「光の情景」
作/こたつむり


〈第6章〉6
 
「それには私も気付かなかったわ」
  呆れたのか、感心したのか、メアリーは驚いたように言った。
「そうなんですよ。日本人でもアメリカくんだりまで行こうなんていう人はそれなりに、体力に自信があるんだと思うんです。そんな元気のいい日本人ばかりじゃないんですよ。日本人ってのは胃が弱くて……」
  私がそう言うと、メアリーはゲラゲラ笑い出した。
「心理学上、多いに参考になる意見だわ」
  メアリーは笑っているが、笑い事じゃないと私は思った。由有子のこの異様な痩せ方は心身の過労が原因なんじゃないだろうか。
「日本人が自己主張しないのは、胃が弱いせいだと言うのは、どこかで聞いた事があるわ」
  メアリーはよほど私の屁理屈が気にいったのか、まだそんな事を言っている。しかし、笑い終わった後に、
「でもね、そういうのは後進国的な理論だと思うわ」
  と妙な事を言った。
「後進国?」
「誤解しないで下さい。原始的だとか野蛮だとか、そういった意味ではありません。又、日本が後進国だという意味でもありません。もしも優越者に奢りという心理が存在しているとしたら、その反対に劣等者には満ち足りていない故にある、自己不信感がある。弱い立場にある者には、それなりに言い分があるのよ。ところが、自分の心境が安定していないと、主張を焦るあまり時々、相手にはわからないに決まっている理屈を持ち出してしまうのよ。これは別に心理学の理論ではありません、よく女性運動などにありがちな傾向で、私が勝手にそう思っている事だから、学説とは関係ありません」
  ふーん。なるほど、メアリーの言う事にも一理あると私は思った。
  女性運動の事を持ち出したのは、大変うまい例えだと思う。女の人は立場が歴史的に弱かった。だから、女性の地位の向上を主張したりするわけなんだけど、そんな行動を起こすと、えてして男性から妨害される。
  その妨害が真っ向から理屈を通してのものならいいが、だいたい、男性にはちゃんとした理屈があって妨害しているわけでもない。なんとなく女性が社会に進出してくると、自分の居場所がなくなってしまうんじゃないか……なんていう不安から出ている。だから真っ向から抵抗なんかせずに、そんな運動を起こさない女性を贔屓したり、
「ああいう生意気な女にならない方が、かわいいよ」
  なーんて言うわけだ。すると、女性の側も理性を失って、ただの怒りに陥る。元は正当な理屈があったのに、男性を批判するだけの感情的な対立になりやすい。すると、今度は理屈の上では女性運動を認めてくれていた男性も、
「やっぱり女はヒステリーだから」
  なんて言って呆れてしまうわけだ。そこで、本当はそうではないという事を立証するべきなんだが、ある意味女性というのは、まだまだやっぱり理論に弱い所があって、
「これは女性という性が持っている特質だから、男はそれも認めるべきだ」
  なんて脇道にそれて言ってしまう。それでは負けだ。
  彼女が後進国的だと言ったのは、女性はあくまでも男性が作り上げた社会の恩恵を被って生きている。男性が作った社会の中での進出を望んでいる以上、まずそれを身につけて……つまり理屈を征服する必要があるという事だ。先進国が持ち込んで来た利益は欲しいけど、その干渉や支配や搾取からは独立したい。そういう時、
「我が国には我が国の文化があったはずだ」
  なんて言って、逆戻りしようとしても一度手に入れた、文化を手放す事は難しくなってしまう。だから同じ国の中にも拒否する人が多い。外国製品の不買運動なんてやってみても、外国の製品の方が安くていいものが多いとなれば、そっちの方がいいに決まっている。日本の製品が非難を浴びながらもアメリカで売れてしまうのはそういう事情もあるのだろう。その上反対に、日本の市場には外国製品が入り込みにくい。一人勝ちして逃げる気なのか……とアメリカをはじめとした諸外国が文句を言いたくなる気持ちはわからないでもない。
