「光の情景」
作/こたつむり


〈第5章〉10
 
  入院してから三日目に、同室の入院患者の一人が退院した。
  と思っていたら、その日のうちに、同じベッドに、今度は高校生くらいの女の子が入院してきた。付き添いの母親が私たち同室の患者にまで気を使って、果物を配ってくれたりした。去年までは小児科に世話になっていたという。まだ何かと回りに迷惑をかけるとでも思ったのだろう。病弱な子供を持った母親というのは大変だな、と私は思った。
  入沢は早速その女の子に、
「先生、早く退院させて下さい」
  と迫られていた。病人なんてのは寝てればいいわけで、医者にしてみればこの手の要求は甚だ鬱陶しいだろうが、その子にしてみれば不安と退屈で仕方がない。自分も患者なんで、つい同情してしまう。
  その子供が入院したとたん、高い熱を出してしまった。入沢は夜にやってきて、
「頭が痛い?」
「痛いけど……」
「おなかは?」
「痛くない」
  なんて会話をされているのが、よく聞こえる。元々不眠症の私は入院以来、病院の消灯が早すぎるため眠れず、隣の患者の高いびきの鳴り響く中、入沢と女の子の会話を耳にして、なんとなく胸のせつなくなる思いがしてきた。
  翌朝、私がカーテンを覗くと、彼女は私を見て、
「エヘッ」
  と笑った。私はホッとした。どうやら熱が下がったようだ。入沢が診に来ると、
「おなかが空いた」
  と言っていた。入沢は、
「じゃあ、もう元気になれるよ。たくさん食べなさい」
  と言った。私は入沢と女の子の笑顔を見て、再び昔を思い出す。
「無理して勉強する事ないよ。受験の事が気になって、返って眠れないじゃないの? マイペース、マイペース」
  と由有子を励ましていた入沢。

