「光の情景」
作/こたつむり
〈第6章〉2p
腹は立つが、仕方なく私は理恵の家に行った。
「ねえ、いい加減にしてよね。私だって仕事があるんだから」
「仕事おー? 結婚の準備の間違いじゃないのお?」
確かに用田との結婚が半年ほど後に控えていた。
「とにかく忙しいのよ」
「よく言うわよ。悪ガキども誘って茶あしてたくせして」
悪ガキというのは、さっき彼女が追い返した友人どもの事だ。理恵も知ってるアシスタント仲間が二人いた。
「仕事の話しよ」
本当の事だ。私にはこのころ、初めての連載の話しが来ていた。今までは単作ばかりだったので自分一人で仕上げていたんだが、連載をやるとなると、アシスタント仲間に手伝ってもらう事もあるかもしれないので、柿崎先生がアシスタントの人たちに頼んでおいて下さったのだ。
もっとも連載と言っても、前後編の二回きりで、ページ数も今からがんばってやれば上がる程度のものだ。だからアシスタントは断ろうと思ったのだが、せっかくの好意なので、家に呼んでネームを見てもらったりしていたのだ。
まあ正直な所、お茶を飲む口実、というのはあるにはあった。彼女たちは漫画の事より、私と用田の事を冷かし半分で聞きに来ていた。ちょうど仕事がオフの時期が偶然みんな重なった、という事もある。
私と柿崎先生は同じ雑誌に載せていたので、締め切りの時期も近い。理恵もいつもは他の所に載せているが、今回は同じ雑誌に載せるために一作書いていた。オフなので昔の恋人を連れ込んで遊んでいたのかもしれない。こういう時は重なるものだ。
ところで、案の定、鷹子は理恵の家にいた。確かにどういう神経をしてるのか……と私も少し思った。ところが鷹子は、
「理恵さんが、入沢さんを連れて来るから、待っていてほしいって言ったんです」
と、びっくりしたように言う。
「あんた、そう言ったの?」
と私は呆れながら理恵に言った。
「言ったっけ?」
と理恵は私に言い返す。
「私に聞いたって知るわけないでしょ」
と私も理恵に言い返してから、鷹子に向かって、
「入沢君は今日は病院じゃないの。鷹子さん知ってたでしょう?」
と言った。
「ええ、私もそう言ったんですけど……、そうしたら理恵さんが、久世さんに代わりに来てもらうからって……そう言いましたよね?」
と鷹子は慌てたように理恵に同意を求めた。
「さて」
と理恵はトボけている。
「そう言ったわ。私、それで待ってたんですよ」
鷹子は必死になってそう言う。
「まあ、いいわよ」
私も、この際そんな事の真偽なぞどうでもいい。
「来たんだから、私は。で、私はどうしたらいいわけ?」
と、切り出すと、理恵も鷹子も黙ってしまった。それで私は、
「ねえ、鷹子さん。いきなりだけど、あなた入沢君とつきあっているわけよね。この人の事なんて、放っておけばいいじゃないのよ。入沢君は何でもないって言ってたわよ」
と言った。すると鷹子は、
「でも入沢さん、私と会ってくれないんですもの」
と俯いたままボソッと言った。両手で拳をつくってひざに置いている。
「冗談。私のせいじゃないわよ」
理恵は言い返す。
「それは、あんたが入沢さんに嫌われちゃったからなんじゃないのお?」
と、理恵は、面白そうに冷かす。鷹子は理恵をキッと睨み返した。
「私、自分の事で嫌われたって言うんなら、諦めます」
「どういう意味よ。私のせいだって言いたいわけ?」
理恵が挑発的に言うと、鷹子は理恵を厳しく睨んだ。憎悪に満ちた目だ。
「ちょっと何よ。その顔は」
理恵は鷹子を睨み返す。すると鷹子は私に向かって、
「久世さんが、入沢さんにこの人を紹介したっていうのは本当なんですか?」
と怒りを込めて聞いた。
「しょ……紹介っていやあ、まあ、そうだけど……」
私は一瞬詰まった。それを言われるとグウの根も出ない。
