「光の情景」
作/こたつむり


〈第4章〉5
 
「内科的には問題はないって言って、送っていった。それだけなのね」
「いいや、次の日に彼女の主治医の先生に言ったよ」
「アタマのおかしい患者が、ウチまで押し掛けて来たって?」
「いや、彼女に病気の説明をしてあげて下さいって」
  私は溜息をついた。やはり入沢は白だ。
  それにしても、この先もそんな女が入沢につきまとうようでは困るではないか。美樹だって、もしも離婚を思い止どまってくれたとしても、こんな事が度々起こるようでは、気が揉めるには違いない。
  つきまとう理由はよくわかる。入沢はどう思っているか知らないが、理由はただひとつ、入沢がイイ男だからに決まっているじゃないか。
「その人の病気って重いの? なんの病気なの? 入沢君は全然知らないの?」
  私が勢い込んで聞くと、入沢は眉間に皺を寄せてちょっと首を傾げた。何も言わない。
「どうなの?」
  私がさらに聞くと、入沢が、
「なんでそんな事を聞くの?」
  と落ち着いて言った。
「医者を家まで追い回すほど、重大な病気なのかどうかを聞くためだわ」
  私も対抗して、わざと落ち着いて答えたが、内心ではこっちが聞いているんじゃないか、とイラだってきた。
「重大な病気でも家まで来たのは、彼女が初めてだよ」
  彼はちょっと笑って言ったが、すぐに、
「内科的には大きな問題はないよ。元は内科の病気じゃないしね」
  とさっきと同じ事を答えた。彼特有の穏やかで優雅な話し方になっている。私はそれを少しセカセカと聞いた。
「……で、結局元はなんの病気なの? なんで内科に紹介されて来たの?」
「病気については言えない。前田だって病気になって医者にかかって、それを誰かにしゃべられたら困るだろう?」
  そうか彼は医者なのだ。……と、私もその患者の病気について質問するのは諦めた。そのかわり、
「その人って入沢君の事好きなんじゃないの?」
  と聞いた。
「どうして?」
「だって、元は内科の病気じゃないのに、内科の入沢君の家に来たんでしょう?」
「そんな人じゃないと思うけどなあ」
「なんで?」
  すると入沢はちょっと私を見た。やや面倒くさくなってきたな、というのが私にはわかった。
「会ってみるとそういう人じゃないように見えるからね」
  と入沢は言った。売り言葉に買い言葉だ。
「じゃあ、私会うわ」
  とつい言ってしまった。入沢は落ち着いている。私を見て、
「会ってどうするの?」
  と聞く。私は肩をすぼめて、
「別に。見てみるだけよ。そうすればわかるんでしょう? 入沢君となんでもないって事が」
  彼はフウッと溜息をついた。
「そんな事できるわけないだろ?」
「できるわよ。別に入沢君に許可してもらわなくたっていいわ。私が勝手に見に行くんだから」
  バカバカしいと思いつつも、引き下がれなくなってしまった。一体会ってそれこそどうするつもりなんだろう、と自分でも思った。その人がなんでもないという事が証明できたら、美樹が離婚を思い留まってくれるとでもいうのだろうか。
  入沢は、別れ際にふと私を振り返って、
「手加減してやってくれよな、その人も病人なんだから」
  と優しく笑いながら言った。
  瞬間、私はムカッと来た。
  そういう庇い方が美樹もこたえたんじゃないかと思った。
  医者なんだから当然と言えば当然なんだろうが、長年の友人である私に対して、随分と失礼なものの言い方ではないか。
  少なくとも私は、入沢の事を心配してこうして来てやってるのではないか。
  確かに余計なお世話だったかもしれないが、友情なくして、なんで暇でもないのに、そんな女を見て見ようと思うものか。
  だいたい、私がその患者に何をすると言うのだろう。入沢はちょっといい気になってるんじゃないか。医者という、彼の年令にしては高級な身分に得意になっている、その専門の立場からだったら何でも言えるような気でいるんじゃないか。私は信用を傷付けられた気がした。