  しかし、今は国際問題を話し合っているんじゃない。私は頭に浮かんだ竹下首相やレーガン大統領の顔を打ち消した。
「確かに私は、関沼に対しては後進的だと思うわ」
  由有子は素直に認めた。
「卑屈だと思われるかもしれないけど、私、アメリカでは関沼の助けなしでは、何もできなかったんだもの。いつの間にか、彼に抵抗する時には訳のわからない感情論を展開してしまうのよ。受け身にならざるを得ないから、不満があってもふて腐れた態度しか取れないんだわ」
「まあ……由有子がふて腐れてるなんて、私はそうは思わないわよ」
  私は由有子が卑下するのに耐えられなくなった。
「由有子は精一杯やっていると思うわ。きっと先生がワカランチンなのよ」
「うーん。でもやっぱり勝てないわ。雄一の学校の問題だって、あの人は教育の実践にいたでしょう? あの人がアメリカに渡ったのだって、日本教育にウンザリしてしまったからだと思うわ。機械的な受験だけで入って来た学生を相手にする授業。研究に金を出さない政府。頭の堅い教授とかに占領されている学会。……ってあの人に言われても、私には反論する材料がないものね。ああそうなの。でも私はあの子を連れて日本に帰りたいわ……って事になってしまうわけよ」
「悲惨だわ」
「そうでしょう?」
  私達の会話を聞いていたメアリーが、突然、
「そういう時、アメリカでは裁判をするんですよ」
「裁判!」
  おお! さすが法の国だ。私は急な展開に思わず声を上げた。
「そう、弁護士を雇ってね……。でも由有子は嫌なんでしょう?」
  由有子は急に暗い顔になった。
「私、離婚する気はないの」
  と遠慮がちに言った。
「ええっ! 離婚?」
  ちょっと待て、と慌てた。それじゃあ入沢と同じではないか。
「別に離婚しろとは言ってないわ」
  メアリーは笑った。
「でも関沼は、メアリーが離婚を私に勧めていると思っているわ」
  由有子は私にそう言った。
「そうね、でも勧めた事もあったから、そう思われていても仕方ないわね。問題はその程度の事で、私と由有子を会わせないなんて、幼稚な手を使う事だわ」
  とメアリーは言った。次から次へと新事実が明るみに出る。
「そうなの?」
  私は由有子に聞いた。
「ええ、それは本当なのよ。私も驚いたわ」
  由有子の同意を得て、メアリーは更に続けた。
「幼稚だわ。自分一人だったら由有子に勝てると思っているんだわ。私が出て来ると、ややこしくなると思って……」
  私は本当に裁判をする程、事態が深刻化しているのかとちょっと不安になったが、メアリーが言う裁判というのは、裁判所を使用しての本当の裁判ではなくて、第三者の意見や調停を受け入れてみてはどうか……という意味なのだ。メアリーにも由有子が不利だと思われたのだろう。由有子の立場を弁護したいと申し出た。すると先生は、
「離婚経験者には、結婚生活についてとやかく言う資格はない」
  と言い返してきた。メアリーは、子供までいたのに離婚して今は独り身なのだ。
「それには私も頭に来たわ。こんな事を言い出すようじゃおしまいだと思って由有子に離婚を勧めたんです。ただ、私も感情的になっていた部分があったと、後で反省したのよ。でも、その時には関沼先生はもう私の意見なんて受け入れる姿勢もないし、由有子には私と会うなと言ったそうです。でもそこまで指図する権利は彼にはないわ。由有子と私は友達なんですからね」
  とメアリーが言うと、
「友達どころか先生だわ。それに、私メアリーがいなかったら、それこそ孤立無援になってしまうわ」
「それが目的なのよ。彼は」
「そうは思いたくないけど、私もそう思わざるを得なくなったわ」
  なんとなく実情がつかめてきた。それにしても関沼先生の、なんという横暴さだろう。由有子に対してもっと思いやりのある人だと思っていたが、彼にとっては所詮、由有子はなんでも言う事を聞く有能な助手かなんかだったのだろうか。
 

 

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