「光の情景」
作/こたつむり


〈第5章〉9
 
  こんな時に由有子がいたら……。私はこの時ほど由有子の存在の大きさを痛感した事はなかった。この前、会った時もそうだったが、彼女と会っていると、不思議ともっと高みから物事を見られる気がする。それは逆に、今のこの場所にいたんじゃ、どうあがいても深みにはまって行くだけ、という気持ちの裏返しなのかもしれないが。
  とにかくまず体の方をどうにかしなくてはなるまい。しかし、多少エキセントリックになっていたのだと思うが、私はどういうわけか、この時病院に行く気になれなかった。病院には、あの優しい佐々木先生がいる。あの先生なら、私の不摂生な生活態度を叱り付けはしないだろう。
  しかし、もし漫画を書いていくのに障害でもあるような病状だったら……それを聞くのが怖いような気もした。又、一方では、そうであってほしい気持ちもある。そうであれば、結婚するのどうのではなく、単純に病気のために休業になるのである。それなら万人の納得するシチュエーションではないか。
  これでは子供の登校拒否のようだが、(由有子に、子供が学校に行くのが厭になるあまり、本当に病気になってしまうという話しを聞いた事がある)そういった、我ながら情けない精神状態に陥ってしまった事は否めない。
  だがもし病気でも、それが長引いたり、重症だったりするのはいやなのだ。勿論、誰だってそうだろうが、私の場合致命的なのは、その根拠が、相変わらず漫画を書き続けていたいから、という、どうにも複雑な欲求に起因していた点にある。
  結婚した事が原因で作風が変わったと言われないで済む漫画とのつきあい方、つまり、同人誌作家のように、売れるの売れないの、世間の評価がどうのを気にしないで書ける。それが、その頃の私の都合のいい夢だった。そうまでしてまだ漫画が書きたいのか、と思うと、我ながら、もう哀れとしか言いようのない情けなさだった。だが、私はまだこの時、書きたいものを全部書いたとは、とても言い切れない状態だった。病名は付いてほしいが、漫画は書きたい。書きたいが人にどうこう言われたくない。じゃあ商業紙以外に書けばいいじゃないか。しかし、
「アイツは同人誌に身を落とした」
  と言われるのは、耐え難い。……もう、これではわがままとしか言いようがない。
  しかし私は、これを医者に適えてほしいとまで思い始めていた。だから、自分の前に、佐々木先生のような人徳者に座られては困る。佐々木先生では、後ろめたくて、願い事を口には出来ない。そして何も適えられないのなら、病院に行くのも面倒臭い。そうして不調を感じながらも、何日も家から出ようともしなくなった。立派な鬱病にも思えるほど、私はこもりに篭った。
  人間とはこのように都合のいいものなのだ。私の頭の中には、この時既に、入沢に診てもらいたい、という潜在的な願望が働いていたと思う。むろん、あの入沢に漫画家の心理状態を理解してもらおうとは思わない。言ってみれば気分転換にすぎない。モクモクと医者の仕事をしつづけている彼にとっては、私の怠け病など笑止だろう。
  実の所、理恵の家から帰ってきてから、私はネームを切った。これは理恵の家にいる時から頭に浮かんでいたもので、帰るなり二日も徹夜して没頭した。理恵と入沢の事で今まで頭を悩ませていたのに、作家の異常心理という奴で、乗ってる時にやらないとどうにも気が済まない。いつしか理恵の事も入沢の事も忘れた。こうなるとメシを食うのも面倒くさい。
  ところが、終わってようやく寝て、再び起きて見直すと、イライラするほど出来が気に食わない。二日間も何をやっていたのだろう。イライラ……。もうあんまり時間がないではないか。しょうがない、これで出すか。担当はどうせ用田だ。この状況を話せばわかってくれるだろう。
  ああ、こういうのが甘えだ。これだから人に叩かれる。こんな気持ちで書いた物は、用田や編集がOKを出しても、あの文句と批評ばかり寄せてくる読者には、きっと心の奥を見抜かれてしまうに違いない。こうなるともはや、載せ甲斐のある機関紙、という日頃自分が得意に思ってきた雑誌のレベルまで恨めしくなってくる。
  こんな事を繰り返した揚げ句、また都合良く、入沢を思い出す。そうだ、病院に行って病名をつけてもらおう。それで私は休業する。とにかく休むんだ。
  病院で名前を呼ばれて中に入ると、白衣を身につけた入沢が座っている。私はこの時になって、初めて自分が精神的に追い詰められている事実を認めた。白衣の入沢を見たとたん、何だか涙が出そうな気分になった。入沢がいつもの友人として、ともすれば私の助けを必要とする弟のような立場としてではなく、医者として座っているその姿に、一瞬すがりつきたいような衝動を覚えた。
  彼はニコリと笑って、
「初めてだね、前田を診るのは……」
  と言った。

