「光の情景」
作/こたつむり


〈第5章〉6
 
 この理恵が入沢と関係があるなどとは私も露知らずにいたんで、今まで書かなかったんだが、入沢が私のアパートに医者仲間を連れて遊びにきた時に、他のアシスタント仲間に混ざって理恵も入沢と会っている。だいたい、当初、
「入沢先生とひさがアヤシイ」
  などと言う無責任な噂をたてて面白がってくれた張本人なのだ。その理恵が、入沢を、
「ハワイに誘ってくれたんだよ。もっとも俺は断ったよ。仕事があって行けないしね」
  しかも、それだけじゃない。
「彼女が突然俺のアパートに来てね。泊めてくれって言うんだよ。困るって言ったんだけどね。匿ってほしいって言うんだ」
「カクマうって何から?」
「さあ……聞いても、『それは言えない。』って言うんだ」
「バカね、入沢君。それは理恵の作戦なのよ。あの女はいつだって何か、スッゴイ深刻そうな顔して、突然人の虚をついて、やりたい事をやりたいようにやる女なのよ」
「いやあ、俺にはそんな事はわからないからね。前田に電話しようと思ったんだよ」
「してくれれば良かったのに」
「いなかったよ。したけど……」
「え? じゃあ柿崎先生の家に行ってたのかしら」
「うん、そうかもしれないと思ってね」
「理恵は知ってるわよ。あの子は専属じゃなかったけど、先生のアシスタントもよくやってたから。あの子に聞けば良かったのに」
「聞いたんだよ。そうしたら、知らないって言うんだ」
「知ってるわよ! よく言うわよ。知らないハズないじゃないのよ!」
  私はレストラン中鳴り響くようなデカイ声を上げた。
「おこんないでくれよ。この上、前田にまでおこられたら、俺どうすればいいんだよ」
  彼は八の字しながら息を吸い込んだ。彼らしくもない泣き言を言われて、私も気を取り直した。冷静に聞かねばならない。
「それで?」
「それでって?」
「泊めたの? 理恵を」
「仕方ないさ。あの人寝ちゃったんだから」
「狸寝入りよ」
「いやあ、本当に寝てたよ。お酒飲んで酔ってたみたいだから」
「酔ってたあ? 信じらんない女ね。夜中にいきなり男一人の部屋に来て、酔い潰れて寝たってワケ? どういう神経してんのよ。全く……」
「俺も驚いたよ。あんなことは初めてだったもんなあ」
「当たり前よ」
  由有子でさえ、本当に家にいられなくなった時にも、私の家に泊まりに来たのだ。入沢にそんな経験のあろうはずもない。
「まさか……入沢君、何もなかったんでしょうね?」
  私は犯人に詰問する刑事のように彼を睨んだ。
「何もって?」
「つまり、その……理恵の術中にはまらなかったかって事よ」
「術中?」
「だから……ほら……つまり男と女の……なんて言うか……」
「あるわけないだろ」
  入沢は、なんだその事か、とすぐに気付いて、照れるでも赤くなるでもなく、いかにもバカバカしそうにそう言った。
「そう、そうよね。ああ、良かった」
「やめてくれよ、前田まで。俺がそんな男に見える?」
「いいや、全然見えないわ」
「全然……とか言われるのも何だけど……。まあ、とにかく俺と彼女とは何でもないんだ。そう言ってるのに、堀内さんは……」
「ちょっと待ってよ」
  私はコーヒーカップを倒さんばかりに、バシリと音をたててテーブルをたたいた。
「堀内さん? なんでそこに堀内さんが出て来るのよ。バレちゃったの?」
「勘弁してくれよ。何がバレるんだよ」
「だって、理恵の事を知ってるんでしょう?」
「ああ……」
  と言って、彼は疲れ果てたように首をグルリと回した。首の体操でもするように……。
「知ってるんだよな。どういうわけか」
「なんで知ってるの?」
「さあ……堀内さんは、俺と音無さんが二人でいる所を見たって言うし、音無さんは、堀内さんに電話して教えたんだって言うし……どっちが本当なんだか」
