「光の情景」
作/こたつむり
〈第5章〉3p
しかし、この日の彼女は、以前のような子供ではない。あの頃は我家で急にベソをかいたりしたものだが、今はもう立派な大人だ。うちにいても、かなり冷静に事実を語ってくれた。
「お母さんがね、急にポロポロ泣き出しちゃったのよ。私もその時から、これはちょっとヤバイな、と思ったんだけど、お父さんも会社に行ってていないし、しばらくそのまま一緒にいたんだけど、少し経ってから私が、
『お母さん、横になった方がいいわよ。』
って言ったの。お母さんを寝かしてから、お医者さんに来てもらおうと思ったのよ。そしたらもう突然よ。お母さんが、私の肩をつかんで、
『由有子、あんたこそお母さんに心配ばっかりかけて』
って嬉しそうに大きい声で言ったの」
「嬉しそうに?」
「ええ、そうなの。お母さん泣き笑いしながら、
『良かったわ、でも心配ね。心配だわ。お母さん心配よ。』
って連発するのよ。私もう慌てちゃって……」
「良かったって何が?」
と私が聞くと、由有子はパタリと目を閉じた。そしてイキナリ深呼吸をする。やがて、
「聞いて、ひさ。……私、赤ちゃんができたの」
と告白した。
「ええー!」
そりゃあ由有子の母親でなくとも興奮するではないか。
「やだあーっ! それを早く言ってよ。この子は……」
全く事後承諾な子だ。
「由有子、おめでとう!」
「ありがとう」
由有子は少し笑ったが、今は母親の事が気にかかるのか、あんまり舞い上がっている感じじゃなかった。私も慌てて我を落ち着かせた。
「それで……お母さんが?」
と、続きを促した。
「そうなの。それでなのよ。急に泣き出しちゃったの」
と、やっと話しがつながった。
「私も慌てて、
『大丈夫よ、お母さん、心配しないでね』
って言ったんだけど、お母さん、心配だ心配だって言い続けるのよ。私、もうこういう時はどうすればいいんですか? ってメアリ先生に聞きたくなっちゃったわ。私はそういう急な事態にはあんまり遭った経験はないし、自分の母親でしょ? 子供の時と頭がゴッチャになっちゃって……。全くアメリカでやってた事なんて、何の役にも立ちゃしないわ。関沼の言った通りね」
と言いつつも由有子は、ケラケラッと明るく笑う程に大人になっているではないか。高校時代、入沢の前で感情的に怒髪天を衝いていた彼女とはまるで違う。
メアリ先生というのは、由有子と組んでカリフォルニアの学校に子供の相談を聞きにいってるカウンセラーだ。もっともそれが本職というわけでもないらしい。やはり関沼先生のように大学に勤めていて、児童心理学が専門と言う事だ。だから、その先生自身は主に子供の心理状態をチェックしてデータをまとめるために、学校に来ているのだが、その他に、子供のための奉仕活動をする、主婦が中心になってやっているサークルがあって、由有子はそこに所属していた。
由有子はメアリ先生と先に知り合い、そのサークルにも先生の勧めで入った。今ではメアリ先生の手伝いをする側に回っている。名前はメアリでも、日系二世でフルネームはメアリ・コンドウという。
「お母さんが、私が病院に行って、疲れただろうから少し横になりなさいって言うんで、私おとなしく二階に行ってベッドに横になったの。本当はお母さんの方こそ休ませなければならなかったんだけど、言う通りにした方がいいと思って……。そしたら、お母さん、私のベッドにまでついて来て、私が寝てからも、まだ泣いているの。私の髪の毛を撫でながら、
『いい子ね、由有子みたいないい子が産まれますように』
って言ってくれたんで、つい私もホロリと来ちゃって、
『お母さん、本当に心配ばかりかけてゴメンネ』
って言ったの。そしたら、急にお母さんが、
『本当に心配だわ。あんたは又アメリカに行っちゃうし、私もこんな病気だし、どうすればいいのかしら』
って言い始めて、又、心配だ心配だ、が始まっちゃったの。揚げ句の果てに私の首を絞めるの」
「ええーっ!」
なんてショッキングな……。
「私怖くなってきちゃって、喉が乾いたとか言って下に降りて、急いで病院に電話したの。それで先生に来てもらったら、先生が、
『ちょっと、由有子さんに又離れてもらった方がいいかもしれないな。こりゃあ……』
って言うんで、ひさに電話したの。お母さんったら、先生に入院は嫌だって言うんですもの。私がどっかに行く方が無難だと思って……。ごめんなさいね」
「とんでもない。大変だったわね」
「ええ、本当に」
と言って由有子は溜息をつく。
「どういうわけか私と居ると、お母さんって、時々ああなっちゃうのよ。もっとも、たまにしか帰って来なくて、いきなり妊娠した……とか聞かされたら、それなりにショックは大きいだろうけど……」
そう言って由有子はケーキの箱を私に渡した。
「そういうわけで、こんなもんで悪いんだけど、これ、持ってきたの。食べてくれる?」
由有子の実家の近くのケーキ屋さんで売っているブランデーケーキだ。
「わあ、嬉しい。ここのブランデーケーキおいしんだもの」
と私は喜んだ。なんだか以前と似ている。高校の頃も、由有子はいっぱいお菓子を持って来た。もっとも少しは内容が大人になっている。袋いっぱいのスナックやビスケットやチョコレートが高級ブランデーケーキに変わっただけの事だが。
「でも、私、ひさがお仕事中でなくて良かったわ。片桐の伯母の家に行かなきゃいけない所だったもの。昔ならともかく、こんな年になって、恥ずかしいわよね。やっぱり……」
と由有子は溜息をつきながらも、やれやれ……という笑顔。
「仕方がないわよ。非常事態だもの」
と言いつつ、私は由有子の落ち着いた態度にともかく安堵した。
ところが、夜になると、
「ごめんなさい。私やっぱり眠れないかもしれない」
と由有子が言い出した。私達は二人とも床に入っていた。
「私なら平気よ。もともと夜型の生活だし」
と言って、私も起き上がり電気をつけた。
「でも、由有子、赤ちゃんもいる事だし」
と私は心配になった。
「そうなんだけど……」
と言いつつ、由有子はもう起きて布団の上に座っている。ひざを抱えながら、
「お母さんじゃないけど、私心配だわ」
と彼女は言った。
「お母さんの事?」
「それもあるし……」
「赤ちゃんの事? 向こうで産むの?」
「ええ……でも、アメリカの方が日本よりよっぽど出産するのは楽だって聞いたし……。私、お母さんにそう言ってあげれば良かったわ」
「お母さんも、今は心配だけど、そのうち落ち着くんじゃないかしら」
と、私は無責任なようだが、気慰めに言った。
「そうね。お父さんも今はいる事だし」
「そうよ。由有子だって関沼先生がついているじゃないの。先生には連絡したの?」
「あ、まだだわ。しなくちゃね」
「カリフォルニアは今何時?」
「ええっと……朝だわ」
「連絡してみる?」
「いいのよ」
「遠慮しないで」
「でも、もうすぐ後から来るし」
先生は由有子より遅れて日本に来る事になっていた。