  実の所、私はこのころ例の冷え症による神経痛が出ていた。その上生理不順にもなってしまった。なんだか慢性化してしまったようで、まだ若いのに足腰が痛いなんてのは、なんともカッコがつかないんで、入沢には言わないでいたんだが、美樹には話した。
「言わないどいて下さいよ。カッコ悪いじゃないすか」
  と、言ったのだが、美樹は真面目な顔をして、
「バカな事言うんじゃないの。診てもらいなさい。そんなの慢性化してしまって、赤ちゃんでも産めなくなっちゃったらどうするの? 婦人科に行くのは抵抗あるかもしれないけど、妊娠とか中絶のためだけに行く人ばかりじゃないんだからね。なんなら内科で内診してもらうだけでもいいわ。まあ、いずれ婦人科にまわされるでしょうけど」
  と、結構親切に教えてくれたりしたんだが、忙しいし、そのうち直るだろうってな具合に思ってしまい、行かずじまいになっていた。
  今、少々反省している。本当に慢性化してしまったし、悪化しているような気もする。特に徹夜明けの時なんか、腰痛に苦しめられて寝るのもつらい事がある。
  不摂生の極みの生活なんで、こうなっても誰のせいでもない。自分で病院に行くなり摂生するなりして解決するしかないんだが、それでも、入沢に診てもらう……というのは抵抗感がある。だっていくら病気だって言っても、あの入沢に、
「ここんとこ、生理がちゃんと来ないんです」
  なんて言えるか? その上、あの入沢に、
「じゃあ服を開けて、前を向いて」
  なんて言われるわけか? 想像しただけで、ギャーッと思うじゃないか。
  そういうわけで、結局美樹の言う通り、病院には行こうと思ったが、入沢に診てもらうのは避けたい所だったので、入沢に診てもらわなくて済む方法……つまり、問題の患者には会えるが、入沢以外の医者に診てもらえる手段を考えた。
  なんの簡単な事だ。入沢が外来に来る日に、初診で診てくれる医者にかかればいいわけだ。問題は狙いを定めた日にその患者が来てくれるかどうかである。
  入沢からその彼女の事を、あれ以上聞き出すのは無理だと思ってはいた。ただ入沢の外来の日に来る事だけはわかっているのだから、最初から会えなくても、そのうち会えるのではないか。これがあって、通院を決心したのは事実だった。
  しかしそろそろ病院にかからなくては、にっちもさっちも行かぬ程体にガタが来ていたのも、また事実だった。私は病院に来るや否や、まず空いている椅子を探した。恐ろしいくらいの運動不足が祟って、ちょっと立っているのもしんどい。
  私は、わざと保険証を出さずに、内科の前で彼女を待った。美樹に聞いた印象だけが頼りだったが、これは結構うまくいった。というのは、病院という所には、若い子があんまり来ないのだ。その日は特に、ジーサン、バーサンが多かった。私はすぐに本人を見付ける事が出来た。
「あのう、私今日ここ、初めてでよくわからないんですけど、保険証ってどこに出せばいいんでしょうか」
  と彼女に聞いた。
「ああ、あそこですよ。私も行きます」
  とそれらしき女性は、親切にも一緒に来てくれたのだ。
「どうも有り難う。大きい病院なんてあんまり来た事ないもんだから、戸惑っちゃって……」
「私も初めはそうでしたよ。特にここは混むから、なんだか聞きにくいんですよね。係りの人も忙しそうだし」
「もう長いんですか?」
「ええ……ちょっと」
「内科ってなんだか大変な病名を言われそうで、怖いと思って、なかなか来なかったんだけど、ついに来てしまった」
「どこが悪いんですか?」
  などと結構会話が成立しはじめてきた。
 

 

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