「なんで理恵が堀内さんの電話番号を知ってるのよ」
「君が教えたんじゃないか」
「お……教えてないわよ! 教えるわけないじゃないのよ! ウソよ!」
「ああ……そうか、やっぱりね」
「とにかく……」
  私はグイッとコーヒーを飲み干した。するとボーイが寄って来た。
「コーヒーのお代わりはいかがですか?」
「あ、ついで下さい」
  トポトポとコーヒーがつがれている。私は呆然としていた。私がこれから晴れて、やっとおヨメさんになろうとしていた間に、入沢にはなんという不幸がのしかかってきた事だろう。
「とにかく、何でもっと早く連絡して来なかったのよ」
  すると、入沢は今までの話しが全部、他人事か世間話だったかのように、クスクスッと笑った。いつもと変わらぬ明るい爽やかな笑顔だ。
「俺がそんな事を持ち掛けたら、前田は結婚の好機を逸してたんじゃないかな。良かったよ、黙ってて」
「バカ言わないでよ。結婚なんて簡単だわ」
「そうかな?」
「そうよ。まあいいわ、そんな事はどうだって……。じゃあ堀内さんの言ってることの方が正解っぽいわね。彼女、あなたと理恵をどこで見たって言うの?」
  すると入沢は、大人びた表情で少し首を傾げた。
「成田」
「成田あー? そんな所に、何しに行ったのよ、二人で」
「行ってないよ」
「ウソおっしゃい。だって堀内さんが見たんでしょう?」
「いいや、本当に行ってない。彼女、他の人たちと見間違えたんじゃないかなあ」
「それ、堀内さんにちゃんと言った?」
「言ったよ」
「そしたら?」
「こうだよ。
『どうしてウソをつくんですか? 入沢さんあの人とハワイに行ったんでしょう?』
  って言って泣き出すんだよ」
「ああ……」
  私は溜息をついた。
「それは最悪だわね。彼女そう思い込んでるのよ」
「そんな感じだね。何言っても信じてくれない」
「あの人の指、直ったの?」
「と言ってたんだけどね。このごろは会ってないからよく知らない。内科の方にも来てないんだよね。佐々木先生に、
『君が原因かな?』
  なんて冷かされるんだ。冗談じゃないよ」
  なんというドロ沼なんだろう。もう壮絶を絵に書いたような風景ではないか。佐々木先生というのは、内科でも一番年長格の先生で医長を担当している。私も受診した事があるのでよく知っているが、とても優しくて落ち着いた人徳者だ。医長が佐々木先生だったから良かったようなものの、普通で考えたら、医者と患者の情のもつれで患者の病状に進展が見られない、あるいは悪化している……なんて、有り得べからざる大問題だ。入沢もよく医者をやっている。

  しかし、それにしても……。私は家に帰ると、急におかしくなった。これは世に言う三角関係って奴ではなかろうか。
  三角関係。あの入沢が、女二人と、ドラマや小説や漫画に出て来るような、奇妙な心の糸が織り成す恋愛図……。
  プッと吹き出してしまう。何しろ私は、まだ少年と言っていい年令から、彼の事を知っているが、彼は確かに女には大層もてていたし、多角形を作ったっておかしくないのだが、高校時代ならともかく、あの後、彼は自分から進んで女っ気のない世界ばかりを歩いてきたではないか。
  むろん、女嫌いだからではないが、入沢には三角関係……などという艶っぽい言葉は、どうにも似合わない。研究室にこもってモクモクと顕微鏡を覗いているのが、入沢のほぼ全容と言って良い。女どもは彼の何を見て、そんな関係を作ってしまうのだろう。よくわからない。
  しかし、理恵を入沢に会わせたのは他ならぬ私だ。責任の何分の一かは私にもある。笑ってばかりもいられない。この先、私も病院で鷹子に会わないとも限らないではないか……。



 

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