  私はこの時、ふと、入沢は患者を通して由有子を診療しているんじゃないかと思った。そしてその思いは、その後、入沢の患者に対して放たれる表情を見る毎に深まっていった。
  そう思うと、この時まで、なんで気付かなかったのかが、返って不思議なくらいだった。
  今まで、入沢がなんのために医者になろうとしてきたのかを、自分は、ついぞ考えずに来たと思った。入沢は元々医者の家に生まれ、跡を継ぐために医大を受けたのだと単純に思ってきたが、この時になって、入沢という男の根底をまるで理解できずにいた事を思い知らされた。
  と共に、改めて、入沢の持つ人間性、彼の生きがい、心情の総てが、波を打って私に話し掛けて来るのを感じたのだ。
  患者を目の前にする時の、私にも美樹にも見せなかった、彼の目の奥にあるひたむきなまでの情熱は、単純に、患者に対する同情やいたわり、医療に対する熱意などと言い切ってしまえるものではないのだ。
  他のどんな医者からも感じる事のできないものを持って、彼は仕事に打ち込んでいる。負けず嫌いだとか、くだらないガンバリズムとか、無意味な精神主義的や、他人にまで苦痛を与える要らざる根性……。
  あるいは、病気に対する医学的な興味、出世栄達への野心など、何かひとつは、一種の熱を加えなければ、医者にあのようなひたむきさなど備わるだろうか。
  医療はともかく、医学はボランティアとは違う。医者は、ただ受け身で看護に徹する立場でもない。ひたすら苦痛をやわらげたり、介抱するための心構えとは、根本的な精神所在が異なるのではなかろうか。
  研究し、追及し、病というものを積極的に取り除かねばならない。そこには、守りと共に、攻めの姿勢がなくてはならない。
  あの、野心とか攻撃性とかのまるでない、博愛主義的……悪く言えば、ことなかれ的な入沢が、その人生のどこで、ああもはっきりと病気を憎む姿勢を身につけたか。それを考えれば、歴然としている事なのに……。
  その事に気付いた日の夜、私は又しても一睡も出来なかった。
  しかし、不眠になるといつも襲って来る、あのイライラした胸を突き上げて来るような不快感は逆に消えていた。夜の静寂にしんみりと身を投げている事に、初めて心が安らぐ思いだった。仕事を仕事と割り切れずに苦しんでいた私に、ひとつの区切れが出来た瞬間だった。
  それほど、彼の医師としての姿は、私を捕え、私の瞼に焼き付いて、始終こんな風に訴えかけてきた。
「由有子の病弱を直してやりたかった」
  のだと、そして、
「由有子を眠らせぬ程、彼女の心を苦しめている病魔や、遺伝への恐れから彼女を救いたかった」
  のだと。
  その時、脈を打つように、入沢のあの無機的な姿の奥に隠れて打ち出される、心臓の鼓動が、彼の切望が聞こえ始めた。今まで私が入沢に対して感じ続けたあらゆる疑問が、初めて総て説き明かされたのだ。
  どうして由有子を手放したのか。
  どうして美樹にさえ執着しきれなかったのか。
  どうしてこの私に対してのみ、誰にも見せずにいる彼の内面を語ったのか……。それはもう、ほとんど感動としか言いようのない謎明かしだった。
  そして、結婚にまで踏み切らなかったのは、結局、由有子に対し、妹としての感情をどこか越えきらずにいるのだ、と決め付けていた私の考えが、同時に、ひどく幼稚で浅はかな感覚だったと思えた。
  浅はかというより、人間愛というものが、恋だの、結婚だの、兄弟愛だのといったそんな画一的な、型にはめられた言葉に置き換えられるべきものではなく、もっと自然で、深く、崇高なものなのだと、はっきりわかったのだ。
  それがわかったとたん、私はそれまで、これが最高のテーマだと思い込んでは行き詰まり、我身我心を縛りつけ、苦しめてきた自分の作品があまりにも拙く、つまらなく、不自然に思え始めた。
  入沢が、なぜ今まで私を引き付けて止まなかったのか。それは取りも直さず、入沢が、心底由有子を愛し続けるその心、その姿勢、その表情によるものだったのではないだろうか。それが私の心とどこかで手を結び、私と入沢の大きくつながれた腕の中に、由有子を抱きとめようとしていたのだ。たとえ、由有子が他の誰のものになろうと、彼女が転落する日の決して来ないように、入沢の目がいつも優しく彼女を見守り続けてきたではないか。そして、その目はいつも私に一緒に由有子を愛してくれるように呼び掛けていたのだ。
  羽ばたいて行ってしまう由有子を、彼だけが理解し、認め、そして彼女の飛んで行った後に、せっせと彼女の帰って来れる巣を作って来たのだ。
  医師、という、親、兄弟、伴侶でさえ立ち入る事の出来ぬ聖域において、彼は永遠に由有子に向けて、救いの手をさしのべ続けてきたのだ。由有子が傷つき、飛べなくなっても、そこに彼がいれば、彼女は彼女の母親と同じ心の淵に立たずに済むのだ。

  由有子の男児出産を知ったのは、それから僅か後の事だった。私は少し複雑な気持ちだった。このころから、私は、由有子は入沢のそばにいた方がいいのではないか、と思えてきた。別に、入沢と結婚した方が良かったとか、関沼先生との事がどうと言うのではなくて、由有子が心安らいで育児に専念できる場が、たとえどんなに医療看護に優れ、心理学の発展し、隅々まで行き渡っているアメリカであっても、入沢の手を遠く離れた地であっては、どこか頼りないような、いつまでも心配し続けなくてはならないような不安を禁じ得ない。
  しかし、由有子と関沼先生はいっこうに日本には帰って来なかった。私は、由有子の生まれたばかりの子供を瞼に思い浮かべながら、その子が時に、泣きながら母親である由有子を呼び求める声と、由有子が我が子を腕に抱きながら、自身に降り注ぐ運命と闘いながらも、心のどこかで救いを求める声が一緒になって、夜の闇を縫い、私の枕元にまで反響して来るような気がしてならなかった。
  そして、その声を入沢も又切なく聞いているだろう。由有子を思う時、共にこれを思わずにはいられなくなった。




 

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