「光の情景」
作/こたつむり


〈第6章〉5
 
「どういう事なんですか?」
  由有子が話しにくそうなので、つい私はメアリーに聞いた。
「関沼先生は妻や子供がいても、やりたい事があればやるし、行きたい所には勝手に行く人です。間違っているとは思わないけど、そういう事はちゃんと説明しなくてはいけないのに、それをしないんです」
  メアリーがそう言うのを由有子は困ったように反論した。
「説明しても言う事を聞かないからいけないんだわ。あの人が何か言う時に、私ったら頭の中で反対するような事ばかり考えちゃうんですもの。あの人もヤレヤレ……って、呆れちゃったんでしょうね」
  と、さすがに由有子は自分の夫を庇う。
「確かにそういう所が由有子にもあるようね。私もどっちが悪いとかは言わないけど、でも彼のやりかたはほとんど家出みたいだったわ。あれじゃあ……」
「家出?」
  私も呆れた。そんな風には見えなかったが、もしそれが本当なら随分と身勝手なものだと思う。
「そう、由有子がもう少し時間をくれと言っているのに、待たずに行ったんですよ」
  メアリーのそう言うのを由有子も否定はしない。
「まあそんな風ではあったわね。でも業を煮やしたんだと思うわ。いつまでたってもはっきりしないから……。私もだんまりを決め込んでいたから待てなくなったんだと思うの。だって本当にもう行かなきゃいけない時期になっていたんだもの。大学に呼ばれていたのに、返事を延ばしていたんだから仕方がないわ。私がウンと言うのを待っていたら、あの人、行けなかったと思うわ」
「由有子はどうして賛成しなかったの? 行きたくなかったの?」
  私はちょっと意外に思った。由有子はわりと転居には慣れている方だし、関沼先生の行く所ならどんな所にもついて行きたいのだと思っていたのだが……。
「そうじゃないの。私、日本に帰りたかったの。そればかりしつこく言ってたから、あの人怒ったんだと思うわ」
「やっぱり先生は日本に帰りたくないのかしら」
「そういう事じゃないのよ。ただ、あの人は私にどうして日本に帰りたいのかを聞くの。日本に帰って何をしたいんだって……」
「何をって……」
  私は驚いた。自分の故郷に帰るのに理由がなくてはいけないだろうか。
「言われてみれば、私、アメリカで何を身につけたというわけでもないんですもの。今日本に帰ったって確かに役に立つとは思えないわ」
「役に? 何の? 由有子は雄ちゃんのお母さんじゃないの。子供を育てるために帰って来ればいいのよ」
  私はつい激高してしまった。由有子はハッとしたように私を見た。
「日本で……。そう出来たらどんなにいいかしら。私も日本でこの子を育てて、日本の学校に入れるつもりだったんだという事が、関沼にインディアナに行くと聞かされて、我ながら初めて気がついたのよ。カリフォルニアを離れて、わざわざインディアナに行くというからには、当分日本に戻るつもりはないって事なんだと、そんな気がしてきて不安になったの。日本にはいつか帰ればいいって気でいたんだけど、私、雄一が生まれてから、妙に性急に日本に戻れるという確証が欲しくなってしまったんだと思うわ。多分、おなかの中にこの子がいた時から……私はそのつもりでいたんだと思うの。イメージとしてね……」
「先生にはそう言ったの?」
  私が聞くと、由有子はウンと頷いた。
「今更何を言うんだって言われた?」
  と、私は更に聞いた。
「ううん、そうは言わないわ。ただ日本で育てるのとアメリカで育てるのと、どっちがいいのかちゃんと考えて言っているのかって、そう言われたわ。あの人だってアメリカで育てた方が絶対にいいと言っているわけじゃないのよ。でも、私にはどっちの方がいいなんて具体的には答えられなかったのよ。考えなきゃいけないとは思うわ。でも……」
  由有子の顔には苦悩の表情が表れていた。
  育児の事となると、私にだってわからないし、増してアメリカと日本とでは、その何がどう違うのかなど、ますますわからない。
  日本と言っても、由有子が戻って来て住むとなると、おそらく東京という事になると思う。
  東京……。その環境は子供を育てるのには、あんまりいいとは言えないような、後ろ向きな気持ちにならなくもない。
