「光の情景」
作/こたつむり


〈第5章〉7
 
  それともう一つ気掛かりなのは、理恵という人物についてである。
  実は理恵は由有子にとてもよく似ているのだ。
  むろん性格は似ても似つかない。理恵は由有子と違って、男性の心理を見抜く事にかけては、ほとんど天才的なものをもっている。  が、彼女の容姿は、時々ドキッとするほど由有子に似ている。
  初めて会った時から、彼女の横顔といい、
「わあスゴオーイ」
  と感動する時の表情といい、悪ふざけをする前に、相手の顔をチラッと見る目付きといい、ふくれた時の顔なんて由有子そのものじゃないだろうかと思うほどだ。
  初めて入沢と理恵を会わせた時、私はちょっと入沢の反応を気にかけたんだが、後になって入沢に、
「あの子って、由有子にちょっと似てない?」
  と聞いたら、
「え? どの人?(この時は理恵の他にも仲間がいた)」
  と入沢は思ってもみなかったように言った。
「似てるかなあ……そう言われてみれば似てたかもなあ」
  入沢はこういう所、妙にニブイ。だから別に気にもしてなかったんだが、そのうち、しばらくしてから、
「あの人、やっぱり由有子に似てるよ。前田の言った通りだな」
  と言うようになった事はあった。
  しかし、まさかこのような展開をしてるとは知らなかった。理恵とはちょくちょく会ってたのに、そんな事は一言も聞いてない。この理恵の名前を入沢に聞いた時から、私にはなんだか悪い予感がしていた。私は入沢が由有子を見るように理恵を見て、理恵がそういう入沢の目を、自分のいいように解釈してるんじゃないか、と思えてきた。
  私はまず理恵に会った。もっとも入沢の事を持ち出す前に、彼女とは仕事の関係や、友達づきあい上よく会うのだ。
  入沢の話しをしてみても、理恵は冗談しか言わない。元々冗談の好きな女なのだ。私もついついつられてバカ話しをするうちに、こんな事では埓があかぬと思い、いきなり核心に触れた。
「つまり入沢君と結婚する気があるのかどうかって事が聞きたいのよ」
「結婚?」
  理恵はキョトンとする。
「全然ないわよ」
  と、いとも簡単に言って除ける。私は呆れつつも、
「じゃあ、ちょっかい出すのはやめなさいよ」
「出してないわよ」
「出してるじゃないのよ。二人で夜遅くまで出歩いたり、ハワイに誘ったり、彼の家に泊まったり……そういうのをちょっかいって言うのよ」
「ああーやいてるんだあー」
「バカ言わないでよ」
  私にも、この頃になると、入沢との妙な噂については余裕が出て来ている。私にも遅ればせながらビシッとストックがあるのだ。入沢を完璧にオトモダチと呼べる身分になっている。
  ところがそんな通念は理恵には通用しない。この女には、不倫不義の類いは自由恋愛の一言で片付けられる奔放な感覚しかないのだ。信号は赤でも、自動車も来ない、おまわりさんもいなきゃ渡っていい、と自分で法律を変える人のそれに似ている。
  私は気負わざるを得ない。
「あのね、入沢先生はね、いつまでも独り身でいるわけにはいかないのよ。医者ってのはね、学校の先生とか、国会議員なみにゴシップはタブーな職業なの」
「でも、私先生の事好きだもの」
「じゃあ結婚しなさいよ」
「イヤよ。そんなの」
「どうして?」
「だって先生は私の事、そんな風には思ってくれてないもの」
  ヤケにシオラシイ事を言うじゃないか。欲しいものにはなんだって手をつけるくせして、手に入れる努力はしないってわけか。だいたい入沢の性格なら、強硬に迫れば結婚くらいはしてくれる筈である。そういう男なのだ。……と私は思う。
「それがイヤなのよ」
「ああ。優柔不断ってわけ? でもね、彼のそういう優しい所が好きなんでしょう?」
  と私が決め付けると、理恵はニヤけた。
「エヘヘー。そうなんだなあ」
  とヌケヌケと言う。
「優しい男なんだから、多少そういう所があっても仕方ないでしょ」
