「光の情景」
作/こたつむり


〈第5章〉5
 
「違うの。なんて言うのかしら……我が強いって言うのか、思い込んだ事は何でもやるって言うのか、そんな所が似てると思うの」
「でも、先生と上月は全然違うタイプよ」
「そうかしら」
「そうよ」
「そうかなあ……」
「ねえ、由有子。あなたいつから上月と似てるなんて思い始めたの?」
「はじめっからよ」
「ええ! 結婚する前から?」
「ええ。初めて会った時に、上月君の事を思い出したわ」
  私にはどうしても、関沼先生と上月が似てるなんて思えなかったんだが、もし、由有子が関沼先生をそんな風に見ていたなら、なんでそんな男と結婚したのだろう。信じられない事だ。
「由有子って不思議だわ」
「どうして?」
「だって……」
  そう言われてみれば、高校の頃から、由有子は上月に対して他のクラスメート(私も含めて)とは違った目で見ていた所があったように思う。
「私、気になるのよ。ああいう人」
  そんな風に言っては、特に好意というわけでもないのだが、多少同情的な目で上月の異常性格を見守っていた。

  その後、由有子に遅れて関沼先生が帰国すると、由有子は俄かに忙しくなった。先生は日本で行われる学会に出席したり、大阪の教授に会いに行く用意のため由有子を連れ歩くし、私は私で、それこそちっとは真面目に漫画の構想を練って、早くネームを担当さんに渡さなくてはならなくなり、会えない日を送るうちに由有子はアメリカに帰って行った。
  ところで、私についた担当についてちょっと書いておきたい。三才年上の男性で、用田昭彦という名前だ。現在の私の夫である。
  気恥ずかしいんで、あんまり書きたくないが、別に運命的な出会いとかいったようなロマンスはない。彼は私のそういう点、結構潔癖と言えば潔癖、神経質というか、奥手というか、保守的というか、単に照れ屋というか……そういう部分に気を使ったのか、会ってすぐにプロポーズしてきた。
  関沼先生が由有子に対して気を使ったのと同じで、漫画家とその担当者という立場上、どっちか一方の思い込みだけで妙な関係になったりすると、身動きが取れなくなる。味気無いと言えばそれまでだが、用田のいささか事務的なプロポーズは私には助かった。一応それさえはっきりしていれば、いついつ結婚する、という事まで決めなくても、まあ気楽につきあえるものである。
  それにまつわるナンチャラカンチャラは、この際省かせてもらう。なにしろそれによって入沢とも胸を張って会う口実が出来た、という事だけ記しておこう。
  入沢には電話で知らせた。
  例の一件以来、彼には九か月の御無沙汰である。この頃の入沢は前にも増して忙しそうだった。さすがに新米の頃に比べて雑務に追われている様子はなかったが、それでも、夜遅くまでなかなか家に帰って来ない。
  この日は病院の機械が壊れたとか言っていた。そんな事まで医者が面倒を見るのか……と相変わらずの忙しさに久し振りに驚かされた。しかし、彼は離婚以来、私が案じていた程、気落ちしている様子もなく、元気に話しをしてくれた。
「前田が結婚?」
  入沢の声はちょっと高くなった。
「意外と早かったな」
「なんなのよ。それは」
「ああ、ゴメンゴメン。いやあ、でも良かったよ、おめでとう。それで、式はいつなの?」
「まだ決めてないけど、私、できたら二十七才のうちに……て思ってるの」
「うーん。焦らない方がいいと思うけど……」
  私はそういう彼の言葉にちょっと黙ってしまった。今にして思えば、入沢の結婚……あれは早すぎたかもしれない。美樹の適齢期にこだわらず、あと一、二年遅らせていたら、あるいは離婚という局面を迎えずに済んだかもしれない。
「夫婦としてスタートしてしまってから、あちこち修正を加えながらつっ走って行く事に疲れた」
  と美樹は言っていたが、本当にその通りだったかもしれない。あと二年遅らせていても美樹は二十八才。結局私とそうは変わらない年令だった筈だ。増してや入沢は結婚当時二十四才だったのだ。傍から見ると二人ともずっと大人びて見えたもんだから、誰一人として尚早の言葉を口にしなかったんだろうが……。
「そうねえ、実の所、三十才くらいまではいいかなあ、と思ったんだけどさ」
「それは、ちょっと待ちすぎだよ。間を取って二十八才にしたら?」
「何なのよ、間を取って……って言うのは」
  私は笑った。入沢の頭の中で(27+30)÷2≒28という計算が瞬時になされた事がおかしい。
  しかし、私も用田も特に焦ってはいなかった。ただ、やはり二十七才(用田は三十)ともなると、そろそろ諦めというか。結婚に対する心の準備や覚悟も出来てくる。今更つきあって愛を確かめ合って……という過程も、はっきり言って面倒くさい。そんな事をやってるうちにダラダラと腐れ縁になって、結局結婚するのは面倒臭いや……となったら、それこそ悲惨だ。潮時というものがある。結婚ってのは勢いがいる。
  入沢はすぐに、
「会ってみたいなあ、その人に」
  と朗らかに笑いながらせがんできた。
「今度つれて来るわ。彼も入沢君に会ってみたいって……」
  と私が言うと、
「その人に俺の事話したの?」
  とちょっと驚いた。
「うん。噂の彼氏にされるのが厭で、絶交されたって言ったら、
『そりゃあ、やっぱり医者だなあ。国会議員の先生みたいな人じゃないの?』
  って言ってたわ」
  入沢は慌てた。
「俺、絶交なんかしてないよ」
「うふふ……。冗談よ。ゴメンゴメン」
  冗談は冗談だが、入沢の事は用田も知っている。なにしろずいぶんと仲間内で噂されていたのだ。確かに入沢があの時「絶交」でもしてくれなかったら、用田も求婚してくれなかったかな……と少し思った。

  久し振りに私は入沢と待ち合わせて夕食をとった。
「入沢君の方こそ、その後どうなの?」
「その後って?」
「堀内さん。つきあってるの?」
「ああ、それがね……」
  と彼はおもむろに頭を抱えた。
「まいったよ」
  と溜息をつく。
「え? どうしたの? 何かあったの?」
「いやあ、あった所じゃないよ。俺ってつくづく世間知らずなんだな」
「何、何、どうしたの?」
「いやあ、この事を前田に言いてえ話してえと思ってたんだけど……」
  彼の口から、
「言いてえ話してえ」
  なんていう言葉を聞くのは初めてだ。私はプッと笑った。
「言ってよ。どうぞどうぞ」
「実はね……」
  と彼は指を組んだ上に彼のあごをヒョイと乗せながら私を見た。例の八の字眉になっている。
「音無さんって知ってるよね」
「え? 理恵の事?」
「そう……」
  音無理恵は私のアシスタント仲間で、私より一年前にデビューして、今は漫画家になっている。デビューしたとたん売れっ子になってしまった上に、大変な社交家で、彼女のまわりには大勢の人間がいつもいるし、男関係もどれが本命なんだか、ようわからん……という華やかな人物である。





 

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