゃないのよ」
  と私は思ったものだが、よく考えてみれば、その会社には夫ばかりでなく、私も仕事を貰っているわけで、こういう時には低姿勢にせざるを得ない。夫とは別個に行けばいいや、と思い直し、ここで迂闊にも宿泊のキャンセルをしてしまった。
  その後、由有子からの手紙で関沼先生が、その頃にはアメリカに帰ってしまう事、その折に雄一も連れて行く事などを知り、それなら無理に八月にする必要もないと思い、旅行は九月に入ってからに決め直した。
  すると、今度は入沢がその頃一日だけ休みを取ると聞いた。君子からである。
「わあ、信州に又行くんですかー? いいですねえ」
  と君子は羨ましそうに私に言った。これを聞いて、私はこの夫婦も誘おうかな、と思い付いたのだ。入沢は土日にくっつけて金曜日に休みを取る予定だったので、その三日間に日にちを決め直した。
「又、変更ですかあ?」
  と宿の受付の人は電話の向こうで渋い声を出した。
「もう変更はないでしょうね」
  などと念を押されて、私はこりゃあ悪い事をしたな……と、ちょっと思った。
 
 

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