  理恵って女は、ポンポンとシビアにものを言い、合理主義的なわりには、どこか育ちきってない少女趣味がある。強くてグイグイとリードしてくれる男に魅かれ、その反面で、その強引さに腹をたて、思い込みが強い、とか言ってバカにする。又、入沢のような優しい、なんでも言う事をかなえてくれそうな男にホレながらも、その優柔不断さが気に食わない。要するに、それこそ漫画に出て来るような百点満点、理想どおりのイイ男でないとダメなのだ。
「そうでしょう?」
  と私が分析すると、意外にも理恵は、熱心に私の顔を見詰めて、いちいちその分析に頷いてから、ゆっくりと頭の中で整理しているかのような真面目な顔付きになった。やがて、
「違うなあ」
  と首を振った。
「違わないわよ。あんたにはそういう所があるの」
「うん。それはそうかもしれない。私に関しては前田先生の言い分は当たっている。でも、入沢先生の事は違うのよ」
「何が違うのよ」
「あれは優柔不断でも、優しいんでもないんだなあ」
「じゃあ、なんなのよ」
「無関心なんですよ。女に興味がないんじゃないかなあ。ホモって意味じゃなくってさあ」
  仕事人間という事だろうか。私は一瞬美樹の時の事を思い出して、ちょっといやな気分になった。確かに入沢にはそういう所がないとも言えない。それにしてもどうして、この女にはそういう事までわかるんだろう。驚くべき洞察力。ところが、
「それも違うなあ」
  理恵はアッサリと否定した。
「あの先生、他に好きな人がいるんじゃないのかなあ」
「堀内さん?」
「いいやー。前の奥さんかしら」
「それは多少はあるかもね。でも仕方ないわよ。後妻はその辺少しは譲ってやらないとね。理恵って意外と独占欲が強いんじゃないの?」
  確か鷹子も美樹の事を忘れてほしそうだった。しかしそんな事をこの先も言われていたら、入沢は再婚できないじゃないか。それとも、入沢と会っているとそんなに気になるのだろうか。
「そうポンポン言わないでよ。離婚した女房なんて目じゃないわよ」
  と理恵はやっぱり言い返してきた。そうだろう。鷹子ならともかく理恵が前の妻に遠慮しているとは思えない。
「違うね、前の奥さんじゃないな」
「じゃ、やっぱり堀内さんかしら……」
  私にもわかんなくなってきた。理恵の投げた推理の渦に巻き込まれてしまう辺り、彼女のペースに乗せられてしまっている証拠には違いない。
「堀内鷹子? ああ、あの青白いデルモちゃんみたいな女ね。それこそ、あんな女、目じゃないわよ」
「会ったのね」
  理恵は目を丸くあけながらバカにしたように、ヒョイと頷く。おどけたように口をすぼませている。
「まあいいわ。じゃあ誰なのよ。他に好きな女ってのは……」
  私はイライラしてきた。
「さあ……あんたかもしれない」
「バーカ。やめてよ。今までそんな事は一度も……」
  と、そこまで言いかけて、私はハッとした。今まで一度も……と言った瞬間、高校時代から今までの事が、それこそ走馬灯のように脳裏によぎった。
  由有子? 由有子かもしれない。
「ああー思い当たるフシがあるなあー、お前はー」
  理恵は、私の一瞬の表情を見逃さなかった。
「違うわよ。私じゃなくて……」
  つい私は口を滑らせた。
「誰よ」
  私はチラッと理恵の顔を見た。
「誰だっていいじゃない」
「良くないわよ。人にケッコンしろとか言っといて」
「でも、しないんでしょう?」
「するかもしれないわよ。話しなさいよ。私はね、これでも入沢先生の事は結構真剣なのよ。ただずっと先生の気持ちがひっかかってたんだから」
  と、当然と言えば当然の主張を理恵はする。
  確かに真面目に理恵と入沢の結婚の話を進める気があるのなら、由有子の事はいずれは話さなくてはならないかもしれない。それで、渋々話した。だいたいここまで言ってしまったら、理恵の事だ。話さないとどこまでもしつこい。
  ただし、高校の時のクラスメートで、幼なじみだった少女が、大学以後結婚して、それっきりになってしまった……という程度の、淡い初恋談に止めた。……というより、実際それ以上の事は何もない。



 

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