「光の情景」
作/こたつむり


〈第4章〉6
 
  全く、私立探偵のごとき事をやってるが、私は、実の所バカをやってると思いつつも、結構楽しんでいた。
  というのも実は、この一件については、アシスタント仲間に話した所、大ウケしてしまい、みんなあの手この手を考えてくれたのだ。勿論入沢の名前は伏せておいた。
「私の友達がさあ、病院に来る女の子に一目ボレしちゃって、彼氏がいるかどうか確かめてほしいって言うんだよね」
  という所までは私の精一杯のウソ。その先は、
「そりゃあ、やっぱズバリ病院で会うしかないっすよ」
「でも、病院で張ってたら変な奴だと思われるじゃない?」
  ってな具合に相談に乗ってもらった。連中はこういう事には世慣れている、というより、悪巧みには命を掛ける所があって(まあ、刺激がないんだと思う。漫画の世界と自分の住んでいる世界とは掛け離れているから)、面白がって知恵を絞ってくれた。
  正直言って、入沢には、それこそ売り言葉に買い言葉のノリで彼女に会うと言ったんだが、あの後、その思い付きのバカバカしさ、おのれの軽挙妄動の愚かしさにウンザリして、やめる気になっていた。ところがアシスタント仲間の間で、この話しが盛り上がってしまって、けしかけられ、ちょっとやってみようかな、というイタズラ心が生まれた。今、それを実行中。
  彼女に会うまでは、それでも面倒くさかった。本当はアシスタント仲間に言ったような、色っぽい事情じゃないのだ。色っぽいには色っぽいのかもしれないが、ついては困る方の色であって、恋の掛け橋どころかその反対なのだ。自然面倒くさくなっても仕方がない。
  ところが彼女に会ってみたら、そういう重い気分は無くなった。美樹と比べる気持ちもどこかに行ってしまった。病院という所は、なんとなく話し相手の欲しくなる所なのかもしれない。もしも、今回の事情がなくても、ひょっとしたら私と彼女は話し友達になっていたかもしれない。
  なにしろ回りには病人だらけで、自分もとんでもない病魔に襲われているんじゃないか、なんていう気になる。誰かと話しでもしていないと、なんだか暗ーい気分に陥ってしまう。
  私は、多少いつもよりおしゃべりになっていたかと思う。やはり同じ年頃の女性がいるだけで、話していて気分が晴れる。
  私が名乗ると彼女も名乗ってくれた。彼女の名前は堀内鷹子という。わりと簡単に、彼女が例の一見の当人だという事はわかった。
「お医者さんって、なんだか怖い所があるから、緊張しちゃうなあ」
  と私が言うと、彼女は、
「大丈夫ですよ。ここの先生方はみんなとても親切ですから。私も最初は変な病気だったらどうしようと思ってたんですけど、取り合えず内科的には大きな問題はない事がわかって、ホッとしているんです。私、元は他から内科を紹介されてきたんだけど、ここの先生がね、とても親切に教えて下さって……。ちゃんとどういう病気か説明していただけば、きっと安心しますよ」
  と入沢言ったのと同じ事を言ったので、私はハッと元の用を思い出した。
「私の友達がちょうど、ここの内科にいるんです。今日は彼が来ているので、ちょっと安心だわ」
  と言ってみた。
「え? お友達が?」
  案の定、鷹子は引っ掛かって来た。
「ええ、ご存じかしら。入沢っていうんです。その人」
  とさらにエサをつけた。
「え? 入沢先生?」
  と、まあ彼女の釣れようは上出来。ここまで来たら、ほとんど生け捕りにしたようなもんだ。後は私が入沢とどれほど長くつきあい、どれほど親しくやってきたかをペラペラとしゃべった。この辺は、アシスタント連中につけられた知恵だ。
「その子が、あんたの友達に気があるなら、絶対その友達の事を話せば、引っ掛かって来るわよ。『別に』って顔されたら、適当にしてやめときな。変にしつこい印象つけたら、あんたその友達に恨まれるわよ」
  なんて言われたわけだ。もっとも連中は私の友達というのが医者だとは知らないから、私の友達が彼女に全く覚えられてなかったら、どうするんだ……なんて話題がとうとうと続いた。その時の連中の会話を今思い出しながら、この女が入沢を覚えてないなんて事があるものか、と私は思っていた。