「なんでこんな人を先生に紹介したんですか?」
鷹子は私に詰め寄った。
「ちょっと、こんな人って言い方はないでしょう? 生意気な女ね。あんたいくつよ」
と、理恵は鷹子に食ってかかった。
「私? 二十二です」
鷹子は答える。
「口の聞き方ってもんがあるんじゃないの? 年上の人間に向かって。親の顔が見たいってやつだね」
「じゃあ、年上の人らしく振る舞ってほしいわ」
「ふん、ケツの青いガキのくせして、いっちょまえに。好いたのホレたのまではいいとして、結婚なんて言い出す事自体、生意気なのよ。相手はね、医者なのよ。あんたみたいな、ろくに働きもしないで、親のスネかじっているようなガキが相手できる人じゃないのよ、元から」
ちなみにこの二人は三才違いである。理恵は二十五才、私より一つ年下で、この時私はもう二十七才になっていたが、もうすぐ理恵は二十六、鷹子も二十三になる。
「年令の問題じゃないと思います。それに、働きたくても働けない人間だってこの世にはいるんです。あなたにそんな事言われたくありません」
「言いたくもなるのよね。入沢さんも気の毒よねえ、こんなジャリに付きまとわれちゃって……。人生をフイにしちゃうなんてさあ」
「余計なお世話だわ。あなたならともかく、先生は私みたいな立場の人間の気持ちをよくわかっていらっしゃるわ」
「ふーん、気持ちはわかるけど、つきあいたかないって所でしょうねえ。私わかるわあ、あんたに会いたくなくなる入沢さんの気持ち」
「ちょっと、二人ともいい加減にしなさいよ」
私は、この二人の喧嘩に嫌気がさしている。
「入沢君があなたに会いたくないって言ったの?」
と私はまず鷹子に聞いた。
「いいえ、そうは言いませんけど……」
すると理恵が横合いから、
「そりゃあ、言えないわよ。患者にショック与えるような事はねえ……それに、そんな事言ったら、この女何しでかすかわかんないもん」
「あんたは黙ってなさいよ」
私は理恵を落ち着かせた。
「ねえ、理恵、あんたお茶くらい入れなさいよ。一応客なんだから」
と私が言うと、理恵はひょうひょうとした表情で台所に行った。
鷹子の方は理恵に恨みつらみがありそうだが、理恵の方は正直な所、私に鷹子を押し付けて逃げ出したい、と私は見た。
多分苦手なのだろう。荒っぽい言い方はするが、元々気が短い。怒るのも早いが飽きるのも早い。争い事が長引くと根負けしてしまう性格なのだ。そのくせ負けるのは大っ嫌いだから、まいったとは言わないし頭も下げない。
理恵が外すと、私は鷹子に言った。
「鷹子さん、入沢君に理恵を紹介したのは確かに私だわ。でもね、理恵が他の仲間と一緒にウチに来た時に、たまたま入沢君が来ただけなのよ。入沢君だけじゃなかったわ、入沢君の仲間の人達も一緒だったわ」
「知っています。入沢さんにそう聞きました」
そう言って、鷹子は肩を落とした。どうやら元々彼女は、私にまで食ってかかる気はなかったらしい。
「じゃあ、私の事は恨んでいないわね」
「ごめんなさい。久世さんにまであんな事を言ってしまって。あの人……理恵さんと話しをしてると、つい、なんだか……」
「ああいう人なのよ。乗せられないでよね」
私も理恵の挑発的な態度には閉口していたが、あれでも短気なだけで、いつも鷹子の悪口を言ってるわけではない。
私はその事を鷹子に言った。理恵が戻ってきたら、又、鷹子と理恵は口げんかをするかもしれない。しかし、それではなんの解決にもならないし、だいたい、こんな所にイキナリ呼び出されて恋敵同志の言い争いを聞かされるなんてまっぴらだ。
やがて、湯を沸かしながら鼻歌を歌っている理恵の声が聞こえ始めた。台所の方を指さしながら、
「ほらね」
と私は鷹子に笑いかけたが、鷹子は笑おうとはしない。