  狭い。まずどう考えたってアメリカとは比べものにならないくらい土地がない。その上地価がバカ高い。由有子の実家に関沼一家が住むなんて事はあり得ないし、由有子と関沼先生が暮らすための住居となると、どこかにマンションでも買うしかないだろう。
  関沼先生は日本に住んでいた頃に、マンション住まいをしていた。アメリカに行く時にそれを売ってしまった。それでカリフォルニアに家を買ったのだ。今住んでいるのは、借家ではなくて、自分の家なのだ。
  前住んでいた東京のマンションというのも、独身の先生がやっと一人住んでいられる程度の小さい部屋だった。私もお邪魔した事がある。由有子と結婚すると言っていた頃には、結婚したら由有子もそこに住むのだと思っていたが、なんとか二人くらいは住めるものの、子供が二人、三人と増えれば狭くなる。いつかはもっと広い所に家を構える必要がある……とは思っていたのだが、それがアメリカで……というのは私も初めて聞いた。
  日本のマンションを売ったという事も、カリフォルニアの家が自家だという事も、この時初めて聞いた。私もやっと結婚したばかりで、ようやくそう言えば、この先いつまでも借家っていうわけにはいかないかもなあ……なんて思っているのだ。由有子が結婚した頃には、そんな所に目がいかなかった。
「でも、そんなの詐欺よ」
  私は頭に来て、ついそう言ってしまった。
「私たちはまだ若くて、そういう経験がないんですもの。そうなって初めてそれが問題だって思うものじゃない? 先生は由有子がそういう事を考えるより前に向こうに住むって決めちゃったんじゃないのよ。日本の不動産を売って、アメリカに買ってしまうなんて、横暴よ。由有子が口を挟まないうちに……つまり、知恵のつく前にさっさと手を打っちゃったんじゃないの? 卑怯だわ。そんなの」
  私は関沼先生に失礼な事をつい連発してしまった。由有子は驚いた顔になったが、メアリーはびっくりしながらも、
「この人は頭がいい」
  と意外な事を言った。
「すみません。エライ過激な事言っちゃって」
  私はハッと気付いて、謝った。由有子はともかくとして、メアリーは、初めて会う私に、こんな凄い事を言われてさぞ驚いた事だろうと思ったのだが、
「NO」
  メアリーは手を振って許してくれた。
「由有子もこの人くらいちゃんと言えればいいのよ。この人の言った事は理屈が通っていると思うわ。確かに関沼先生は由有子に考えるチャンスを与えないうちに、何もかも決めてしまったわね」
「そう、本当ね。ひさの言う通りだと思うわ。だから、私メアリーにもひさに会ってもらいたかったの。ひさならきっとわかってもらえると思ったわ。ひさって私と同じ事を考えるのよね。それでちゃんと言ってくれるのよ。むこうでもずっとそう思っていたわ。こんなの甘えた言い方だけど、わかってくれる人になら言えても、そうじゃない人にはなかなか言いにくい事もあるのよ。ウジウジしちゃって結局自信がなくなってきて……でも、これでちょっと溜飲が下がったわ」
  由有子はそんな風に私を誉めてくれた。やにわに自信が出てきたようだ。何度も確信したかのように頷いている。私も、
「そうね、私も由有子の前だから、ついこんな事を言っちゃったけど、関沼先生の前だったら、言えなかったかもしれないわ」
  と言って、由有子とメアリーに言い訳した。
「私が頭がいいと言ったのは、正直だという所です。正直な所を表現するのは悪い事じゃない。それが理屈を通しての事なら話をする価値があるわ。由有子は関沼先生に気を使って言えないように思うの」
「言っても歯が立たないんじゃないかしら。先生って理論的に話しをするでしょう? 先生と話しをしていると敵わないなあ……て思うのも無理がないわ」
  私は由有子をつい庇った。
「うん、それとあの人って妙に圧しが強いのよねえ」
「ああ、ちょっと威圧的な所が……」
  私はついつい先生の悪口を言ってしまう。
「討論をしていると、根負けしてしまうわ」
  由有子もついつい愚痴を言う。
「体力のある人って得よねえ。討論するのにも体力がいるのよ」
  私と由有子は本音で盛り上がってしまった。確かに理論的ではない所もあるかもしれないが、実力本位のアメリカになんていたら、体の弱い由有子はさぞ大変だろうと前々から思っていたのだ。


 

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