「光の情景」
作/こたつむり


【第2部】


〈第5章〉1
 
  あれから、約一年半が流れた。
  入沢や由有子について、又書きたい。 だが、その前に、僭越ながら自分の経過について書いておきたい。
  漫画家としては少々遅いデビューを切った私は、初めの一年が結構キツかった。何かと忙しかったこともあるが、精神的に落ち込む事も多かった。そして、その苦悩をどうして乗り越える事ができたのか、何によって開眼したのかを書きたくて、私は再び筆を取った。
  デビューはしたものの、いきなり有名作家になれるものじゃなく、わかってはいたものの、自分の作品を書くかたわら、今まで通りアシスタント業をこなさねばならず、だいぶ疲労もした。
  私についた担当者やその背景である出版社は、比較的私にも私の作品にも好意的だったし、アシスタント時代(もっとも今でも時々手伝いに行く)指導して下さった柿崎先生や、同じアシスタント仲間にも、ちょっと返せないほどの恩恵を被り、他の作家よりは困難の度合が低かった事は確かだ。だいたい、持ち込んだ出版社系統が柿崎先生の載せている雑誌の編集チームで、ここは、どちらかと言えば漫画家に対して理解のある所だと思う。
  それでも時には、デビューの時期が早すぎたとたじろいたり、ひどい時は、元々自分にはプロとしてやっていくだけの才能も適性もなく、今からでもやめてしまった方が良いのではないかと自暴自棄に陥ったりした。
  私は、同人誌活動などしている人達の中に、プロの漫画家に対して、
「大衆ウケする絵柄と、流行に振り回されているだけのストーリー」
  などという批判がある事は知ってはいたが、彼らの書いてる物には、
「一人よがりの自己満足と、思い込みだけの倒錯世界」
 と内心で言い返してきたし、プロである以上、大衆のバカさ加減に負けてはいけない、と自分を励ましてもきた。読者のレベルにあわせつつ、少しでも良い作品を打ち出していく姿勢が作家になければ、どこの本屋でも手に入れられる雑誌は無意味な紙屑になってしまう。
  こういう考えは、プロを放棄していた時期、特に社会人の頃には背を向けていたものだったのだが、柿崎先生と出会う事によって、洗脳された部分は大きい。
  柿崎先生の所に出入りするようになってから、同人誌が、知る人ぞ知るマニア嗜好のメディアという立場を脱却しない限り、大衆雑誌の中に自己の表現の場を見出す以外方法はない、と思い始めていたのだ。
  ところが、デビューして一年も経たないうちに、私の心境は、逆に同人誌作家のそれにごく近くなってしまった。
  私は、どんなバカな読者にもわかってもらえるように、随分と表現上の注意を払ったつもりだったのだが、それでもわからない奴にはわからない。……というより、全く注意を払って作品を見る気がない。
  片や、
「回りくどい表現はウンザリです。読者をバカにするのもいい加減にして下さい」
  という読者からの便りを貰った時には、思わず、
「貴方の言う『回りくどい表現』でもわからない人がいるのです。公共の場に作品を載せる作家の悲哀というものでしょうか」
  などと言い訳じみた返事を書いてしまった事もあった。それも、返事など書いてる暇もないはずなのに、書き返さずにはいられない心境に背中を押されて……である。
  しかし、上記の手紙などは、貰えるのはまだ作家として幸せな方だ。これも総て、多少は作品の質や、作家の言い分を考え、聞いてくれる編集社の雑誌に載せてもらっているから味わえる葛藤なのであって、多くの漫画家は、読者が何を考えて自分の作品を読んでいるのか、又は単に、自分の作品を読んでもらっているのかどうかすらわからないで、あの、シチ面倒臭い手作業を繰り返し、やっと収入を得ているのである。
 漫画雑誌の読者リサーチほど、信用ならないものはない。雑誌の中に懸賞プレゼントコーナーなんかがあって、往復ハガキに答を書かせ、読者に投函してもらうのだが、これで書き手のランキングが決まったりするのが、だいたいの雑誌の傾向である。
  あれで本当に読者の本音を掴めるのかどうかは疑問だ。私の知る限り、プレゼント欲しさでハガキを投書してくる連中に、ロクな読み手はいないと思う。しかし、こんな状況の中で、どこか奴隷的な気分に自らを落とし、
「とにかく仕事が来るんだから、誰が読んでいようが、いまいが書くしかないさ」
  と言って書いてる漫画家は圧倒的に多い。