  私は入院した。別に入院しなきゃいけないほどの重症とも思えなかったが、検査をするので入院してはどうか、と入沢に勧められ、素直に従った。入沢は読者でもないのに、何か私から、焦燥感のような心境を見抜いたようにも思えた。
  しかしそれでも、とにかく私には、そのように自分の身を総てまかせてしまう相手が必要だった。それが結婚相手ではいけない以上、医者にでも助けてもらう以外に方法がない。
  入沢の診察ぶりは丁寧だった。私に対しても、私以外の患者に対しても彼の態度は想像していた以上に優しかった。
  病室には私の他に三人の患者がいた。私の隣に寝ていた患者は個室から移ってきたと言っていた。普通は病状が重いと、個室に移すものなんだが、その患者は反対に個室にいるのはいやだと言って、大部屋に移してもらったと言っていた。私を含めて四人とも、入沢が主治医だったので、入沢が来るとみんないっぺんに診てもらえた。
  私の隣の患者などはずいぶん入沢を頼りにしていた。もう五十近い女性なのだが、
「あの先生に、大きい部屋に移りたいと言ったら、移してくれたんです」
  と、どうでもいいような事で感謝している。そのくせ、病気の方は一向に良くなってはいないらしい。
  私もそれを入沢がヤブ医者だからとは思わない。彼女の病気というのも、原因がよくわからない。元は交通事故で足腰の具合が悪くなったらしいが、その後、それが良くなってからも、あちこちに不調が出始めた。事故の後遺症という確たる診断も下せないので、検査したり、対処療法を行ったりして、良くなったり、悪くなったりを繰り返している。
  入沢は特に定期回診の時以外にも、ちょくちょく暇を見付けては患者の様子を診に来る。その患者とも、よくカーテンを閉めて話をした。時折、
「先生、でもそんなに長く会社を休んでいたら、首になっちゃいますよ」
  なんて笑いながら言う患者の声が響く。患者の方はベッドに寝ているんでカーテンに隠れてよく見えないが、入沢の方は私にも見える。入沢は、
「そうですねえ。じゃあこうしたらどうでしょう」
  なんて言って、会社の人にこう言ってみたらどうか、なんて事を真面目に話している。
  へえ……と驚いた。最近の医者ってのは、病気を直すだけじゃなくて、そのために患者が休業する手だてまで考えてやらにゃならんのか。いやあ大変だな。
  ところで、初めて入沢に診てもらった時からちょっと感じていたことなんだが、私はこの頃、入沢の表情に何か特別なものを捕えていた。
  外来でも、一見テキパキやってるように見えるんだが、何だろう、何か入沢から流れて来るものが、いつもと違うような、それでいて懐かしいような……そんな感じがした。
  そう言えば入沢が医者としてやってる姿を見るのは今回が初めてだ。まあ言ってしまえば医者の顔になってるという事なんだろうが、しかし、私は入沢のあの表情をどこかで見た覚えがあると思った。
  そしてなんとなく、自分は長年入沢を見てきたが、いつの間にか入沢の表情を、どこかで忘れてきてしまったのかもしれない。そんな気がしてきた。そう言えば、初めて会った頃の入沢には、今見る入沢がいつも蓄えられていたような気もする。
「先生、今日のご飯は大変おいしくいただきましたよ。でも、お肉は残しちゃった」
  向かいの患者はもう、七十を過ぎた老女である。こんな事を子供みたいに入沢に報告している。まるで、食べ残したけど先生なら許してくれるでしょう? と言わんばかりだ。だいたい病院の食事を食べたとか残したとか、そんな事を報告するのは看護婦に対してするのであって、医者にまで報告する必要はない。要するに会話がないのだ。こんな所に長々と暮らしていれば他に言う事もなくなって来る。
  しかし入沢は面倒臭がりもせず、苦笑するでもなく、患者の横の椅子にペタンと座ってほほ笑んで聞いている。
  あ……あれ……と、私の頭の中で再び懐かしい記憶が蘇って来る。
  あれは片桐のオバチャンのうちに住んでいた由有子を訪ねていった日、夏休みだったが、入沢も来ていて、由有子に入沢が医者になる事を教えられた。
  あの時、入沢の限りないほどの優しさを見て、私は心の底から由有子の将来を祝福したのだった。そう言えばあの頃、私は入沢と由有子は当然結ばれるのだと思い続けていたのだ。
 


8p

戻る

10p

進む