  それどころか、はっきり言って、私はハナッから鷹子は、入沢に気があると思っていた。ほとんど確信していたのだ。だから絶対この手で行けば。相手に手応えがある筈と睨んでいた。そして果して的中だった。
「あの先生ステキですよね」
  だの、
「高校の時からお友達だなんて羨ましいわ」
  だの、
「でも、奥さんがいらっしゃるんでしょう?」
  だの、私の読み以上の反応が返って来た。どーだ。入沢め、ザマーミロ。なあにが、
「そんな人じゃないと思うけどなあ」
  だ。理科アタマの読みより、漫画アタマの読みの方が、絶対に鋭いのだ。
  それにしてもナルホド美人だ。年令は私より四才も若いのに(当時の私は二十五才、鷹子は二十一才だった)なんともムードのある美少女で、女優にしても悪くないぐらいだ。どこか、そこはかとないはかなさがあり、色白で何か病的で、きゃしゃなガラス細工人形のようだ。彼女と話しをしながら、これは少女漫画のキャラクターに使えると直感したほどだ。
  しかし、そのはかない外見以上に、彼女は気の毒な状況を背負っていて同情を禁じ得ない。
  彼女は音大の学生で、その時四年生。ピアニストになるのを夢見ていたのに、去年から急に指が動かなくなってしまった、という。いろいろな病院を転々とした揚げ句、指の骨や関節に特に異常が見られず、このM大病院を紹介されてきた。
  私はこの時になって、つくづく入沢が、
「彼女も病人なのだ」
  と言った言葉が身に染みてきた。本当にその通りだ。私は、化けの皮を剥いでやるような気持ちで彼女に接近した自分を、この時少し恥じた。無論、だからといって、入沢の家にまで押し掛けて来るやり方は尋常ではない。が、彼女にしてみれば何かを救いにしたかったのだろう。
「私、どこの病院でも、気にしすぎだとか、そのうち直るとか、原因不明とか言われちゃって、ちょっとノイローゼみたいになっちゃって……。こんな指じゃピアノどころかまともに就職もできないかもしれないと思って、夜も眠れなくなっちゃったんです」
  と悩みを打ち明ける彼女の言葉は痛切そのものだった。鷹子はそのうち、神経科に通っている事まで、私に話してくれた。
  病院とは不思議な所で、家族や親友にも話せないような事まで患者同士が打ち明けあったりしてしまう。行きずりの安心感もあるし、同病会い憐れむ向きもある。心が弱くなっているせいもあるのだろう。
「元々、母は私が音大に行くのには、あんまり賛成じゃなかったんで、この際ピアノはやめなさい、と言うんだけど、私どうしてもやめたくなくて、指がいつまでに直るのか、それだけでも知りたくて、神経科の先生にも聞いたんですけど、なんとも言えないって言われて……。行けば励まして下さるんですけど、何だか、来るのを嫌がられているような気がして」
  それで、入沢の家に行ったのかもしれない。もっとも、そこで、
「あなた、入沢君の家に行ったでしょう」
  とも言えないから、私は黙って聞いていた。
  M大病院に限らないのかもしれないが、大学病院というのはやたら混む。診察が終わり、会計が終わると今度は薬を貰うためにエンエンと待たされた。その間、私と彼女は話をしながら一緒に待った。
  彼女は元々間接リウマチの検査のため内科に来たそうで、その時は入沢以外の内科医が彼女の担当だったそうだが、そちらには異常はなく、今は主に胃腸の具合が悪いという事で通院している。
  胃腸の病気というのも、精神的な所から来ているらしい。
  この日、私も神経性胃炎だと言われた。今度来る時には婦人科にも行くように……と、ついに美樹の言った通りになった。基礎体温を測り、その記録を持って来い、と言われた。その上、胃の検査をする事になった。前の日の晩から、何も食べてはいけないそうだ。たいした重病人扱いではないか。
 

 

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