  に比べ、非難であれ誤解であれ、作家に何らかの反応を示そうとしてくれる読者がいる限り、私は、小さなコンビニエンスストアの雑誌コーナーに今なお、良識を踏まえた漫画雑誌購読者が現れては、私の作品の載る雑誌を手に取る現実を信じる事ができる思いだった。
  こんな事柄について考える時、私はよく由有子の事を考えた。由有子が以前、ピアノをして、音大に上がるべきかどうかを考えていた事を……。漫画には音大に匹敵するアカデミックな教育機関などない。しかし音楽でも漫画でも、およそ芸術、文化に関する事柄を職業にする事に、おそらく誰もが感じる心の葛藤を、初めて私に教えてくれたのは由有子だった。
  高校という、外部からの情報から隔絶した(本来そうあるべきではないのだが)環境にあって、彼女の捕えていたその葛藤は、音大にイザ入ってみると、あるいは見当ハズレだった部分もあったかもしれない。しかし問い詰めていけば、いつかはその壁にあたった筈だ。そういう意味では、当時の由有子の感性は、あれはあれで優れたものがあった、と私はつくづく思ったものだ。
  そして、私はそんな内容の手紙を何通も彼女に書いて送り、彼女からも、手応えのある、的を得た返事を受け取った。高校の頃からそうだったように、由有子の手紙の文面からは、漫画くらいの事で、何をそんなに悩むのか……といった見下しや嘲りは、ほんの少しも感じられず、また、取り合えず友人として同情するといった立場も越えて、真実、心から共感し、批判し、応援し、より良い在り方を考えてくれようとしている気持ちが伝わって来た。
  その由有子がやっと日本に帰ってきた。もっとも一時帰国である。十一月の終わり頃だった。
  入沢との間にあらぬ噂が流れ、私と彼は多少不自然な決別をしたのだった。その事については、由有子にはあまり詳しくは知らせてない。ただ、
「入沢君とは最近すっかり御無沙汰してます。彼も早速再婚の話しが回りで取り沙汰されているし、私も回りがいろいろとウルサイので、ちょっと二人とも落ち着くまで行き来しない方が無難かもしれないなあ、という気がしてます。でも、彼は元気でやってるみたいだから安心して」
  と、手紙で一度書いただけだ。
  私も入沢も、この不自然な決別には不満だったが、おそらく由有子も不満だったのだろう。しかし彼女は、こういう空気には察しのいい人だから、その事については何も言っては来なかった。ただ、何気なく手紙の中に、
「心理学というとムズカシイと思われちゃうかもしれないけど、アメリカでは、大衆にまで親しまれています。今、こんな判定法がはやっていて、占い感覚でできるやり方なので、同封しますからひさもやってみて結果を教えて下さい。私は健ちゃんはS型だと思うんだけど、やってみたら意外と違うタイプだった……という人もたくさんいるので、健ちゃんにもやらせてみて下さい」
  とか、
「健ちゃんは相変わらず筆無精なので、私はちょっとおこってます。ひさからも健ちゃんに手紙を書いてくれるように言って下さい」
  とか、
「私の友達が日本に帰るんだけど、帰ってから家の近くで通院したいと言ってるんです。彼女の住所を書きますから、どうか、健ちゃんにいいお医者さんを教えてもらって下さい」
  などと書いて、私と入沢の掛け橋を作ってくれた。由有子は自分でできる事は必ず自分でする人で、手紙にある依頼は口実だとすぐにわかったんだが、私は彼女の気遣いがやはりうれしかった。又、入沢からも電話で、
「由有子に『漫画で読む血液型別性格判断』という本を送ってくれと言われたんだけど、知ってる?」
  なんて聞かれた事がある。
「うーん知らないなあ。最近漫画で読むナンタラカンタラっていうの、結構多いからなあ……」
「医局では誰も知らないんだよ。血液型の本なんて、俺たちにはあんまり縁がないし、あっても専門書しか読まないから……。漫画っていうからには、前田の方が詳しいかもしれないと思って」
「漫画書店に行けばあるかもしれない」
「どこにあるの?」
「渋谷」
  なんて会話をした事がある。入沢の話では、由有子が行っている日本人学校の生徒の中で血液型占いがはやっていて、そんな本がある事を聞いたというのだ。何はともあれ、由有子の奴……と私はほほ笑んでしまう。考えたな、という思いだ。

 
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